自己紹介 (下身)| はじめてのnote
先日、自己紹介を兼ねて社会人としての自分を振り返ってみました。災害とともにあった前職時代、子どもを抱えての就活を経てwebライティング業に身を置いている現在まで、つらつらと綴っていたら思いのほか内容が膨らんでしまい反省しています。
ただやり直す余力はないので、このまま続けていこうと思います。
今回は社会から一枚内側の道に入った、妻と母としての私についてお伝えします。
妻としての私
昔から自分が結婚するイメージがなかなか湧かなかったのですが、気づけばもう妻の肩書きを持ってからしばらく経ちました。
あっという間に感じるのは、結婚生活の始まりがあっさりしていたからかもしれません。
コロナ禍の入籍
世の中にコロナ禍の過ごし方がすっかり定着したころ、私は退職して夫が住む地方都市に引っ越しました。「合法的にお祝いケーキが食べられる日を増やそう」という企みのもと、何の記念日にも合わせず2人で適当に入籍日を決めました。
まだ外食が推奨されていない時期で、休日の役場へ届けを出すだけのあっさりしたものだったように記憶しています。違ったらごめん夫。
挙式披露宴も延期に
感染症の影響で、挙式披露宴もスムーズには進みませんでした。夫婦ともに地元ではないところに暮らしていたので、披露宴をする場合、ほとんどの招待客を遠方からお招きする必要がありました。
親族や友人らを無理に呼びつけて何かあっても大変ということで、元々予約していた時期から式を延期することに。
延期期間が長かったため、その間に再就職の選択肢も考えました。そこに関わってきたのが、もう一つの肩書きのお話です。
母としての私
妊娠出産とキャリア再構築、岐路に立つ
夫婦ともに「子どもを迎えたい」という点で認識は一致していました。年齢のこともあり早めにトライしたい気持ちと、まずは結婚生活と両立できる職を探したい気持ちとの間で悩んだことを覚えています。
中途入社ホヤホヤで産休を要求する妊婦になるか、社会人ブランクを抱えた子持ち就活生になるか。どの道も簡単ではないことは明白で、「それなら我が子がこの世にいた方が頑張れそうかな」と考えて、私は妊娠出産を優先しました。
そもそも授かれるかどうか不安だったのもあります。
妊婦メンタルに振り回された日々
初めての妊娠期間を無職という時間的余裕がたっぷりある状態で過ごせたのは良かったと思います。今までにない勢いで変化する自分の心身と向き合うのは、もし働きながらだとどんなに大変だったでしょうか。
私の場合、大変だったのは家計を支えながら妻の荒波メンタルに付き合ってくれた夫の方だったかもしれません。些細なことで泣き、ちょっとからかうと噴火したり寝室に引き篭ったりする私に戸惑いつつも、思いやりを持って接してくれました。
体重制限のためご飯を過不足なく食べるようにしており、食べたくても食べられないストレスで「お腹空いた」と泣いた時に笑われたのはいまだに根に持っていますが…
子どもという存在
その後、幸いなことに順調に経過し、無痛分娩で無事子どもを出産できました。
もともとあまり子どもの相手が得意ではないのですが、ゼロから人格が形成されていく過程に立ち会えるのはとても面白く、同時に責任の重さも感じます。
生まれたての「未知の生命体を生かす」ミッションに全てを捧げていた頃に比べると、「健やかに、そして豊かに過ごしてもらうには」と考えるようになり、また違った母としての実感を覚える機会が増えました。
生意気なことを言いましたが、まだまだ母としては新米です。
特に働き始めてからは、自分の未熟な面がぼろぼろと出てきています。家族に、子どもにとって良い選択ができるよう、日々内省しつつ進みたいなと思います。
おしまいに
とはいえ相変わらず瞬く間に時が経ち、2025年1月もやがて中旬に入ろうとしています。
少し背筋を伸ばしつつ、今年も日一日と進んでいきたいと思います。
先の自己紹介記事に届いたリアクションがとてもうれしく、励みになりました。
今年はインプット、アウトプットの年にしていきます。
アウトプットのハードルが高めですが、覚え書きレベルでも続けたい。頑張ります。