対話できる場所さえあれば。(映画「こどもかいぎ」を観て)
公開時に鑑賞できなかったドキュメンタリー映画「こどもかいぎ」。ようやくDVDで観ることができた。
作品の冒頭で紹介されていた「保育園は、子どもたちが初めて社会と出会う場所」という言葉にドキっとする。そうか、私の息子たちも「社会」をすでに経験したんだなあと。
我が子たちのやりとりではないけれど(もちろん)、作中の子どもたちの様子に、対話することの大切さを教えてもらえるドキュメンタリー映画です。
「こどもかいぎ」
(監督:豪田トモ、2022年)
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なんで赤ちゃんは生まれるの?
水って何?
水を飲まないと人はどうなるんだろう?
そんな「なぜ?」「なに?」を、保育園の年長児が5人ほどのグループで話し合う「こどもかいぎ」。都内の保育園で実験的に始まった試みの様子が、ドキュメンタリー映画として収録されている。
未鑑賞の人にとって疑問となるのが、「え?子どもって話し合うことができるんだっけ?」というものではないだろうか。もちろん平常時における子どもたち同士のささいなやりとりは、子どもたち同士で折り合いをつけられるだろう。だが、ひとたび感情が爆発したとき、家ならば親が、保育園ならば保育士が介入しなければならない。そう考えるのが普通ではないか?と思ったが、作中の保育園はそうではなかった。
ピーステーブルという、対話のための場が準備されているのだ。
大人はいない。たぶん近くにいるのだろうが、基本的にはピーステーブルでは、子どもたち同士で話し合うことを目指している。目指すのはあくまで「対話する」こと。「結果、解決しなくても構わない」と保育士は話す。とにかく「対話する」ことが重要なのだ。
そういった場づくりには、大人が子どもに対して信頼を寄せていなければ成立しない。私も息子たちと接する中で、「彼らはここまでしかできないだろう」と無意識のうちに線を引いている。
作中で、ある子どもが、結婚していない保育士に対して「子どもを育てるのは大変だよ」と告げるのだ。そして「お父さんは僕のことを大事にしてくれるけど、お母さんはそうじゃない。塾のことでいつも怒っている」と。
いやあ、この観察力・理解力よ。
対話に必要なことは、喋る(出力)の力だけではない。相手の話を聴いたり、周囲の状況を観察したりといった「インプット(入力)」の要素が欠かせない。
そんなインプットの営みを子どもができるのであれば、落ち着いて対話できる場において、子どもの自主性のもとで実りある対話が成立するのではないか。そういった子どもへの信頼が、「こどもかいぎ」につながったと私は理解している。
年長児は、それこそ話すのが得意な子どももいれば、性格的に発言を思い止まる子どももいる。話し合いの席でじっとできる子どももいれば、すぐに飽きてモゾモゾしてしまう子どももいる。そういった多様な特性にも、保育士たちは個別対応しながら、基本的には、自発的な言動のみを促しつつファシリテーションしていた。
ナレーションは糸井重里さん。糸井さんが映像を見つめながら、にこやかに音声を吹き込んでいる姿が目に浮かぶ。ハートフルかつピースフルな空間が、保育園に溢れていて、何だか私も温かな気持ちになれた。
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私は図書館でDVDを借りて鑑賞できました。
子育てや保育に関心のある方はぜひ。小学生や中学生も、いやいや大人だって、「かいぎ」をすることは大事だと感じます。
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