短編集「たべるということ」
演劇ユニットHORIZON オリジナルシリーズ「星辿る人」キャラクター短編小説集
カノープスのだし巻き卵
この魂は、なぜ自分に食事をさせるのだろう。
北極星として生まれてから、この惑星の生命を循環させてきた。
しかし、この惑星にある魂には「こころ」というものが存在し、ただ循環させるだけでは淀みが溜まってしまう。そして、とても数が多い。
問題の解決のために、ある魂に「星」の名を与えて循環の手伝いをさせることにした。
最初に与えた名は、カノープス。
この惑星の真ん中にある星だから、ちょうどいいと思ったのだ。
彼女はよく働いた。もとは人の魂である「星」は扱うのが難しい。
彼女は「食べる」ということに、とても重きを置いていた。
死んだ人間なのだから、食事をとる必要はない。
もちろんそれは、北極星である自分も同じだった。
カノープスと外見の特徴を揃えるために人間の形はとっているが、口と呼ばれる部分から固形物や液体を摂取することや、言語によるコミュニケーションに何の意味があるのだろうか。
それを彼女が望んでいるのであれば、叶えてやることに異論はないのだけれど。
最近、口にする固形物に様々な違いがあることに気が付いた。口の中で溶けるような感覚や、ピリとした、刺すような感覚があるのだ。
カノープスはそれを「味」だと言った。好ましいもの、何度か口にしても良いと感じたものはあるかと聞いた。
いくつかの固形物を指さすと、彼女の目が細くなり、口角が上がった。
この惑星にいる魂の気分が高揚した時に見せる表情だ。
笑顔、というらしい。その様子を、自分の顔でも真似てみる。
「あんた、はじめて笑ったね。」
カノープスの目から、水分が流れた。
泣くという行為だ。悲しいのだろうか。
「違うよ、嬉しいんだよ。人はね、嬉しくても涙を流すんだ。」
彼女の手が、自分の顔に触れる。温かい。彼女に触れられていると、胸と呼ばれる部分の奥にこの掌と同じような温度を感じることがある。
そして、この顔を何度も見たいと思う。
「カノープス…。」
自分の喉を振るわせて、音を出してみた。カノープスが驚愕の表情をする。
「それが、好き。」
黄色くて柔らかくてほんのりと温かい食べものを指で示す。
「これはね、だし巻き卵っていうんだ。私が一番、得意な料理さ。」
「だしまき、たまご。」
そうだ、そうだよと彼女が頷く。
人間という魂は、不思議だ。感情を言葉や表情で共有することができる。
彼らのことをもっとよく、知ってみたいと思った。
次の食事の時に、カノープスに聞いてみよう。
だし巻き卵を食べながら。
ベテルギウスのオムライス
ベテルギウスは悩んでいた。
普段から深く刻まれている眉間のしわをより一層深くして睨んでいるものは、机の上に置かれた本日の昼食である。
ふわふわとした黄色いスクランブルエッグの下にはお手製のトマトソースを加えて炒められたチキンライス。ソースはトマトソースとホワイトソースがかかっており、彩のパセリが一振り。
「これは、なんだね。」
「オムライスですよ!」
にこにこと返すのは、白ブチの眼鏡をした青年。
ベテルギウスに救われ、彼を師と慕っているシリウスである。
彼は料理に堪能で、食に頓着がないベテルギウスを心配して、毎日のように食事を作りにやってくるのだ。
「それは、わかるのだが。」
「あれっ、卵お嫌いでしたか?!」
「いや…そうではない…」
シリウスの作る料理はやたらと洒落ている。
美味いことは間違いないのであるが、いかんせんどんな顔をして食べれば良いのかわからない。
毎日食べるものなのだから、見た目も味も良くないと楽しくないじゃないですか!と彼は言うが、星になってから食に興味のなかったベテルギウスには少々刺激が強いのであろう。
卵とチキンライスをスプーンですくって口に運ぶ。
……美味い。
さらに眉間に皺を寄せたベテルギウスの顔を、シリウスが心配そうにのぞきこむ。
「お口に、合いませんでしたか?」
「いや。」
「なんだ、良かった。先生、険しい顔するから毎回ドキドキですよ。」
「すまない。食事の記憶が乏しくて、何と言ったらいいかわからないんだ。」
そう告げると、一瞬きょとんとした顔をして、シリウスが吹き出した。
「やだなあ、先生!そういう時は、『おいしい』って言えばいいんですよ。」
「そうか。」
