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人生を変えたミュージカル「ビリーエリオット」

ミュージカル「ビリー・エリオット」については、2017年の初演、2020年の再演時に語りつくした感があるので、当時Facebookに掲載したもの、Twitterでつぶやいていた「ビリーへの道」を2回に分けてこちらで再度ご披露することにしました。
早い話、ゼロから書くよりコピペの方が楽なので...。
では前編。こちらは2017年日本初演の初日直後にFacebookに掲載したものです。
当初初日を迎えたころは、まだまだチケットが全然売れていなくて、2階席がガラガラという日もありました。数億の赤字になるかもしれないと腹をくくっていたことを思い出します。
しかし初日を終えて、お客様が感激した感想をおびただしい数ツイートしてくれたことで火が付きます。
明らかにこの日から状況が一気に好転していった時の話です。
文中に出てくるフライング専門会社Flying by FOY という会社、現在上演中の舞台「ハリー・ポッターと呪いの子」のフライングも担当しています。
これも何かの縁でしょう。

ビリー・エリオット初日を終えて

「 ビリー・エリオット 」が初日を迎えた。これまでのことを書き留めておこうと思う。
37年前、ホリプロは芸能プロダクションとしてはじめてミュージカル製作に乗り出した。それが「ピーターパン」だ。
ちなみに「ミュージカル ビリー・エリオット」でフライング技術を担当したFlying By FOYという会社。亡くなったピーター・フォイさんという人が創設した世界的なフライング専門の会社で、「ピーターパン」初演のときは、このピーター・フォイさんはまだバリバリの現役で、実際に来日して日本で初めてのフライングを担当した方だ。
2017年版「ピーターパン」を演出している藤田俊太郎さんは、この初演の年に生まれ、はじめて見たミュージカルが「ピーターパン」だったそうで、また藤田さんは蜷川幸雄さんの作品で演出助手としてホリプロとは数多くの蜷川作品でご一緒している。そういう意味でも、ピーターからビリーまでは一本の話でつながっている。

ビリーに話を戻す。僕が映画「リトルダンサー」を見たのは、2001年。記憶は定かではないが、T-REXの音楽が流れる予告編が気になって見に行ったのだと思う。日本版ミュージカルでも、終演後にBGMとしてこれらの音楽が流れているので、興味のある方は聞いてください。
さて、映画を見た僕は、言葉にできないほど感動した。音楽とダンスシーンとビリーのお父さんの悲しさと人々の優しさが詰まった素晴らしい映画だった。
本当にビリーのダンスシーンはカッコよくて、マイケルの存在は本当に切なくて、それでいてコメディポジションをきっちり持っている。
ビリーが踊る坂道のシーンには背景に海が見えて、同じ坂をビリーのお父さんがウィルキンソン先生の家に向かって駆け上がっているシーンも名シーンだ。
ちなみに、映画「リトルダンサー」のラストで、大人になったビリーが踊っていた「白鳥の湖」は、「SWAN LAKE」として日本でも上演されたイギリスの著名な演出、振付家マシュー・ボーンの振り付けによるもの。
マシューとホリプロは、彼が主宰するニュー・アドベンチャーズ「くるみ割り人形」日本公演以来、「シザーハンズ」や、最新作「レッド・シューズ」に至るまで10年以上にわたってともに仕事をしている。
またオールダービリー役のアダム・クーパーとは、ミュージカル「Singin’ in the Rain」日本公演で一緒に仕事をしている。
さらに、日本で上演されたマシュー演出の「ドリアングレイ」で主役を演じたのは、今回の「ビリー・エリオット」でオールダービリーを演じている大貫勇輔。同じくマシュー演出の「Sleeping Beauty 眠れる森の美女」日本公演でプリンシパルだったリアム・ムーアは、2005年の「ビリー・エリオット」ロンドン初演の初代ビリーのうちの一人。
話を戻そう。
2002年のあるとき偶然WEB版の演劇誌「Playbill」を見ていて、驚きのニュースを見つけた。
あのエルトン・ジョンが、リトルダンサーをミュージカルにしようとしている!!
すぐに公演事業担当の役員に調べるように伝えた。
幸い、蜷川作品をロンドンで何度も公演を行っていたおかげで、現地の演劇関係者からこの、「リトルダンサー」の映画を製作したワーキングタイトル社がミュージカル版も製作するとの情報を得て、早速交渉を開始した。まだ「ビリー・エリオット」がミュージカルとしてロンドンで幕を開ける前のことだ。
その後2005年、ロンドンのビクトリア・パレス劇場で「ビリー・エリオット ミュージカル」は幕を開け、瞬く間に大評判となった。その年の冬。僕はこの作品をはじめて見て、正直ノックアウトされた。1幕目から涙が止まらなかった。同時に腹が立ってきた。
こんなすごいもの、我々は作れるだろうか?できっこないと思った。
この時私に同行して、この作品を見た社員は、今回の日本版のプロデューサーの一人である。


