友達とジェットコースターに乗ってきた話
○楽しかった一日
先日、仲の良い友達と遊園地に行ってきた。
僕はジェットコースターが大好きだ。
しかし彼女はどうやら、あまりそういう乗り物は得意ではないらしい。
それでも僕は、彼女をジェットコースターに誘った。乗ってみれば、きっと楽しめると思ったからだ。
列に並んでいるとき、
「どう?楽しみ?」
と、僕が尋ねると、
「怖いけれど、楽しみ…!」
と答えてくれた。
僕らはジェットコースターを思い切り満喫した。
乗り終わった後、
「楽しかった?」
と、尋ねると、
「緊張したけれど、楽しかった…!」
と言ってくれた。
良かった。楽しんでもらえたみたいだ。
また彼女をジェットコースターに誘おう。きっと楽しんでくれるに違いない…。
○"楽しさ"と"怖さ"
2つの質問で僕は、「楽しさ」についてどう思っているのかを彼女に尋ねた。
しかし、彼女の返答には、質問の意図とは別のメッセージが込められていたことに、帰って来てから気づいた。
「怖い」「緊張した」「…!」
僕は、彼女がどこまでも優しい人であると知っている。そして、本当はとても臆病なことも、よく知っている。
「楽しみ」「楽しかった」は、きっと本心なのだろう。嘘をついているようには、見えなかった。
けれど、ほんの少しの違和感があった。
何か言いたげなのに、うまく言えないようなもどかしさのようなものを感じた。
僕はジェットコースターに乗りたかった。そして彼女と、その楽しさを共有したかった。
だからこそ、「楽しさ」について尋ねたのだ。
そして彼女の答えに、僕は大いに喜んだ。
だけど、どうなのだろう?
彼女の感じている「怖さ」について、僕はちゃんと気づいてあげられていただろうか。
いや、配慮が足りなかったように思える。
自分の楽しみに夢中で、あまり彼女に気をかけられていなかった。
彼女の優しさに、甘えすぎていた。
もしかしたら、僕がワクワクしているのに水を差さないように、我慢してくれていたのかもしれない。
もちろん、これは僕の考えすぎかもしれない。
考えすぎるのはいつものことだ。勝手な憶測で「もう誘わないでおこう」などとは思わない。
昔はそれで、よく失敗した。
ちゃんと彼女に、話を聞いてみよう。
相手のことをよく知る、良いきっかけになった。
…なんてことを、ボーっと考えながら、今日もひたすら雀魂の段位戦を打っている。
そもそも僕はジェットコースターになど乗っていないし、遊園地にも行っていない。人の多いところは苦手だ。
段位戦のポイントがジェットコースターのように上がったり下がったりしていくのは、見ていてとても"楽しい"…。
うん。"楽しい"…。
2023年12月20日 horiwo128