知識と教養
「知識」と聞くと小中高での勉強や定期テスト、受験のことを思い出す人が多いのはないでしょうか?
漢字や九九、古語、794うぐいす平安京…などなど学校で会得する知識は多岐に渡ります。
覚えるのに苦労した経験がある方も少ながらずいるでしょうが、「知識」を身に付けることの大切さは理解していただけると思います。
テレビや新聞、読書、ネット閲覧、文書作成などの文化的な営みには読みや書きが出来なければいけませんし、行きたい学校の受験の際に、「知識は0です」では合格する事はまず不可能でしょう。
また、知識が豊富な人は周りの人から大変尊敬されます。
例えば、ピカソの名前は一般的には「パブロ・ピカソ」と略称されることが多いですが、本当の名前は物凄く長く
「パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・チプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・ピカソ」
というそうです。
たまに暗記している人もいて、すごい記憶力だなという一言に尽きます。
ピカソの本当の名前を暗記している人に対して、すごい!という感想を持たない人はほとんどいないでしょう。
むしろその記憶力を少し恵んでくれ!と思ってしまいます。
以上の話はいわゆる前フリというやつです。
今回僕がお話ししたいのは「知識=教養」なのか、ということです。
言い換えるなら、「知識があること」と「教養があること」について僕なりに掘り下げて考えていきます。
「知識」と「教養」について
まず、「知識」と「教養」の辞書的な意味を確認をしていきます。
goo国語辞書によると、
「知識」は「知ること。認識・理解すること。また、ある事柄などについて、知っている内容。」
「教養」は「学問、幅広い知識、精神の修養などを通して得られる創造的活力や心の豊かさ、物事に対する理解力。また、その手段としての学問・芸術・宗教などの精神活動。」
と定義されています。
簡単に言うなら、知識の方は「知っている」ということに重きが置かれ、教養の方は「知識を生かす」ということに重きが置かれていると言えるでしょう。
言葉の定義から、「知識」と「教養」は少し違うものだと認識していただけたと思います。
学校の中の「知識」と「教養」
高校時代のことです。
僕は以前から歴史が好きだったので社会科の授業では日本史を選択していました。
日本史が好きだった理由としては、その当時の市井の人々が考えていたことは何だろうか?とか、どういう背景でこういう事件が起こったのか?と思いを巡らせるのが好きだったからです。
しかし、日本史の授業では、ある事件や出来事について立ち止まって深く考えることはあまり無く、時代の流れを追って知識を身に付けていくことが重視されていました。
ただ、日本史の知識をつけることも好きだったので、授業に対する不満は特にありませんでした。
テストや模試で良い点をとると嬉しかったですが、年月を重ねるごとに物足りなさも感じるようになりました。
もっと歴史上の事実について深く掘り下げて対話する機会もあったらいいな、と思ったり、今までに日本史について考えてきたことも評価してほしいなという気持ちも出てきました。
高校を卒業して大学に入学し、歴史の事に限らず様々な事を友人と語り合う機会は増えて、今は物足りなさを感じることは無くなりました。
現在のシステム上、授業がこういった形式になるのはしょうがない事かもしれません。
しかし、「知識」を身に付け、「教養」の下地がついているので学校の授業でも、ある物事について深く掘り下げて考えることを重視する必要があるのではないか、つまり「知識」を生かして「教養」を身に付けていくことも必要なのではないかと思ったのです。
「教養」は必要なのか?
最近、大学入試改革というものが発表されました。
簡単に言えば、知識重視から思考力や主体性も問う入試に変えていこうという趣旨です。
つまり、知識を生かして思考するという意味で「教養」ということも重視され始めたのです。
改革の背景にはAIの台頭が将来予想される中、知識量という面では人間は圧倒的に劣る。
そうなったときに人間に必要とされるのが思考力や主体性などの能動的な力になる、と予想されるからという側面もあると思います。
僕はこの目的に加え、もう一つ大切なポイントがあると思います。
それは「若者が政治に興味を持つ」ように意識を変える、ということです。
政治と書きましたが、それはあくまで最終到達点です。
本当は好きな漫画だろうがアーティストだろうが何でもいいので、
自分で考えてそれを他人と対話し、共有できる下地を作ることが重要だと僕は思っています。
そして、それを徐々にステップアップさせていって最終的に政治に辿り着けばいいのです。
最近、「投票率が過去最低を更新した」「政治に無関心な若い世代が多い」といったニュースが度々報道されます。
「投票に行くのは高齢者ばかりで、政党は高齢者を重視した公約を打ち出すので若者も投票に行きましょう!」
そう言われても、そもそも政治に関心がなかったとしたら行く気も起きないと思います。
それを改善していくには教育の中で「教養」ということを重視する必要がでてきます。
「魚と肉どっちを食べるべきか?」「ポケモンはどういう所が魅力なのか?」など簡単な話題でいいので、まず自分で考えて他人と対話することで徐々に「教養」を身に付けていけば、全員とはいかなくても政治に関心を持つ人が増えていくのではないでしょうか。
たとえ政治に関心を持たなかったとしても、様々な人の様々な意見に触れることで「多様性」への理解が進んでいき、社会全体の寛容さにつながっていくと思います。
先日、アメリカの人気アーティスト・テイラースウィフトさんが政治的な発言をした、ということが話題になっています。
自分の好きなアーティストやアイドル、芸能人が政治的発言をすると関心を向けるファンもいるでしょうから、すごく良いニュースだなと思いました。(もちろんファンを包括した圧力団体のようになってしまうのは良くないですが)
いずれにせよ「教養」というものを日常のレベルから意識することで政治に関わらず、対話に対する意識が少しずつ変わっていけば、日本の現状も少しずつ変っていくのではないでしょうか。
(↓教養に関するこんな記事もありました)