そういえば、遠い記憶にある彼女たちは、楽しそうにその言葉をかけあっていた。おいしくなかったら別ですけどね、とキッチンに向かう背中に声をかける。
「とても、うまいよ。」
驚いたように振り返り、破顔した弟子の顔を見てベテルギウスの表情も心なしか和らいだ。
こんな食事なら、悪くない。
アンタレスのベリータルト
「どうして、こうなっちゃうのかしら…」
南の空、広く与えられた宿舎のキッチンから大きなため息が聞こえる。
この部屋の主はアンタレス。南天では珍しく、星に就任してわずか三年で新人星の教育を任された才女である。
「おかしいわ。レシピ通りに作ったはずよ。」
異例の出世を遂げたさそり座の一等星が覗き込んだオーブンの中には、黒い塊が2つ。すでに炭化しており原型を推測することは不可能であるが、キッチンの上に散らかっている材料を見る限り、何かしらの焼き菓子を作ろうとしていたに違いない。
「オーブンの設定を間違えたのかもしれないわ」
さらに深いため息をつきながら炭の塊を取り出そうとすると、ボロボロと崩れて粉になってしまった。
アンタレスが料理に成功することは奇跡に等しい。
そんなになんでもできるのに、料理だけはダメだよね。と北の空に勤める同期のおおいぬ座から苦笑いされるほどである。
「ねえさま!今日はできた?」
「ああ、レグルス。今日もだめだったわ…」
ひょこ、と顔をのぞかせたのはしし座のレグルス。アンタレスが教育係として初めて受け持った星である。すでに独立して任務にあたってはいるが、アンタレスを姉のように慕って遊びに来るのだ。
「ありゃりゃ、真っ黒だ。」
「ちゃんとレシピを聞いてその通りにやったんだけどね。どうしてもベリーパイになってくれないの。」
彼女が苦手な料理に立ち向かう理由は他でもない。このレグルスが北の空に行った時に食べたベリーパイがあまりにも美味しかったので、再現してくれと頼み込んだからである。
弟のように可愛がっている弟子の頼みを無下に断ることはできない。あのおおいぬ座にできるのだから、自分に出来ぬはずがないとキッチンに立ってすでに一週間。なかなかベリーパイは完成しない。
「大丈夫よ、明日こそ完璧よ。」
「ねえさま。それ、この前も言ってたよ…」
悔しそうな顔でレシピを睨んでいるかつての教育者を見て、不謹慎ながらも可愛い人だなあと思ってしまう。研修のときはあんなに怖かったのになあと思いながら、レグルスは声をかけた。
「ぼくも、一緒に作ろうかな!そしたらもっとおいしくなる気がするよ。」
そうね、と微笑んだアンタレスは、レグルスが自分を超える料理オンチだということをまだ知らない。
ベリーパイへの道は遠い。
プロキオンのアメリカンドッグ
ぼくは知っている。ぼくのご主人さまは、やさしい。
「星」という天使のような仕事をはじめたときは、この人にこんなつらい仕事ができるのかと不安になった。しかも、はじめての任務はあやうく昔のともだちのお母さんをつれていってしまうところだった。その時はおなじ名前のちがう人だったから回収はしなくてすんだのだけど、もし、ご主人さまがしっている人のたましいを回収することになったらどうなってしまうのだろう。ぼくは心配でしょうがない。
ぼくは、アマデウス。ご主人さまが「プロキオン」になる前からずっと、そばで見ている。「星」になってからのご主人さまはとても楽しそうだ。毎日、ぼくにその日あったことを報告してくれる。
「ねえ、アマデウス。先輩がアメリカンドッグ作ってくれたよ!今度リゲルと作るんだ!」
「ねえ、聞いてくれよアマデウス!今日はリゲルと一緒にご飯を作ったんだよ!」
「ねえ、アマデウス聞いてよ。リゲルったら、アメリカンドッグにマスタードかけるんだって!大人だよね〜!」
リゲルというのは、気の強い女の子のともだちだ。
リゲルといっしょにいるときのご主人さまは、きらきらしている。ぼくは、ずっとご主人さまといっしょにいるけれど、リゲルといるときみたいな顔はあんまり見たことがなかった。なんだか、うらやましいようなさみしいようなうれしいような、ふくざつな気持ちだ。
「星」は仕事が終わると新しいたましいに生まれ変わるらしい。そのとき、ぼくはどうなっちゃうんだろう。ここにおいていかれるんだろうか。ほんとはずっと、いっしょにいれたらいいのにな。なんて考えていたら、目の前にお皿がふってきた。
お皿の上には、ちいさなアメリカンドッグが二つ。
