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ビリーへの道(再掲)


2017年ミュージカル「ビリー・エリオット」上演中、「ビリーへの道」というテーマでツイートを繰り返していました。この初演が失敗すれば、二度と再演はないと思って必死だったのを思い出します。
あんなに苦労して頑張った子供の俳優達、スタッフの事を考えて、その過程を無駄にしたくなかったからです。140文字以内のツイートの時系列での羅列ですから、文章にはなっていませんが、改めて再掲します。
それでは、当時を思い出しながらお読みください。

マイケルがビリーにキスするシーンとラストでビリーがマイケルに駆け寄ってキスするシーンは何度見ても切なく美しい。80年代のイギリスでLGBTへの理解はまだまだ低い。マイケルの告白は勇気のあるものだったし、ビリーは拒絶せずに理解した。「またな」という挨拶が深い。

今日は航世ビリーを見た。バレエ歴の長い彼のビリーは真摯で伸びやかで、歌も芝居も本当に上手くなっていた。踊りが大きいのが魅力。凄い成長を遂げている。 お客様の幕間の会話を聞いていても、作品への愛情を感じる。

今日の泣き所は、オールダービリーの 大貫勇輔のドリームバレエのシーン。 ビリーに向けた優しい笑顔が、台詞以上に説得力があった。「リトルダンサー」の映画を見ている人には、この笑顔の意味がわかると思う。

東京公演も残すところ30公演余り。自分がどうしてこの作品に熱を上げたのかを何回かに分けてお伝えしたいと思います。題して「ビリーへの道」。 

まず映画「リトルダンサー」が素晴らしかったわけです。映画と舞台はリンクしていて、両方見ると個々の人物の輝きが増します

この作品は、話の過程で誰も死にません。恐ろしい怪人も出ないし、貴族の圧政に苦しんでいるわけでもないし、動物がしゃべるのでもなく、悲しい恋の結末も無い。「現代」の「民主主義の国」で起こる近所の話で、全員当たり前の人たちが主人公なのが良いのです。

警官隊のことは、映画でも舞台でも描かれていませんが、舞台では炭鉱労働者と対峙する時、「ストをクリスマスまでやってくれれば、子供を私立学校に通わせられる」と歌います。敵のように見えていて、実に普通の人たちです。 設定がすべて普通なのが良いのです。

魔法使いが出る作品でもないのに、ビリーが偶然バレエレッスンを見たことによって、ビリーだけでなく、どんよりしていた家族や街中の人が魔法にかかったかのように動き出します。数少ないチャンスを掴んでいく人たちを見て、自分がどれほどチャンスを逃してきたかわかるはずです。

バックステージツアーに参加いただいた方もいるので、ステージの秘密を少し。手で開けたり、押したり引いたりしているトイレやマイケルの部屋などは全部電動で動いています。強烈に重いのです。巨大なドレスの衣装も重くて、動くのも大変な上に踊っている役者さんはすごいのです。

2001年に「リトルダンサー」の映画を見ました。エンディングで大人になったビリーは「白鳥の湖」のプリンシパルで登場します。オールダービリーは、かのアダム・クーパー。
振付はマシュー・ボーン。その当時はマシューのことは知らなかったし、バレエなど見たこともなかったし、この「白鳥の湖」は普通の「白鳥の湖」と少し違うということにも気づいていませんでした。2003年、東京で「マシュー・ボーンの白鳥の湖」の公演に縁あって見に行きました。

その前の年、2002年にビリーがミュージカルになることを知ってオファーを出し始めた。 ここで初めて、この「白鳥の湖」が「リトルダンサー」のラストシーンの、あの白鳥の湖だという線が繋がった。 その時点で、マシュー演出振付の「くるみ割り人形」をホリプロで招聘上演することが決まっていた。

2005年、ビリーをロンドンに見に行った時、マシューとランチをした。「メリーポピンズ」を見た2日後、ビリーを観るその日だ。 マシューは、「ビリーにはきっと感銘を受けると思うよ」と言った。その段階でビリーもメリーも、ホリプロで上演することは決まっていない。

ちなみに2008年頃にロンドンへマシュー演出の「ドリアン・グレイ」を見に行った。この時、これは日本では絶対日本人でやらせてくれと懇願した。5年後の2013年「ドリアン・グレイ」日本公演、ダブルキャストの主役の1人が、今回のオールダービリー役の大貫勇輔。

ビリーエリオットをなぜやりたかったか?その一つが、「誇り」です。 ビリーも、お父さんも、お母さんも、街の人も、ウィルキンソン先生も、マイケルも、自分にそして周りの人やコミュニティに誇りを持っています。正直に生きている証こそ誇りだと思います。

