役に立たないこと、役に立つこと
先日、大学の講義内で社会人の方の講演を聴いた。
講演者の方は、社内では人事部におられる40~50代くらいの方であった。
人事部の方ならではの、学生や新入社員の話を織り交ぜた講演だったので学生の身としては大変勉強になった。
その講演の中で印象に残った話がある。(細かい言い回しはうろ覚えです)
それは以下の内容であった。
「ある日、担当していた社員に仕事を頼んだときにこう問われました。
『この仕事をやって意味があるんですか?』
私はその社員にこう言いました。
『あなたにこの仕事を生かす能力がないということですね?』
すると
『いや、そういうことを言ってるわけじゃ…』
と少し反論されました。」
この体験から、次のように話を展開された。
「意味があるかどうかはそのときは分からない。だけどいつか役に立つかもしれない。確かにこの歳まで生きてみて役に立たない知識はあった。だけどそれは結果論に過ぎず、どんなことにも意味があると思うマインドが大切だ」
全てのことに意味がある訳ではない。
「勉強することに意味があるのか?」「本を読むことに意味があるのか?」
など様々な疑問を持つ人も多いと思う。
だけど、意味がないと言えない限り、やってみる価値はある。
ふとしたきっかけでその大切さに気づいたり、思いがけず役に立つ瞬間が来たりする。
逆に、「役に立たないものはない」というマインドを持っているとそれが生きる道を見つけようとする。
「正解の道」があるのならそこを目指して最短で知識や技術を身に付けていきたい、と考える人は多い。
ただ、実際には「正解の道」を見通せる人はいないし、どうやればいいか分からないことも多い。
ならば、目の前のあらゆる可能性を信じ「役に立たない、役に立つ」という色眼鏡をかけず、あらゆるものに真摯に向き合うことが必要だと感じた。
先日、オプジーボという、タンパク質「PD1」を応用した癌の薬への貢献により京都大学名誉教授・本庶佑さんがノーベル医学生理学賞を受賞された。
本庶さんは受賞後の取材で、
「ダイヤモンドをいきなり見つけるのではなく、光っていない原石のうちに見つけるのが研究の醍醐味だ」
と述べられている。(以下、記事参照)
まさに役に立つかどうか分からないものを結実させた例であると思う。
また、記事の中で本庶さんは「6つのC」として「好奇心」「勇気」「挑戦」「確信」「集中」「継続」を紹介されている。
それぞれ英語のつづりで頭文字が「C」になるのだ。
恐らく本庶さんは研究の最中、役に立つかどうか、ということより
「6つのC」のうちの1つ、「好奇心」に従ってなされていたのだろうと僕は考えている。
「未来」の成果にとらわれることなく「今」の自分の興味を大切にする。
そういうマインドが結果として役に立つものを生み出すこともあるのだ。
昨今、役に立つものを重視する風潮が高まっている。
だが、本当に大切なものは「役に立たなそうなこと」を認められる我々の度量や社会の懐の深さではないだろうか。
今回のノーベル賞受賞で改めてそのことを考えさせられたように思う。