「はい、今日またリゲルと作ったんだ。一番上手にできたやつ、アマデウスにあげるね!」
ぼくは、ただのぬいぐるみなのに。
「ほら見て、ケチャップでアマデウスの顔を書いたんだよ。アマデウスは、僕の一番の相棒だからね!僕はね、満期になって転生するときポラリス様にお願いするんだ。アマデウスも一緒にいいですかって。ね、明日もがんばろうね!」
ぼくは知っている。ぼくのご主人さまは、とってもやさしい。
リゲルのハートワッフル
「お食事中失礼します!!!!」
バァン!!と盛大な音をたてて、宿舎のドアが開いた。音に驚いたベテルギウスの手元から、昼食の前菜で出されたサラダのミニトマトがコロコロと転がっていく。
ミニトマトがたどり着いた先には、険しい顔をして仁王立ちした少女が一人。ベテルギウスと同じオリオン座に属する一等星のリゲルである。
「先生、先輩いますか。」
「シリウスなら、キッチンだが」
ちょっとお邪魔しますね、とリゲルが険しい顔で通り過ぎていく。いつも朗らかな彼女がどうしたのかと思っていると、騒音を聴きつけたらしいシリウスがキッチンから顔を出した。
「どうしたんだよ、そんな怖い顔して。」
のほほんと声をかけたシリウスに、胸倉でも掴みそうな形相でリゲルが詰め寄っていく。珍しいこともあるものだな、ケンカになったら仲裁しようか、おや今日のドレッシングは好みだななどと楽観的に眺めていたベテルギウスの手元と、ちょうどシリウスが持って出てきたサーモンとほうれん草のレモンクリームパスタを交互に見比べて、リゲルが盛大なため息をついた。
「お前も食べるか?」
「えっいいんですか?!やったぁ!…じゃなくて!!!」
見事なノリ突込みを披露したリゲルが、がっくりとうなだれる。
何があったのかと理由を聞けば、どうやら同期のこいぬ座がいらぬことを言ったらしい。なんでも、任務のねぎらいにリゲルが作ったホットケーキを見て、シリウスの腕前を語ったという。
あのこいぬ座は、いい意味でも悪い意味でも素直すぎるのだ。
「1人暮らし始めたばっかりの元女子大生がホットケーキ焼けたら御の字ですよ!ねえ、先生!」
追加で出されたサーモンとほうれん草のレモンクリームパスタをたいらげ、リゲルが憤慨する。
「で、俺に何の用なの?」
「そうだった。パスタおいしすぎて忘れてた。先輩、お料理教えてください。」
「えっ、良いけどなんで?お前、そこそこ出来るじゃん。」
「プロキオンを!ぎゃふんと言わせてやりたいんですよ!!!」
元女子大生としてのプライドなのだろう。
カフェで出てくるようなオシャレなメニューを作りたいのだという。確かに、シリウスの料理はやたらと洒落ている。講師としては申し分ない人材である。
「カフェかー、じゃあワッフルはどうだ?ハート形の。」
「完璧。よろしくお願いします!師匠!!」
「よし、来い!」
なぜか体育会系のノリでキッチンへと去っていく二人を見送る。
何ともない昼下がりの風景。儚い瞬間だと分かっているから、より一層まぶしく感じられる。年を取ったものだなとひとりごちて、お茶をすすった。
今日のおやつはワッフルだろう。おそらく、山盛りの。
シリウスのガーリックトースト
「星」は眠らない。
生きている人間が取る、睡眠に似たような動作で休みを取ることはあるが、それは睡眠とは異なり、魂の磨耗を防ぐ行為である。
「星」はまどろみの中で魂の回復を行うのだ。しかし、おおいぬ座の一等星であるシリウスは、その行為すらできないでいた。
いや、退けていたという方が正しいだろうか。
彼の師であるオリオン座のベテルギウスが天の規則を冒し、その魂ごと消え去ってから一週間。シリウスはまどろみさえも拒否していた。
事務所に篭り、ベテルギウスの系譜をたどる。
この一週間、他の星と話をすることさえしなかった。事務所の机に突っ伏していると、キイと音がしてドアが空いた。
「先輩、大丈夫ですか?」
恐る恐る覗いて声をかけたのは、オリオン座の一等星β星のリゲル。
裁判の前、ベテルギウスが最後に話したのがこの少女である。
「なんだ、リゲルか。どうした?」
リゲルは転生が決まっている。偶然にも、直前の任務で出会った青年の娘として生まれ変わることになった。その報告をする前にベテルギウスと出くわしたのだという。
じっと見るシリウスを心配に思ったのだろう。
リゲルが近づいて声をかける。
「先輩、ご飯食べてます?」
