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Memories of love③


あれからどれくらい時が経ったのだろう。

気がつけば
ぼくはベッドのなかにいた。

白く無機質な空間。

廊下からはパタパタという足音や点滴をひきずる音がする。

病院だ…。

ぼくは目を閉じて、記憶を呼び起こした。

そうだ。階段から落ちたんだった。

それをリクが守ってくれて…。

「あ、目覚められましたか?軽い脳しんとうをおこされていました。気分はどうですか?」

他の患者の点滴をはずしにきたナ―スさんがぼくの顔をのぞきこむ。

「ぼくは大丈夫です。…あの一緒に運ばれた…」

「ああ、彼は全身打撲と、頭を少し切ったの。頭部はたくさん血がでるのでひどい怪我に見えたとおもうけど、大丈夫よ。命に別状はないから」

「そうですか。よかった…」

リクは無事なんだ。その言葉で思わず安堵のため息が漏れる。

「起きられる?いま処置室にいて、君が目覚めたらこちらにきてもらおうか?って言ってるんだけど」

「あ、はい。ぼくは大丈夫なので、運んであげてください」

「ゆっくり、起き上がってね」
看護師さんが背中を支えてくれて、
ぼくはベッドから降りて、面会する人の座る椅子に腰かけた。

「ありがとうございます」

「連絡してくるから、ちょっと待っててね」

看護師さんは踵を返すと、病室から出ていった。

しばらくすると、ストレッチャーにのったリクが運ばれてきた。

だめだ。この姿を見ただけで泣いてしまいそうだ。

あっという間にベッドに移動させられ、
まだ目をとじたままのリク。

出血したせいか、顔色は青白い。

「麻酔が覚めたらちゃんと目を覚ますから、大丈夫よ」

きっとぼくは深刻な表情をしていたんだろう。

看護師さんがそういって、微笑んでくれた。

「わかりました。ありがとうございます。面会時間って何時までですか?」

「19時までよ。ご家族さんは20時なんだけど、来られる様子がないから…」
どうしようかと、看護師さんも悩んでいるようだった。

「わかりました。ちょっと家に連絡してきます。」

ぼくは席をはずし、スマホが使える場所まで移動し、リクに付き添うので遅くなることを伝えた。

むしろうちの母親のほうが心配していた。

たぶん、リクのお父さんはきてくれそうな気がする。

再び戻ると、リクはまだ寝ていた。

「ごめんね…」

ぼくがあのとき、うまくよけていたら。
リクを下敷きにすることもなかったのに。

こんな怪我をさせてしまうことにはならなかったのに。

ぼくは思わず、リクの腕のそばに頭を寄せた。

「…ん…」

かすかな声が聞こえる。

ぼくは頭をあげた。
すると、ゆっくりとリクのまぶたが開き、唇がうごいた。

「リク!」

ぼくがよびかけると、顔をしかめながら、横を向いてくれた。

けれど、愛しい人から紡がれた言葉は、ぼくを地獄に叩き落とすものだった。

「君は…だれ?」

ぼくは看護師さんを呼びに行き、ぼくのことを覚えていないことを伝えた。

頭も含め、精密検査をしてほしい、とお願いした。

そんな。現実にこんなことが起こるなんて。

「もちろん検査はするけど、一過性のものだとおもうんだけどねぇ…」

「自分の名前はわかる?」

「神崎陸です」

「生年月日は?」

「2005年5月18日です」

「血液型は?」

「O型です」

医師の言葉に、淀みなく答えていくリク。

自分のことはきちんと覚えている。

だけど、ぼくのことは…

「ごめん。わからない」

といわれてしまった。

これ以上リクを困らせてもしかたないので、先生たちにも、明日検査結果とともに、来ることを伝えた。

「じゃあね、また明日。」

きちんと笑顔でさよならできただろうか。

次から次へとあふれでる涙を必死にぬぐいながらぼくは病院を後にした。

どうしよう…これからリクにどう接したらいいんだろう。

救いは、夏休みが近いことだった。

知らない人にまとわりつかれるのなんて、リクからしたら恐いと思う。

ぼくはその夜、疲れているのに、全然眠れなかった。

次の日面会にいくと、先生が
やはり脳波も異常なく、
傷も激しい運動がしばらくできないだけで、打撲も日にち薬だと話してくれた。
リクにはすでに検査結果は伝えてくれているそうだ。

