判断の方程式
舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」が読売演劇大賞の選考委員特別賞をいただくことになった。受賞は関係者すべての努力によるもので、深く感謝申し上げます。
さて、この「ハリー・ポッター」の日本上演についても取材を受けたことがあるが、「なぜこの作品をやろうとしたのか?」という質問をよく受ける。
質問の真意として、「凄いことをやっている」ということなのだと思うが、裏には「ホリプロのような会社の規模では難しいのではないか?」とか、「経営的に大丈夫なのか?」ということを考えての質問なのではないかとも邪推してしまう。
舞台に限ったことではなく、映画を作るでも、新卒面接のやり方を変えるでも、社員の給料を上げるでも、僕が何かを判断する方程式はいたってシンプル。あえてシンプルにするよう削ぎ落しているといってもい。何か行動する、判断するにあたって考えることは3つだけ。
第一に「面白い」か、「面白くない」か?
第二に「損」か、「得」か?
最後に「やる」か、「やらない」か?
この加減乗除だけだ。
どの社長さんも大して変わらないと思う。面白くて得だったら、普通「やる」以外の選択肢はない。
面白くなくて損だったら、普通「やらない」と選択する。
それ以外が難しい
「面白い」けど「損」。これをやるかやらないか判断するには、やった後の未来に何かほかの効果をもたらす時だ。
映画はヒットしないけども、役者にチャンスを与えられるとか、ライブで赤字が出るけどもアーティストを認知する宣伝となる、などだ。
次に「面白くない」けど「得」。これも「得」の方に重きを置けばやるし、「面白くない」という方に重きを置けばそれは「損」と判断することもある。
大した影響がない、すなわち「損」も「得」もないならやっておこうということにもなる。
「ハリー・ポッター」や「ビリー・エリオット」、「メリーポピンズ」のような演劇作品や、「デスノート前後編」や「インシテミル」のような巨額の予算を使う作品の場合、ブロードウェイやウェストエンドの作品に出資する場合など、やる前の段階で「損」も「得」もありうる。チケットが売れなければ巨額の赤字を計上することになるし、チケットが売れても投資を回収して利益を出すまでに長いものでは何年もかかる。
「ビリー・エリオット」はまだロンドンでも製作前の段階なので、面白いかどうかもわからない。でもやる方を選んだ。
「ハリー・ポッター」に関しては面白いのはわかっている。損か得かわからない。でもやる方を選んだ。
「ビリー・エリオット」はもとになる映画を見ていた僕の、「絶対面白いはずだ」という過信こそ最も重きを置いた点で、なかば無理やり「面白い」と判断した。
「メリーポピンズ」や「ハリー・ポッター」は、「やることでホリプロにとって得るものが必ずあるはずだ」という「未来の得」に重きを置いて、こちらは強引に「得」だと判断することにした。
ミュージカル「Dear Evan Hansen」に出資したときは、SNSが流行っている今だからこそ「ふつうやるでしょ」という判断だったし、「Band’s Visit」の場合は、「DEH」で利益が出そうなので、「そんなラッキーパンチが当たったからといって、そのお金を日本に持って帰ってもしょうがない」という前提で、ちょうど世界中がイスラム国の脅威にさらされていた時だったので、この作品はブロードウェイの祈りを込めた作品として受け入れられるかもしれないという推測で「得」だと判断した。
周囲の状況や時代によっても、面白いかどうかや損か得化の価値基準は変わる。
確実にヒットしそうな作品で、絶対得することが分かっているものを「やる」と判断することは誰にでもできる。よほどひどい作品にでもならない限り、予想通りヒットする。この程度の判断ではあまり心が動かない。
無理やり推測して、「面白い」とか「得だ」と自分に言い聞かせて判断することこそ、アドレナリンが上がって、心も手も震える醍醐味だと思う。
ちなみにホリプロが上場を廃止する決断をしたときは、
「面白くない」し、「損」だから、「やめる」
といういたってシンプルな判断だったし、天王洲銀河劇場を買収して経営すると決めた時は、どちらかというと
「面白くない」、「損」、でも「やる」
だった。劇場運営だけで利益が出ないことは「面白くない」とわかっていたけども、大きな損も出そうにない。何かが残れば結果損も得もないだろう。じゃあやろう。となったわけだ。
去年建てた巨大な稽古場「リーホースタジオ」を作るときは、
「面白い」けど「損」、でも「やる」
先述したとおり、環境や社会情勢で判断は揺れ動く。でも決断しないことには何も始まらないし、終わらないから、できるだけ雑念が入らないようにシンプルに考える。
それが「やるかやらないかの3段方程式」だと思っている。
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