そういえば、この一週間、何も口にしていなかった。頭が働かないと思っていたが、そのせいか。食に頓着がないベテルギウスのことを叱ったのはいつのことだっただろうか。
「それから、ちゃんと休んでます?」
いや、と答えると、一つため息をついてブランケットを渡された。
どうやら休めということらしい。
「先輩がそんなんじゃ、安心して転生できないじゃないですか。ちょっと待っててください。」
渡されたブランケットの暖かさに、少し安心感を得る。
師の天落に違和感を覚えるも、どう手を付けていいかわからない。真っ暗なトンネルの中にいるような不安感で押しつぶされそうだったシリウスには、その暖かさが染みた。はあという息とともに体の力が抜ける。
「失礼します。はい、これ。」
再びドアを開けたリゲルが、プレートを差し出す。
食欲をそそるガーリックの匂いがするこんがり焼けたバケットと、卵が入って黄色みが強くなったポテトサラダ。
「前、作ってもらったの真似したんです。先輩ほど上手じゃないけど、悪くないでしょ?」
久しぶりの食べ物の匂いに、シリウスの腹が鳴った。リゲルが笑う。
「なんだ、お腹空いてるんじゃないですか。」
ほら食べてください、とプレートを押し付けられる。何も言わずに齧ろうとしたらストップがかかった
「いただきます、は?」
「…いただきます。」
シリウスがもくもくと食べ始めたのを確認して、リゲルは何も言わずに席を立った。
気が効く部下だな、と思いながらガーリックトーストとポテトサラダを飲み込む。
少し、塩味が強まった気がした。
カストルのおやつプリン
ふたご座は、黄道十二星の一つ。冬の大三角をたどった先にある北天でも名のある星座の一つである。そのα星、二等星のカストルの目は真っ赤に腫れ上がっていた。
「カストル、もう泣くのはやめなさい。ほら、目がパンパンだよ。」
そう声をかけ、鼻をかんでやるのは、カストルの教育者であるこいぬ座のプロキオン。見た目こそ十代の若者だが、「星」としてのキャリアは長い。
「だってええ、せんせえええ。ポルックスがあああ」
くしゃくしゃの髪の毛をもっとくしゃくしゃにして、カストルが泣きじゃくる。
「いいかい、ポルックスは満期になったんだ。喜んであげなくちゃ。」
「じゃあ、ボクも満期にしてください…」
「それは、僕の力じゃ無理なんだよ。ね、わかるでしょう?」
「やだあああ」
困ったなあ、とプロキオンが頭を掻く。
「星」はその任務が満期になると新しい魂に転生することができる。プロキオンのように転生を希望しない星は天に残るが、それ以外のものは天界を去る。カストルはそれが受け入れられないのだ。
カストルが「星」になったのは十二歳のときだが、十二歳にしてはかなり幼い印象を受ける。すでにプロキオンのコートについているファーはカストルの涙と鼻水でべちょべちょである。
僕が甘やかしすぎたんだろうか。とにかく、この泣き虫をどうにかしないと落ち着いて話もできないなと思考を巡らせているうちに、ある策を思いついた。
「カストル、ちょっと待ってて。」
えぐえぐとすすり上げている小さなふたご座の片割れを残し、プロキオンが出ていく。
しばらくして戻ってきたその手には、飾り付けられたプリンが二つ。
「ほら、一緒に食べよう。」
差し出されたプリンを見て、カストルの顔がぱっと明るくなった。
成功だ。
「わ、プリンだ。先生が作ったんですか??」
「飾りつけしただけだけどね。これ食べて、元気出して。ね?」
こくりとうなずいてプリン受け取ったカストルが、新人星だった時の自分と重なった。
任務で落ち込んでいた時に作ってもらったアメリカンドッグの味は、今でも忘れられない。ほら、食えよというぶっきらぼうな口調の割に、白ぶち眼鏡の奥の瞳は優しかったことをプロキオンは覚えている。
僕も料理覚えようかなと思いながら、カストルの頭を撫で、プリンをすくって口に運んだ。
カラメルソースがほろ苦い。
アルファルドのパンケーキ
天の川のほとり、こと座の館では重要な作戦会議が開かれていた。
会議の出席者は、ふたご座のカストルとポルックス、館の主人であるベガ、そして所要で偶然居合わせた、うみへび座のアルファルドである。
かしこまったポルックスが一つ咳払いをして、開催の宣言をする。
「それでは、第一回プロキオン先生をびっくりさせよう作戦の会議をはじめます!」
カストルとベガから、盛大な拍手が巻き起こった。