その後一度は、正式にこちら側のオファーは断られる結果になった。縁がなかったと潔く諦めていたところ、数年前突然先方からもう一度交渉再開の打診があった。
それからはあれよあれよという流れで、上演契約に至る。
契約書にサインする直前となった2015年5月、蜷川さん演出の「ハムレット」公演のため訪れていたロンドンで、「ビリー・エリオット」の映画版、ミュージカル版共にプロデューサーであるワーキングタイトル社のCEO,エリック・フェルナーさんにお会いした。
「ぜひ日本公演の初日に東京でお会いしましょう」、私の言葉に彼は「必ず行きます」と約束してくれた。
そして昨日、「ビリー・エリオット」東京初日のためだけに、フェルナーさんはプライベートジェット機に乗ってやってきてくれた。約束を守ってくれたのだ。

昨日の初日には、映画版ミュージカル版ともに脚本、作詞をしたリー・ホールさんも家族でやってきてくれた。
イギリスの東北部で育った彼にとって、作家になるということは、ビリーがダンサーになるのと同じ、途方もないことだと思われていたそうだ。
その彼が、昨日のレセプションで、「この日本公演は、自分が書きたかったものがすべて詰まっている。キャスト、スタッフがすべて反映させてくれた。世界の公演の中でもベストだ」と言ってくれた。

1年半以上のオーディション、レッスンを経て舞台に立つ5人のビリーたち、彼らに出会わなかったら、この作品は成立していなかった。オーディション終了の時点で製作中止していたかもしれない。最高の出会いのひとつだった。
バレエガールズや、トールボーイ、リトルボーイたち。彼女たちにも感謝している。
そして大人キャストの皆さん、それぞれが素晴らしいキャリアを経て、この作品に参加してくれているからこそ、この作品はファミリーミュージカルではなく、大人のための作品として、僕が惚れたまま、それ以上の形で日本で上演できる。演劇の力を見せてくれる。
18週間、家族の下を離れ、日本でこの作品への愛情をスタッフやキャストに伝えてくれた海外スタッフ、彼らのプロとしての仕事には目を見張った。
イギリス北部、ダーラムの訛りを日本で表現するために、九州北部の方言を取り入れた翻訳、訳詩のお二人。海外チームに付きっ切りでいてくれた通訳の3人。ダンス、体操の育成に協力いただいたKバレエ、ヒグチダンススタジオ、コナミスポーツクラブの皆さん。
そして、早い時期から特別協賛いただいた大和ハウス工業株式会社様。ダイワハウスの皆さんのおかげで、オーディションからずっと心強い気持ちを保てました。
今スタートに立って、すべてのスタッフ、キャスト、関係したすべての人々にに感謝の言葉しかない。プログラムにかけなかったすべての思いをお伝えしたい。
「ビリー・エリオット」は、昨日お客様の手の中に、記憶の中へと渡された。あとは、大阪での大千秋楽で、「大成功だった!」「再演を目指したい!」と言ってみたい。
「ピーターパン」から始まったわれわれの長い長いストーリーは、これからも続いていく。

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