お母さんはビリーを、ビリーもお母さんを誇りに思っています。お父さんは炭鉱労働者としての誇り、奥さんをすごく愛したという誇りを持っています。町の人たちは炭鉱町として国を支えたという誇りを持っています。ウィルキンソン先生は誇りを持ってビリーを町から送り出します。

マイケルは自分の生き方に誇りを持っています。トニーは炭鉱の若きリーダー格としての歴史と誇りを守ろうとします。お父さんは才能を開花させるビリーを誇りに思います。「誇り」が小さな社会の中に存在し、人の繋がりで支えられています。全然安っぽくないのです。
だから私は、自分も含めて「おじさんたちに見てほしいミュージカルだ」と言ってきました。 この作品を見てくれたおじさんたちに、何を感じたか是非感想を聞いてみたいのですが…。
私もいいおじさんですが、芸能の仕事に誇りを持って生きています。エンタテインメントのない世の中など想像できません。誇り高き社員諸君と、素晴らしいアーティスト、役者、アイドル、声優、芸人などを送り出し、心震える映像演劇作品製作に挑戦しています!

「ビリーエリオット」公演を実現させるための最大の難関は、上演時間だった。日本の法律では、満15歳未満の「子役」は、原則20時までしか仕事ができない。特例として厚生労働省が認めた場合のみ、21時までとなっている。これが一番キツかった。

3時間に及ぶ上演時間を考えると、17時前に開演しなければならない。21時までに認められても、万が一上演時間が伸びたときのことも考えて、18時前には開始しなければならない。日本の会社の就業時間を考えれば、興行として成り立ちにくい。夏休み時期でなければ難しいのだ。

ブロードウェイの場合、就学児童が演劇に出演する場合、制作側で家庭教師を雇用し、通学しているのと同じ教育を上演期間中に行える状態であれば、翌日学校がある場合は22時、ない場合は0時30分まで出演が認められる。だが、日本にはこうした法律はない。

この段階で上演を諦めるという選択肢もあった。背の低い大人で代演することもできない。もうやるしかない。「歌舞伎だって4時半からやってるじゃないか」、それだけしか心の拠り所はなかった。 それでもこの作品を上演するには、まだ乗り越えなければならないハードルがあった…

それは…、 高額な制作費をまかなえるロングランができる劇場が確保できるか? もしオーディションでビリー役ができる子供に出会えなかったら? だった。

東京ではここ数年で、青山劇場やゆうぽうとなど大劇場が次々閉館している。公共が運営している劇場は、使用者公平の立場から1ヶ月以上は貸してくれない。通常劇場の予約は2~3年前にはほとんど決まってしまうこともあるため、民営の劇場でやる以外ない。

ビリーを上演するには、最低3ヶ月の上演期間が無ければ、とても制作費を回収することはできない。シアターオーブは招聘物が中心なので、当初からビリーを上演するには民間で劇場を所有しているTBSさん以外考えられなかった。幸いACTシアターが3ヶ月借りられることになった
東京3ヶ月に大阪の梅田芸術劇場さんが加わり、4ヶ月公演が可能となったことは、ビリー上演にとっては大きな前進だった。大劇場を所有していないことは本当に苦しい。今後再開発地域を中心に、可能であれば1000席以上の大劇場をホリプロで所有したいと思っている。

次は主役だ。バレエもジャズもタップもアクロバットもできる小学生なんか初めからいるはずが無い。オーディションで選考することになるが、その上1年以上レッスンをして、上演が終わるまで、身長147センチ以下で声変わりをしない子供をどうやって見つけるのか?確証も無い。

ビリー役オーディションに当たって、ホリプロスタッフは各バレエ教室、発表会を中心にチラシ撒きや告知を行った。個別に参加を促した子もいた。そうして集まった1346人の子供たち。海外スタッフも来日して第1次オーディションが始まった。この中に本当にいるだろうか?
この中にビリー役ができる子がいなかったなら、正直諦めようと思っていた。博打に負けたと思えば大したことは無い。バレエの経験はあってもジャズダンスの経験は無い。ブレイクダンスはできるけどもそれ以外はできない。タップの経験はほとんど無い。「大丈夫か?」

海外スタッフは、子供たちの可能性を信じている。開幕までにできればいい、ビリーという役を生きられる体力と精神力を見ているようだった。声や骨格は、医師が診て補佐をする。こうして1次審査を経て何人かの少年が、ビリー役の2次審査に進むことになった。