ただ一人、アルファルドだけが一体何が行われているのか理解ができず、ぽかんとしている。
「ええと、プロキオン先生をびっくりさせよう作戦……とは?」
「やだなあ、そのまんまですよ!」
ふたご座の二人組が、腰に手を当ててエッヘンのポーズを取る。どうやら、普段の感謝をプロキオンに伝えるためにサプライズ企画を用意するということらしい。
「ぼく、本当は誕生日のお祝いとかがいいなって思ったんだけど」
「星の誕生日っていつ?ってベガ先生に聞いたら、命日じゃない?っていうから」
さすがに命日お祝いできないよねー、と少女たちが声を合わせて頷いた。
お師匠様から、新しいポルックスの様子を見てこいと言付かって来てみたら、とんでもないことに巻き込まれてしまった。
「ピアスとかどう?先生いっぱい着いてるし」
「アルタイルのおじいちゃんに頼めるかな?」
「頼めると思うけど、時間がかかっちゃうかもしれないわねえ…」
ふたご座とこと座のガールズトークが続いている。
長丁場の予感を察知し、抜き足で退散しかけたアルファルドを、ポルックスが発見する。
「アルファルドさん!どこ行くの!」
脱出は失敗に終わった。こうなったら、早めにこの会議を終わらせて師匠の元に帰らねばならない。今、彼女はとても忙しいのだ。師匠であり上司でもあるカノープスの身を案じた有能な秘書は、妙案を提出した。
「でしたらお二人で、お料理を作ってあげたらいかがでしょう?」
カストルとポルックスの顔が、ぱっと輝く。
「それ、いい!」
「私、パンケーキ作りたい!」
それはとても素敵ですね、きっと喜んでくれますよと言い残して、立ち去ろうとしたアルファルドのマントを二人が掴む。
「「お料理、教えてください!」」
救いを求めてこと座のベガに視線を送ってみるも、お祭り好きの老婆はノリノリでアルファルドのSOSを無視し、がんばって!のポーズを取った。
この後、アルファルドが完璧なキツネ色のパンケーキを習得したことは言うまでもない。
アルデバランのチョコバナナパフェ
「なんだこの雑な報告書は!!!」
南天の執務室、りゅうこつ座の館にある王家の星の執務室に怒号が響き渡る。声の主は、黄道十二星の一つ、全天で最も多くの星団を抱えるおうし座の一等星アルデバランである。
先程しし座のレグルスが置いていった魂の回収任務の報告書を、しかめっ面を更に顰めて覗き込む。
「これでは北の空に顔向けができん!フォーマルハウト、レグルスを連れ戻せ。」
「マスター。このボクがなぜそんな雑用を?」
ゆったりと髪を整えながら、優雅に断りを入れる派手な青年はアルデバランと同じく「王家の星」を冠するみなみのうお座のフォーマルハウトである。
「お気に召さないなら、ご自分で指導なさればよいではありませんか。」
髪をくくったリボンを結び直し、鼻歌を歌いながら立ち上がるフォーマルハウトを睨みつけ、アルデバランが憤慨する。
「“回収”くらい漢字が書けなくてどうする!」
まあまあ、と眼の前に差し出された手袋の指先を払うと今度は盛大なため息が聞こえた。
「糖分不足じゃありませんか?じゃ、ボクはこれで。」
なぜかシャラシャラという煌びやか音を立て、マントを翻して去っていく背中を目で追いかけ、今度はアルデバランが大きなため息をつく。
間も無く、北の空から書類を回収しにオリオン座がやってくる。悠長なことを言っている暇はないのだ。先日独り立ちしたばかりの新人星とはいえ、これは酷すぎる。
執務用の眼鏡をかけ、レグルスが提出した書類の誤字脱字を一つずつ直していく。眉間の皺が深くなり、少し頭痛がし始めた頃だった。
とん、と隣に物が置かれる気配がした。
アルファルドがお茶を入れてくれたのだろうか。
「悪いな。」
眼鏡を外し、目頭を軽く揉みながらお礼を言うと、意外な声で返答があった。
「甘いもの好きなの、意外っすね。」
弾かれたように目線を上げると、そこには北の空でベテルギウスの補佐をしているおおいぬ座のシリウスが立っていた。
「どうぞ。」
白ぶち眼鏡の青年が仏頂面で差し出したのは、大きめにカットしたバナナとバニラとチョコレートのアイスクリーム、生クリームとコーンフレークが綺麗な層を作り、チョコソースで見事に飾り付けられたチョコバナナパフェだった。飴細工でできた繊細な飾り付けも美しい。
「お前、なぜこれを?」
「先生が、持ってけって言うんで。」
先生、というのは北の空の統括でアルデバランの同期であるオリオン座のベテルギウスのこである。
