【非情怪談/扉の向こうに】
壁の向こうに
彼がそのアパートに引っ越してきたのは、冬の始まりだった。
新しい生活を始めるため、慣れ親しんだ街を離れ、この静かな住宅街にある古いアパートに足を踏み入れた。
アパートは少し古びていたが、家賃も手ごろで、何より静かな環境が気に入った。
部屋も清潔で、窓から見える景色も悪くない。少し寂しい気もしたが、新しい生活に胸を躍らせていた。
最初の数日は何事もなく過ぎていった。
仕事から帰ると、彼は疲れた体をベッドに投げ出し、深い眠りに落ちるのが日課だった。だが、ある夜、彼はふと目を覚ました。
時計を見ると、深夜2時。外は静まり返り、アパートの中も物音ひとつしない。
ただ、耳を澄ますと、どこか遠くでかすかな音が聞こえてくるのに気づいた。
最初は気のせいだと思い、再び目を閉じようとしたが、音は次第に大きくなり、明らかに壁の向こうから聞こえてくるものだった。
音は何かが動いているような、擦れるような音であり、その不規則なリズムが彼を不安にさせた。次第に、その音が気になり始め、眠れなくなってしまった。
翌日、管理人に隣の部屋について尋ねた。管理人は彼に向かって少し戸惑った表情を見せた後、言った。
「ああ、隣の部屋か…あそこはもう何年も誰も住んでいないんだよ。何か問題でも?」
その言葉を聞いて、彼は一瞬、言葉を失った。確かに、隣の部屋のドアはいつも閉まっており、誰かが出入りする気配も感じられなかった。
しかし、それならば昨夜の音は一体何だったのだろうか。
その夜、彼は再びベッドに入り、眠りにつこうとしたが、やはり隣の部屋からかすかな音が聞こえてきた。
前夜よりも少しだけ大きくなっているように感じた。
彼は恐怖に駆られ、壁に耳を当てて音を確かめた。
音は確かに壁の向こうから響いている。何かが動いている音だ。しかし、それが何なのか、想像もつかなかった。
数日後、音はますます大きくなり、夜になると彼を寝かせてくれなくなった。
音の正体が気になって仕方がなかった彼は、ついに夜中に懐中電灯を手に取り、隣の部屋のドアを調べることに決めた。ドアノブを回してみるが、鍵がかかっており開かない。
しかし、そのドアの隙間から、かすかに冷たい空気が流れてくるのを感じた。
ある夜、音はこれまで以上に大きくなり、彼はついに限界に達した。ドアを叩いてみたが、何の反応もない。
彼は恐怖に震えながらも、どうにか音の正体を突き止めようと決意し、壁をじっと見つめた。すると、壁に異変が起こり始めた。
まるで何かが壁を押し広げるように、壁の一部が少しずつ膨らみ、やがてそれが割れて小さな扉が現れた。
その扉はまるで何年も開けられていないかのように、錆びついていた。彼は手を震わせながらその扉を開けた。
扉の向こうには、もう一つの部屋が広がっていた。
部屋の中は薄暗く、古びた家具が所狭しと並んでいた。
埃まみれの床に足を踏み入れると、まるで時間が止まっているかのような感覚に襲われた。
部屋の中央には、一枚の鏡が置かれていた。鏡は古く、ひび割れていたが、その中には自分の姿が映っていた。
しかし、その姿はどこか違って見えた。
彼はその鏡に近づき、じっと見つめた。
すると、鏡の中の自分がゆっくりと笑い始めた。その笑顔は、自分が作り出したものではないことに気づくのに、時間はかからなかった。
恐怖が彼を包み込み、彼は慌ててその部屋から逃げ出そうとしたが、足が動かない。
鏡の中の自分は、ますます不気味な笑みを浮かべ、彼に向かって何かを囁いているようだった。
彼は耳を塞いで、その囁きを聞かないようにしたが、頭の中でその声が響き渡った。
「君はここにいるべきなんだ」
彼はその声に恐怖を覚え、ようやく足を動かし、部屋から飛び出した。
扉を閉め、壁に戻したが、その後も心に重い恐怖が残った。
部屋に戻った彼は、再び鏡を見つめるが、今度は何も映っていなかった。
だが、その夜から、彼は自分が鏡の中にいるのではないかという感覚に苛まれるようになった。
外の世界に戻ることができたとしても、自分が本当に現実に存在しているのか、それとも鏡の中に閉じ込められているのか、彼は次第に分からなくなっていった。
そして、彼が恐れていたことが現実になった。
鏡の中にいるのは、もはや彼ではなく、別の誰かだった。
彼がその部屋に閉じ込められてから数日後、彼の友人が訪れた。
友人は彼の不在を不審に思い、管理人に尋ねるが、管理人はただ一言、「あの部屋はもう何年も誰も住んでいない」と答えるだけだった。
友人はその部屋に足を踏み入れ、静かに扉を開けると、部屋の中央に一枚の鏡が置かれているのを見つけた。鏡の中には、見知らぬ顔が笑っていた…。
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