自分の嫌な部分をみる

noteを始めて半年が過ぎた。

今年初めに「月1回noteを更新する」と目標を立てたけども、今回が3回目の更新。「コロナのせいやな。」とか思ってみたりするけど、土日を埋め尽くしていた地域の活動やスポーツ観戦は「コロナのせい」でなくなったのだから更新する時間はたくさんあったな。結局自分がサボっていたことを認めなくて言い訳している。

たしかに、今年の春から世の中はいろんなところで「分断」をしないとしょうがなかったし、「stay home」なんて言っていたら現場で物事を見ることや感じることはできない。

社会人になりたてのころ、毎日なにかに落ち込んでいた。数字の転記や文書の語句の間違い、書類の紛失、アポの取り忘れ…毎日なにかをミスしていたし、誰かに怒られ謝っていた。自分の武器も見つからなくて、「ダメ社員」って俺のことを言うんやろうなってずっと思っていた。

去年、当時の状況を知っている先輩と飲みに行ったときに「新人時代の○○(自分)はほんまどうしようもなくて、こっちが泣いたわ」と言われた。怒っていた方も苦しんでくれていたんだなと改めて感謝した。
(その先輩とは今も仲良くさせてもらってている。一応補足。)

10年以上経った現在は環境の変化を経験しながら、与えられた役割を果たすために自分の長所を生かせている感覚はある。今でもチョンボはしているけど(してるんかい)。

だからといって、「苦しい状況でも耐えて続けるべきだ!」と主張するつもりは全くない。先述の先輩みたいに、たまたま温かく見守ってくれる人に恵まれていたから続けてこられたわけで、少しでも違っていたら続けていたかわからない。だって、しんどいもん。
このエピソードもそんな珍しいものでもないし。

でも、自分の弱さとか嫌な感情と向き合ったことはとても役立ってると言える。当然苦しい作業だったけど、今自分がどういうことを身につけないといけないかを考えられた。まぁそれも業務の振り返りを交換日記のように3年間続けてくれた先輩がいたから気づけたことだけど。

たまに「入社以来、よく頑張ってきたなぁ」と言ってもらえる。でも実際は自分が頑張ってきたのではなくて、周りに頼ってここまで来ている。

現在世の中はいろんな行動が制限されて、去年の同じ時期にできていた楽しみはできなくなっていることが多い。人々の心もだいぶ疲れているし、ふだんなら平気なことも怒ったり泣いたりしていることもいっぱいあると思う。

今も同じ。「みんなもしんどいのは同じだから」と自分の嫌な感情を我慢するんじゃなくて、誰かに頼るのも落ち込んだり泣いたりすることも本当に必要。本人は認めたくなくて表に出さないようにしてても、みんな大切な人の元気がない姿を心配している。

終わったら終わりじゃなくて、乗り越えたら「気づきというごほうび」があることも人は知っている。今までにない毎日が訪れた2020年。この状況を素直に感じながら毎日を過ごすことがウィルスが落ち着いた未来を良くする第一歩だとしたら嬉しいな。

noteをサボっている言い訳を書こうとしたら、こんなことを考えた。ちょっと強引やけど。

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