思いもよらない同期からの差し入れを、しげしげと眺めてしまう。
「あ、それ。先生の分のついでですから。あと今からレグルスにベリーパイ作るんで、もうちょっと時間かかりますから。って先生が言ってました!では!」
大量のセリフをまくし立てて、勢いよくシリウスが去っていく。
なるほど、そういうことか。オリオン座には貸しを作ることになるが、今回は有難く受け入れることにしよう。
丁寧に紙ナプキンで包まれたスプーンを取り出し、チョコソースのかかったバニラアイスを一口。
「……腕がいいな。」
その後、南天にはパフェグラスが二つと材料が常備されることになるのだが、これはまた別のお話。
フォーマルハウトのフレンチトースト
卵を割って黄身と白身を分ける。黄身はしっかりと溶いて牛乳と混ぜ、粗めのガーゼで裏ごし。上白糖を混ぜ、バニラエッセンスを二振りしたら、ゆっくりと六つに切った食パンを浸す。
これでよし。あとは明日の朝まで寝かせて、しっかりと卵液をパンに染み込ませたらバターで焼くだけ。
頭の中が騒がしい時は、簡単な料理をじっくり時間をかけて丁寧に工程を踏んで作るのがいい。徐々に脳内の喧騒が静まっていくのを感じる。
生前、研究論文が手詰まりを起こした時も、研究室のキッチンで同じようにフレンチトーストを作っていたのを思い出す。その時は、あの人も一緒だったのだけど。
ふう、と息をついて仕込みを終えたバットにラップを掛けて冷蔵庫に入れる。パタン、という無機質な音が誰もいない南の空のキッチンに響いて、フォーマルハウトは一瞬びくりと肩を竦めた。
彼は南の空に所属し、秋の一つ星と呼ばれるみなみのうお座の一等星である。星になって四年、その几帳面さから「名付けの管理者」としての教育を受けている最中だ。
現世に未練を残した魂が「星」として天に従事する時、その名前を決める儀式を担当し星の日誌の受け渡しを行う「管理者」。
天文学を専攻していた彼にとって、星の名前を管理する役職は憧れにも似たものだった。日々の業務にも一層本腰を入れて取り組む所存ではある。
……のだが、彼の表情は曇り空が続いていた。
彼を悩ませているのは責任ある職への不安ではなく、先日南に配属された新人星の存在だった。彼女の名はアンタレス。さそり座の中心に位置する赤い火を灯した一等星である。
北の空のおおいぬ座と比べて、彼女の出来は非常に良い。飲み込みは早いし、指示の意図を汲み取って行動ができる。サポーターとして付いてはいるが、ほぼ独り立ちが可能であると言っても過言ではない。生前も、さぞ仲間に頼りにされていたことだろう。だからこそ、程よい距離を保つことが難しかった。
しかし、部下との距離感に悩んでいることを上司であるアルデバランには知られたくない。そんな些末ごとで彼の手を煩わせるわけにはいかないのだ。
「全く、何をやっているんだろうね。ボクは。」
三つ編みを結び直し、トレードマークの手袋をはめる。これがないと落ち着かなくなったのはいつの頃からだっただろうか。
少し前にマスターの称号を得た上司のように、ある日突然すっきりとした顔つきになる日が自分にも来るのだろうか。深い深いため息が、口の端から漏れた。
自室に戻ろうと振り返ると、キッチンの入り口に人影が見える。
「どうした、フォーマルハウト。らしくない顔をして」
噂をすればなんとやら、だ。
南の空の統括、おうし座の一等星アルデバランがフォーマルハウトを覗き込んでいた。統括に就任し「マスター」と呼ばれるようになる前は、やれ闘牛だの暴れ牛だのと言われていたのが、まるで嘘のように落ち着いた彼の包容力は尋常ではない。上司の進化の過程を見てきたからこそ、現状に焦りを感じているのかもしれない。
「いえ。マスターにご面倒かけるようなものではないので、お気になさらないでください。」
「何かあったか?俺はただ、明日の朝食はお前が仕込んだフレンチトーストが久しぶりに食べたいと思ってきてみただけなんだがなあ。」
……しまった。これだから、うちのマスターは油断ならない。
「ついでに、アンタレスも誘おうと思うんだが構わんな?」
返答に困って顔を見れば、したり顔のアルデバランと目があった。
なんでもお見通しということか。
「ま、マスターがそうおっしゃるならしょうがないですね!いいでしょう!」
「同じ釜の飯を食った仲、というだろう。じゃ、頼んだ。」