海外スタッフ帰国後も、各少年に合わせたカリキュラムが組まれ、それぞれの地元に帰って課題をこなす。熊川哲也さん主宰のKバレエ、コナミスポーツクラブ、Higuchi Dance Studioがバレエ、アクロバット、タップの指導に当たる。 徐々に全貌が見えてきた。

2016年8月、夏休みを利用した集中レッスンが行われ、ビリー役候補が7名に絞られ12月の最終オーディションに進むことになった。 そして2016年12月16日。ビリー役と平行して進めていたマイケル役も含めて、ビリーエリオット日本版キャストが発表されるはずだった。

ビリー役決定の瞬間を固唾を呑んで見守る...だが演出補のサイモンは「ここにいる全員がビリー、マイケルにふさわしい素晴らしい才能を持っている。結果選ばれなかったとしても君達は素晴らしい!それを支えてくれたご家族も素晴らしい。今日は感謝の意味もこめて、みんなの前で見せ付けてやろう!」スタジオの中にご家族が招かれ、その前で子供達全員でExpress Yourselfを歌い踊った。子供たちは笑顔。家族は涙。オーディション会場によくある緊迫感は無く、晴れやかに終わり、後日電話連絡で結果を伝えることになった。

みんなが見ている前で、受かった子と、残念だった子が出てしまっては、せっかくのオーディションが悲しい思い出になってしまう。泣き顔を見られたくない子もいるだろうという海外スタッフの配慮だった。 これはさすがに目からうろこだった。その通りだと思った。

こうして日本初演「ビリーエリオット」のビリー役として加藤航世、木村咲哉、前田晴翔、未来和樹が選ばれた。 翌17年5月15日の顔合わせの場で、山城力が5人目のビリーに選ばれたことが発表された。

そしてビリーエリオット役の5人は、ケガもせず、ほとんど弱音も吐かず、風邪も引かず、自分が本番の回で一回も休まず3ヶ月、全力でビリーを演じ切りました。3時間弱ほぼ出ずっぱりの主演。大人でも大変なのに、この責任感は凄い。海外スタッフの眼力は正しかったのです。


この作品を見てビリー以外の登場人物にも愛着があるはずです。この作品をなぜやりたかったか?その理由の一つです。

まずお父さん。彼の歌う「Deep into the ground」をどうしても日本のおじさんに聞いてほしかったんです。この歌ほどオッサンの悲しみが詰まった歌はありません。奥さんに先立たれ、息子たちも巣立ち、人生をかみ締めて立ちすくんでいる様子がわかります。

この作品をおじさんたちに見せたかったのは、振り返って悲しんでも仕方ない。これからどうするのか?一緒に見た奥さんや子供、友人達と分かち合ってほしいということでした。仕事をリタイアした後、近所でやることも、仕事以外の友達もいないというのは寂し過ぎるからです。

休憩中の劇場の喫煙室で、私と同年代以上の男性が「外人の名前が覚えられない」「よく寝た」「あと何時間?」と話している姿を見て、なんとかしないとなあと思っていました。ビリーの父は、自分の価値観と真逆にあるバレエに打ち込む息子を見て、人生が変わりました。
ビリーのお父さんは、私たち中年男性の期待の星であると同時に、私たち自身なのだということを見てほしいと思っていました。

続いてウィルキンソン先生。 最後ビリーとの別れのシーン、先生は自己否定の台詞が続きます。映画版でも詳しい生い立ちは表現されていませんが、なぜダーラムでバレエ教師をしているのかを推測することで背景が創造できると思います。
ウィルキンソン先生がいなければ、ビリーの未来は開かれなかったはずです。昔は近所にいたような、いつも子供を応援してくれるおばさんのような存在です。我々の世代にはノスタルジックな人物です。 コミュニティの豊かさを伝えるこの作品にとってかけがえの無い人物です。

トニーです。ビリーがいなくなって一番さびしいのはトニーのはずです。映画版では、ビリーがバスに乗り込んだ後も、なかなか目をあわさず「I miss you」と泣きながら言いますが、ビリーには聞こえません。愛情表現が下手なトニー、こういう人も近くにいるはずです。

おばあちゃんは、映画版ではもっとボケていて、昔少しバレエをやっていたという設定ですから、ビリーに才能が隔世遺伝したのかもしれません。「Granma's Song」は過去と現在がオーバーラップした美しいシーンです。僕は海外版より日本版のキャラの方が好きです。

ジョージの「集会所へ行かなくっちゃな」という台詞が好きです。気の良い労働者のおじさんも昔は近所によくいました。何の仕事をしているのかわからない、おっかないんだか優しいんだかもわからない、でも愛嬌ある人です。ジョージがいるから、みんなホッとできるんでしょう。

オールダービリー。映画版ではお父さん、トニー、マイケルが劇場に駆けつけた中、アダム・クーパーが白鳥として飛び立つシーンに、お父さんが涙するシーンで終わりました。あのお父さんの喜びのシーンが、僕をこのミュージカル日本公演へと駆り立てたと言えるでしょう。

ミュージカル版では映画のラストシーンがカットされた分、ミュージカル史に残るような美しいダンスとして「大人のビリー」が登場しました。未来のビリーが、今のビリーを勇気付け、その踊りを見たお父さんがすべてを理解するシーンとなりました。このアイデアは凄い!

