二十五の夜:秋・フィリピン・二人旅 四日目マニラからセブ行きフェリー
起床1時過ぎ
いや寝てない
が、少し表の方が騒がしいので様子を見にいくと2goの受付が開いていた
さっきまでこんな様子だったカウンターに長蛇の列が。とりあえず並んでみる
他の人が持ってる紙を見るとQRコードがついている。あーこれが受け付けで発券済みのやつってことか
カウンターの人に聞くと「あっちで発券してきて〜」のジェスチャー。言葉わかんねぇのによく分かるな
というわけでターミナル内からでて発券所へ向かう
ここぐらいだった気がする。
警備員さんが優しく場所まで送ってくれた。受け付けの兄ちゃんに印刷した紙を持ってくと「1人?」と聞かれた。2人とジェスチャーすると気がつけば友人分も含めて印刷されてた。
受付には兄ちゃんが2人いて、相方はずっとゲームしてた。だまーって発券してくれたのでok!
再びターミナル内の受付に行ってスタンプを押してもらう。これで良さそう。ステイヒヤーと言われた気がするので待ちましょう
2時過ぎごろ、ターミナル内から向かい側に見える建物にちょこちょこと人が流れ始めた。付いてくか、と友人を起こして出発
向かい側の建物は荷物検査場だった。パーっとザック流して完了。再び椅子が立ち並ぶエリアで。ようやく乗船する一歩手前まで来たか。
2時半ごろ
ここからが長い気がする。まだ一応の出港時刻である8時には程遠い。さらにその8時ですらよく遅れるとの事前情報もある。寝てて大丈夫だろうな
5時ごろ
徐々に乗船が進んでいる。
おおよそ乗客を乗せるとは思えないような車で何度も船とゲートを往復している。たぶん徒歩乗船を想定したシステムになっていないのだろう。
日本の船であれば客層階に直接乗り入れることができる建物が用意されているが、ここにはそれが見当たらない。
なんとシステム化されてないものか……
6時半ごろ
少しずつ乗船は進んでいる
ようやく船の真横まできた。
ここでさらに犬によって荷物の匂いを嗅がられる。一昨日からザックの中で熟成させてるグヤバノがあやうい!などと思ったが、当然のように杞憂に終わった
乗船!!!!!!
うおおおおおおおおお
疲れた……
9:20ごろ
ようやく船がマニラを離岸。私は友人からの「シャワールームお湯出るぞ!」の報告を受けシャワーを浴びたのち、自室で睡眠
一番安いシートを選んだはずなのだが、カプセルホテルのような一室が用意されてるスタイルでびっくり。これで5000円3食つきはお得すぎる
10:45ごろ
目を覚ましデッキへ。マニラ市はとうに見えなくなっている。さらば混沌の街マニラ……
マニラという街、自分にとっては常に強烈な印象しかなかった。スラム街とタワマンが共生しつつも、その見るも明らかな格差社会に似合わない人々の優しさ、何を食っても美味い飯、色が強すぎる公共交通機関。0-100までフィリピンらしさにドップリ浸かってしまったな
現在船はコレヒドール島、カバッロ島横を航行中。こうやって島国であるフィリピンをフェリーで縦断する選択したのよかったな。本来はもっと陸路も使って各島を見て回りたかったけど、それは時間的には厳しかったんだよな
11:30ごろ
ランチがもらえるという話を思い出しレストランへ
おおー
当然言葉全く通じ合えず何言ってるか分からなかったけど、フロムジャパンとか言ってたらジェスチャーで教えてくれた。チケット見せればok。
まぁまぁ美味い。鶏肉が柔らかい。味は…カレーって感じ。ミートボールのようなものは微妙だった。おまけでくれたパンケーキ?が美味しかった
食事処?ではカラオケ大会が繰り広げられていた。皆楽しそうに歌っているし、聞く側も楽しそうだ。曲は英語のものが多い気がする。フィリピン人にとってカラオケ、バスケ、ビリヤードは一大コンテンツなのかもしれない。
12:30ごろ
飯も食い終わってデッキでずっと海を眺めている
14時ごろミンドロ島とバタンガスの間辺り。
ミンドロ島は第二次世界大戦の戦記が残る島。
こちらの舞台がミンドロ島となっている。
今回の旅を計画したときに、真っ先に浮かんだのがフィリピン島巡りだった。マニラについてからバタンガス港まで移動してミンドロ島に船移動。同じように港町に移動して次の島に行って……セブ島まで、というルートを考えていたのだ
結局それは杞憂に終わってしまったのだが、数ヶ月前にミンドロ島について調べてた日々は確かに輝いていた。本まで買っちゃうんだもんな
この戦記を読んで艦これオタクだった血が騒ぎ出す。この海域で沈んでいった、日本のために戦った者たちがいるんだな…とミンドロ島を眺めていたときに感じた。静かに目を瞑っていたとき、黙祷を自然に行っていたように思う。
もし第二次世界大戦が無ければ、日本がフィリピンを支配下に置かなかったら、今のフィリピン、というより昨日まで見てきたマニラという街の形は異なっていたかもしれない。
「混沌」という言葉がピッタリと当てはまってしまう今のマニラの別の姿、欧米や日中の企業が牛耳るような街ではない、フィリピンらしい経済で満たされていたかもしれない。
フィリピンの島々に囲まれた穏やかな海域で、潮風に当たりながら目を瞑っていたとき、横須賀市の観音崎で見た言葉を思い出していた。
「安らかにねむれ わが友よ 波静かなれ とこしえに」
17時ごろ
現在バタンガス港にて停泊中。数時間前に着いていたのだけど、いつ出発すんねんこれ。まぁいっか
19時ごろ
友人とレストランへ
ビーフシチューとカツ。美味い
少し塩辛いビーフシチューという印象、具材も柔らかく、ご飯に合っていた。
その後、なんだか眠いような気がして、部屋に戻る。
そろそろ出発しそうだなということは分かっていた。出航の時見たいなぁと思いながら、体はベッドに沈んでいった。
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