フォーマルハウトの頭をくしゃくしゃにして、アルデバランが去っていく。
頭を撫でられるのは、まだ慣れない。が、自分の口角が少しだけ上がっていることに気がついた。幸い、材料はまだたくさん残っている。あと二人分の仕込みをするのには十分だ。どうせなら、コンソメスープもつけてやろうと戸棚から鍋を引っ張り出した。
髪を整え、手袋を外す。いつの間にか、頭の中の喧騒は消えていた。
たまにはこんな日も、悪くない。
レグルスのおひさまクレープ
レースのついた大きなフードと、大きな三つ編みの尻尾がリズミカルに揺れる。
ここは北の空。
広いキッチンの一角に、フードと三つ編みの持ち主であるしし座のレグルスの特等席がある。ダイニングチェアよりも少し背の高い黄色いカフェチェアが彼のお気に入りの場所。ここはキッチンの中の様子がよく見えるのだ。
白い陶器のような質感のワークトップには大小様々なボウルが置かれ、この小さな客人へのおもてなしが進んでいる。小麦粉に卵、ミルクと生クリームに上白糖。
今日のメニューはなんだろうか。
「なあ、レグルス。そんなに見られてると若干やりにくいんだけど…」
キッチンの奥からちょっと困ったような声を上げるのは、おおいぬ座のシリウス。北の空の台所を取り仕切る白ぶちメガネの青年である。
実は、レグルスは北の空の星ではない。
所属は南天だが、シリウスの作るデザートや料理を食べるために、頻繁に北を訪れるのだ。曰く、南のご飯は落ち着いたものばっかりだからたまにはお洒落なものが食べたい!とのこと。
十四歳という食べ盛りの年齢で星になったレグルスには、和食中心の南天の食卓だと物足りないだろうと統括者のアルデバランから許可をもらっているのだそうだ。
「向こうに戻ったら姉さまと一緒に作るから、お勉強。しっかり見てるの。」
ああそう、と苦笑しながら作業に戻るシリウスの手捌きは、早い。
みるみるうちに生クリームが泡立てられ、ホイップクリームが誕生した。次いで、とろりとした生地が大きめのフライパンに流し込まれ、薄い黄色の膜が張る。小麦粉の焼ける甘い匂いが、キッチンいっぱいに立ち込めた。
まあるい目を細めて、幸せの匂いをいっぱい吸い込んだレグルスの耳に、遠くからバタバタと走ってくる足音が聞こえる。ややあって、キッチンの扉が勢いよく開いた。
「ただいま先輩!めっちゃいい匂いする!今日のおやつ何?!」
「あっ、プロキオン待ってよ!私の方が先に帰ってきてたんだからね!」
わあわあと入り口で騒いでいるこいぬ座のプロキオンとオリオン座のリゲルは、レグルスよりも少し遅れて星になった北の空の新人星である。
「はい、おかえり!静かに入ってこいっていつも言ってるだろ。」
「あれっ、レグルス君だ。今日ご飯食べてくの?先輩、今日僕オムライス食べたい。」
「口、ホイップクリームついてるよ。可愛いー!」
ホイップクリームのつまみ食いがバレたレグルスと、一向に騒ぐのをやめない新人星二人を見て、シリウスが大きなため息をつく。
賑やかくなったのは良いのだが、落ち着いて作業ができないのはいかがなものか。
「リゲルとプロキオンは、先生のところに行って任務完了の報告をしてくること。おやつはそれから!あとレグルスは勝手に食べない。あとでたっぷり乗せてやるから。な!」
はあーい、と気の抜けた返事をして新人コンビがキッチンから出ていく。南の空ではなかなか見られない風景が珍しい。この場にみなみのうお座の彼がいたなら、眉間には深い深いシワが寄せられているだろう。
ベストの背中を見送ったレグルスが振り返ると、そこにはデザートプレートが出現していた。
お皿の中央には、ホイップクリームとカスタードクリームがクレープ生地で包まれ、チョコレートソースで目とひげ、そしてにっこりと牙を見せて笑った口が描かれている。クレープの周りにはオレンジとパイナップルが、まるでたてがみのように飾り付けられ、ライオンの顔を模した「おひさまクレープ」の完成だ。
「わあ!ライオンだ!僕のこと?すごいね!」
黄色いカフェチェアの上でレグルスが飛び跳ねて興奮する。
「ホラ、材料タッパーに詰めておいたから南のみんなで食べな。飾り付けくらいならできるだろ。」
うん!と頷いてクレープを丸々頬張るレグルスの頬には、やはりクリームが付いている。子育てってこんな気分だったのかなぁ、と同期の顔を思い浮かべてシリウスはレグルスの頬を拭った。
