【反出生主義】アベプラを視聴して

はじめまして。
新卒1年目の社会人、ほりと申します。

今回はAbemaPrime(アベプラ)を視聴し、反出生主義に深く共感を覚えたため筆を執らせていただきました。

以下、私が今回初めて反出生主義という思想に出会い、何を感じたのかについて書いていますのでご一読いただければ幸いです。

※本記事は現在生きとし生ける人々を否定しているわけではありません。著者の私が出産や子育てについて根本から直し、思考の整理をしている記事だと捉えていただければと思います。

かねてから私は出産や子育てに関して、自分と世間との考え方の違いを痛感していた。私の思想では、出産は"親のエゴ"である。この字面を見ると私のことを人でなしにしか思えないだろうが、そこを大きく否定するつもりはない。

私がこの思想に落ち着いたのは自分の幼少期が影響しているのではないかと考える。幼少期の私は両親と衝突したとき「誰のおかげで飯が食えてるんだ」「誰のおかげで学校に通えてるんだ」という言葉をたびたび浴びせられていた。正直「うぜえ」としか思ってなかったが、その場でそこに反旗を翻すことはしなかった。実際に両親の協力無しで生きることはできなかったからだ。心の中で「そうだよ、その通りだよ。けどな、お前らのエゴで生んどいてどの口が言ってんだよ。」と何度も思い、口に出しそうになったこともしばしばであった。

事実として、この世に生を受けるか受けないかという選択権を持っているのは100%親である。子供には1%も選択権はない。こうした事実を自らの苦い経験を踏まえ、『出産は"親のエゴ"』というキツい言葉で表現してしまっている。

このような類いの悩みを経験してきた大人や、今実際に直面している青少年・少女は少なくないのではないだろうか。親は良かれと思って子供に行動規制をする。非行に走ることを抑止できたり、外部の危険から守っている側面は大いにあると思う。ただ、子供からしたら余計なお世話としか感じていない。実際に私はそうだった。門限を設定されたり、お小遣いの使い道を制限されたり、親の管理に次ぐ管理には相当うんざりしていた。「なんで自分はこの家に生まれてきたんだろう」と思ったことは1度や2度ではない。

こうした経験も踏まえ、私は子供を授かるつもりはないと考えている。子は親を選べないし、自らの力で嫌な環境から逃れることはできない。私のような人でなしの元で生きるなんてかわいそうだと思ってしまう。仕事に従事することに満足しているという自らの都合ももちろんあるが、将来生まれてくる子供のことを思っての判断という要素が大きい。

社会全体がそうあるべきだとは思わないし、「この家に生まれてきてよかった」と思えている家庭もあると思う。そうなると番組内でも言っていたように私は反出生主義ではなくチャイルドフリーという思想なのかもしれない。

世の中の常識に疑問を持ち人間としての在り方を模索することこそが生きているということなのかもしれないし、人に対して優しくありたいと思い続けることが大切なのかなとアベプラの視聴で再確認できた。ただ、自らの価値観を他人に強要しないようにすることには大いに注意したいと思う。

死ぬときに「この世に生を受けてよかったな。父さん、母さん、ありがとう。」と心の底から思えるように明日からもコツコツと生きていこうと思う。

2021/05/29 ほり



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