コロナ騒動後の生き方。

5月18日。

例年とはまったく異なった今日を迎えています。
いつもなら、日高の牧場で生まれたばかりの幼い仔馬の肌に触れ、
おどおどした円らな瞳を見て癒される朝を迎えている日です。

日常の風景が変わって早50日ほどが過ぎました。
しかしながら、
山、川、花、木々は何故かしらいつもより元気でキレイに見えたりします。

つい1ヶ月前はサクラが満開でした。
ヒト気のない嵐山のサクラの森、半世紀生きてきて初めて見る光景でした。
とても美しかったです。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛き者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵におなじ。

平家物語の一節ですね。
1200年余の時を超えて、
まさに、こういったことを身をもって感じさせてくれます。

今、様々なメディアでは、
「今後どんな世の中になるのか」とか「今後はきっとこうなる」みたいなことが語られます。

1200年前に語られたこの一節の通り、
1200年の間には数々の出来事、事件がありました。
そして、それらはヒトが作り出し、
すべてを自然は許し、包み込んでくれてきたわけですね。

これからも暑い夏が訪れ、錦秋の候を愛で、そしてしんしんと雪降る冬がやってきます。
ただ淡々と自然は何も言わずに。
生きとし生けるもの、すべてはこの大らかな自然に包まれ生きてきました。

知らなかったことを知ろうとする。
見えなかったものを見ようとする。
都合の悪い自然は排除する。
必要以上に自然を収奪する。

生きとし生けるものは、自然から多大な恩恵をもとに存在している。
都市という脳化は、自然を理解することよりもコントロールしようとする。

我々は「この先を、どうしたいのか」。

何をしようととも、自然はきっと我々を包み込んでくれるだろう。
かと言って、
その身を削り、少しずつではあっても自らの住処を駆逐するのはヒトだけの愚行であろう。

世の中のMONEYは増え続ける。
増え続ける限り、モノを作らねばならない罠に入ってしまった。
モノを作るということは自然を収奪し続けることになる。

地球上には70億人のヒトが居る。
30年後には90億に及ぶという。
加速度を増している。

ただ、どこかに限界は生じる。
限界が生じた時、そこにはどんな光景が待ち受けているのだろうか。
そして起こる限界の中で、
我々の住処である大自然と共生できるヒトとしての生命力として何を携えておくべきなのだろうか。

誰にも正解はわからないし、
誰も教えてくれない。
誰に従うものでもない。
誰かのせいにするようなことが無い方がいい。

生物が自然の中で生きることは冒険。
どの道を選び、歩んでいくかは、自分で決めなければならない。
決めてもらうものではないから。

人生は冒険。


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