この後、南の空ではライオンとは似ても似つかない不思議な生き物がたくさん生成された、という悲しいお知らせがアンタレスから届くのを、シリウスはまだ知らない。
カペラのフルーツサンド
ふっと、ガス灯に息を吹き込む。
ぼんやりと星の明りが灯った。
天界、天の川のほとりには無数のランタンが浮かんでいる。
まだ名付けられていない星の小さな明りを灯し、夜空に瞬かせているのだ。
りん、と鈴の音を響かせながら少女がやってくる。手には金色の光を集めたアンティーク調のランタンを持ち、星の明りを一つ一つ確かめるようにそっと静かに進んでいく。
彼女はカペラ。ぎょしゃ座の一等星で、この無数の名前のない星たちに明りを灯し続ける「管理者」である。
「管理者」は現在四名。
星の名を記すフォーマルハウト
いのちの蝋燭を見守るシリウス
星の世界全体を惑星から守るデネブ
そして、星明りを灯すカペラだった。
カペラは、蝋燭の管理がベテルギウスからシリウスに移ったことが、少しだけ不満だった。
ベテ先生は優しい人だから、蝋燭の明かりと星のランタンを同じくらい丁寧に扱ってくれた。名前のない星たちにも声をかけ、時には天の川のほとりを一緒に歩いてくれたこともある。それがどうだ、あのやかましいおおいぬ座ときたら一つも顔を見せないではないか。
と、そこまで考えてふと気が付いた。
「……もしかして、わたしが逃げ回ってるから?」
はじめておおいぬ座を紹介してもらったとき、なんだかチャラそうな見た目にびっくりしてしまってベテルギウスの後ろから出られなかったのを思い出した。その後も、シリウスの姿を見るたびに姿を隠していたのだ。
もともと、初対面の人と話すのは苦手だったのだが、あれは良くなかったかもしれない。困ってたし。しかし、極度の人見知りには逃したタイミングをもう一度捕まえるのは至難の業なのだ。
はあ、とため息を付きながら北の空に戻る。
温かいものでも飲もうかなとキッチンの扉を開けると、そこにはベテルギウスがいた。
「やあ、ちょうどよかった。作りすぎてしまってね、君も飲むかい?」
北の空の統括である証のコートを脱いだ姿は普段、あまり見ることがないので新鮮だ。手元には、なみなみとホットココアが入った小ぶりの鍋がある。
「一人分を、と思ったがうまくいかないものだね」
偶然を装ってはいるが、最初から二人分用意してくれていたのだということをカペラは知っている。
星明りの巡回は、とても時間がかかる孤独な仕事だ。
すべての灯を確認して戻ってくる頃には他の星たちは寝静まっているから、頻繁に会うこともない。
まあ、人見知りの自分にはぴったりの仕事だけど、時々さみしくなることだってあるんだから。
ベテルギウスはそんなカペラを気遣ってか、時々こうして巡回の終わりを待ってお茶をしてくれるのだ。最初のころは濃すぎたり味がしなかったりしたココアも、今はとってもおいしくできている。
そういえば、おおいぬ座の人はお料理が上手だって言ってた気がする。ココアの正しい入れ方も教えてもらったんだって聞いたような……
ちょっと冷たくなった指先を、ココア入りのマグカップで温めながら悶々としていると、目の前に色とりどりの花が現れた。
よく見ると、チューリップはイチゴ、ガーベラはオレンジ、ヒヤシンスはブドウでできている。
「綺麗だろう?私が作ったわけではないのだがね」
おおいぬの人?と聞くと、ベテルギウスはふんわりと笑ってチューリップを差し出した。
「リクエストを、してみるといい」
ああ、やっぱり先生は先生だな。と思いながらカペラはイチゴのチューリップをほおばった。
イチゴの甘酸っぱさと、甘さ控えめのホイップクリームが口の中でとろける。こっくりとした甘みは、奥に忍ばせてあったカスタードだろう。二口目は、葉っぱとしてあしらっていたキウイでちょっと口の中が引き締まる。ふんわりとした食パンとの相性も最高だ。
……おいしいじゃない、なんか悔しいけど。
次の日、北の空にはモモのバラとパイナップルのヒマワリが咲き乱れた。
これがきっかけで空前のフルーツサンドブームが巻き起こり、リゲル主催のアフタヌーンティーパーティも開かれたという。もちろん、カペラを主賓にして。
りん、と鈴の音を響かせながら天の川のほとりをカペラが歩く。
その足取りは、踊るように軽くなった。
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