「…ありがとうございます」

「むしろ君のほうが倒れそうだよ。思い出す可能性はあるはずだから、きちんと寝ないとだめだよ」

頭を下げたあと、先生はぼくの顔を見ながら、去っていった。

「失礼します…」

昨日のように馴れ馴れしくもできず、ぼくはリクのベッドに近づいた。

「あ、昨日の…えっと…」

「こんにちは。ぼく、篠原空っていいます。
リク…神崎くんの幼馴染みなんだけど…覚えてないよね」

リクの目はまっすぐぼくを見つめている。
しかし「ごめん」という言葉とともに、目をふせられてしまった。

「いいんだ。ぼくのせいだから。
本当にごめんね」

ぼくは階段から足を踏み外して、そのときにリクがかばってくれたため、怪我をさせてしまったと
話した。

「おおげさだよ。先生もすぐ退院できるっていってたし。
篠原くんも、そんなに落ち込まないで」

篠原くん…。
リクがぼくを名字で呼んだのなんて数えるくらいしかない。
本当にぼくをおぼえていないんだ。

リクが遠い。
こんなに近くにいるのに。
もうリクの心の中にぼくはいない。
痛いほど思い知らされた。

あれからすぐ、リクは退院した。
サッカーはできないけれど、
傷が治れば問題ないらしい。

本当によかった…。
結構階段を転げ落ちたので、
加速がついて、リクの体にかなりのダメージを与えてしまったかなと思った。

鍛えている人はやっぱり違うなぁ。

逆だったらリクを守りきれない。

夏休みにむけて、残り少ない日もリクは登校していた。

「学校までの道はおぼえてるよね?」

「うん。大丈夫だと思う。あ、でも念のため篠原くんと一緒にいっていい?」

当たり前だった一緒の登校は
おぼえていないんだ。

「もちろん。一緒に行こう」

ぼくは寂しさを押し殺して、
精一杯の笑顔で応えた。

「篠原くんはふだん何してるの?」

無邪気な笑顔で聞いてくるリクの顔をみるのが辛い。

「ぼくは…とくに部活にはいってないし、帰り道散歩したり、公園に寄ってのんびりしたりとか、そんな感じかな?」

本当はリクと一緒に帰る日もあった。
けれど、いまのぼくとリクはただの幼馴染みで、同級生。
それ以上でも以下でもない。

だから、そんなことは答えられない。

「そうなんだ。自然のなかで季節を感じているんだね。俺はサッカーしているんだ。この傷が治ったら、またプレ―するつもりなんだ」

知ってるよ。大会が近いことも、朝練にいっていたことも。
ぼくのおにぎりを食べてくれていたことも、全部。

「神崎くんは打ち込めるものがあっていいね。それって素敵だよね」

ぼくの言葉に、リクは嬉しそうに微笑んだ。

リクが反応するたびに、ぼくは辛くなる。
この笑顔のなかにも、心のなかにも、いや、脳内にもぼくはいない。

その事実が重たくのしかかる。

ちょうど校門でサッカー部のクラスメイトがリクに話しかけてきたので、
「ぼく、先にいくね」

リクの返事を待たず、ぼくは教室に向かった。

下駄箱を開けるとメモがあった。
「今日のお昼休み、すこしだけ時間ください。屋上で待ってます」

まるっこい女の子の字。
リクの下駄箱と間違えたんじゃないよね…。

とりあえずぼくはメモをしまって、心当たりを考えていた。

リクのことは気になるし、
メモの主は気になるし、
午前中は落ち着かないまま過ごしていた。

お昼休みのチャイムが鳴るとともに、ぼくはお弁当をもって、屋上に向かった。

リクの方は向かずに、ただひたすら屋上を目指した。


つづく








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