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自己開示は卑しいか

先日、知人の男性(以下、彼)の講演会にお手伝いのアルバイトとして付添ったときの話です。

彼とは大学に入ってから知り合いました。(もう社会人の方です。)
彼は他者に対しとてもオープンでどんどん自己開示していくタイプの人間で、僕はどちらかと言うとあまり自己開示しないタイプの人間でしたので、その性格をちょっと羨ましく思うこともありました。
また、講演会に呼ばれるほどの方なので傍にいるだけで勉強になることがとても多く、今回の話は彼から学んだことについてです。

会場では、彼は講演者として舞台に上がり講演をし、講演の風景を僕がビデオカメラで撮影するという役回りでした。
講演は大盛況のうちに終了し、アルバイトとして来ていた僕も撮影の傍らで講演を聴いていましたが、素晴らしい内容でとても勉強になりました。

さらに知人は本も出版しているので、その流れで自分の本を売るブースを設けました。
撮影を終え、片付けをしていた僕に「一緒に本を売るのを手伝ってくれる?」と、声をかけてきました。
本を売る、という話は事前に聞いていたのですぐに準備に取り掛かりました。
本は飛ぶように売れ、講演同様こちらも大盛況でした。
彼の周りには「講演よかったです!」「勉強になりました!」などと彼に向かって感想を言いながら本を買うお客さんでいっぱいでした。
彼もお客さんと話しながら嬉しそうにしていました。
すごい人気者だなぁ、と僕はお客さんから受け取ったお金の勘定をしながら横目で見ていました。

そのとき、僕はふと「焦り」のような感情を感じました。

もしかして就職してからも「輝いてる人」の陰で生きていくのかな…

その当時、僕には自分の能力を生かして人の役に立ちたい、という気持ちはありましたが、自分の能力を生かして「輝く」ということに対しては鈍感でした。
突き詰めれば「自己開示」をして自分をアピールするということに対して消極的だったのです。
僕の中には、むやみに自己開示をしたりするのはちょっと卑しいのではないか、という気持ちがありました。
全く自己開示をしてこなかった訳ではありませんが、卑しいと思う気持ちがブレーキとなり、もっと気楽にできたはずの自己開示を邪魔していたのだと思います。

しかし、先程感じた「焦り」と同時に「仮に自己開示を卑しいと思い続けたとしたら、誰が自分の性格や趣味、やりたい事を分かってくれるだろうか?自分でアピールしていかないといけないのではないか?」という思いが沸々と沸き起こってきました。

今、目の前で講演をし、本を売る彼は自分をアピールし輝くことによって自分の能力を最大限に生かし、最大限に人の役に立っているのです。
「自分の事、自分の思ったことをもっとアピールしていけば、より人の役に立てるのではないか?」
彼の姿を見てひしひしと感じました。


「本当に卑しいのは『誰かが気づいてくれるはず』と待つことだ」という言葉聞いたことがあります。
この体験を通じて、その言葉の意味を「本当に理解できた」気がしました。



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はやぶさ
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