デビーは、男の子からみた女の子の象徴的な姿だと思います。こまっしゃくれてて、大人ぶるし、いつもシニカルに物事を見ていて、それでいて子供っぽい。舞台上のどの場面でも他のバレエガールズとは違う表情や態度をしているのが本当に面白いです。
デビーを通してビリーの性格を推測すると、男っぽくて、優しくて、まっすぐものを考える子だというのがわかる気がします。 意地悪してもビリーのことが好きで、素直にそれを言えないもどかしさやいじらしさが、あのシーンでわかるような気がします。

最後はマイケルです。 海外スタッフもマイケル役を選ぶに当たって、とてもナーバスでした。LGBTの要素を含んだ役なので、学校でいじめられたり、理解されないことを心配していました。でもマイケルは映画版でも、ミュージカル版でも影の主役です。
映画版のマイケルは、ラストでビリーの「白鳥の湖」をパートナーと一緒に見にきます。彼もビリーと同じく、自分に忠実に生きた人として描かれます。映画版に比べてミュージカル版の方が、マイケルは明るい設定になっています。
それが「Expressi Yourself」の二人のタップダンスへとつながります。これもミュージカル版の素晴らしいところです。 クリスマスパーティーの後のシーン、こことエンディングがマイケルの見せ所だと思います。映画版でも、愛情あふれるシーンの一つです。
ビリーのことが好きなマイケルは、ビリーがバレエを諦めればずっと一緒にいられると思っていて、それが「まあそれが一番さ」と言った後のセリフへと繋がります。 だから、マイケルがビリーにキスするシーンは、微笑ましいシーンではなくて、一世一代の告白シーンなのです。
この3ヶ月で、マイケルのキスシーンで笑い声が起こらなくなってきたことが、本当に嬉しいです。80年代のイギリスの田舎で、男の子が男の子に告白するのは大変な事です。明日からイジメられてもおかしくない。そんな哀しいシーンだからです。でもビリーは内緒を約束します。
映画版でもミュージカル版でも、マイケルが「Dancing Boy!」と呼びかけて、ビリーが駆け寄ってキスするシーンは感動的なシーンです。ビリーはマイケルの告白を理解しつつ、決別する。それをマイケルは見届ける。切ないから応援したくなる、マイケルも私達なんです。

ビリーの「またなマイケル」。それに対してマイケルの「またなビリー」までの間。寂しいような力強いような、印象的なシーンだと思います。このマイケルの間はとても大切です。ここで拍手が来てしまうと、この作品は台無しになります。是非マイケルを見てください!

日本版のマイケルズたちは、本当に上手かったと思います。マイケルズに巡り会えたから「ビリーエリオット」日本版はうまくいきました。 マイケルはそれほど難しくて、大事な役です。 マイケルも表向き普通の子ですが、心の奥底にある皆さんの希望なんだと思います。

映画を見たとき、ロンドンで最初にミュージカルを見た時、これは私の話だと思いました。だから、皆さんに見て欲しかった。おじさんや小さい子やお母さんに見て欲しかったんです。十数年間この作品を追い続けて来て、明日大千秋楽を迎え、皆様に愛されて、私は本当に幸せです。

これから大阪へ。この2年、ビリーズのご家族も大変だったと思います。感謝感謝です。 同様にマイケルズ、バレエガールズのご家族にも感謝です。この人達の支えなしでは「ビリーエリオット」は成立しません。皆さんオーディションを受けて下さりありがとうございました。

ビリーのお母さんや、炭鉱の人、警官達、バレエダンサーズみんな普通の人です。ここでいつも言っていたように、普通の人が全て輝いています。そして全て暗い影の下に生きています。近所の話に出てくる、近所の人が皆愛らしいということが、僕を引きつけました。

近所の人の話に、近所の人が集まってきて、ビリーズやマイケルズ達を見守る近所の人にお客様がなってくれたことが、この作品を支えてくれました。毎日お客様のツイートを読む度に泣きそうになりました。「ビリーエリオット」という作品は、皆さんの作品なんです。

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