《推薦》ナオミ・クライン『楽園をめぐる闘い』
2018年6月に刊行されたナオミ・クライン『The Battle For Paradise: Puerto Rico Takes on the Disaster Capitalists』。これを日本で1年たたずに邦訳『楽園をめぐる闘い』刊行したのは、このプエルトリコにおきた危機、それに対する闘い、「プエルトリコはどのようにダメージを受け、それに抵抗をしているのか」が日本でもひとごとではなく、すぐにこの情報を日本へ届けたかったからです。
その気持ちを共有してくださる方々が、本書の推薦人として名乗りでてくださいました。私たちが、災害を、災害に便乗しておこる様々な「資本主義リアリズム」をどのように乗り越えるべきか。その希望がこの本にあります。読み、そして立ち上がりましょう!
『楽園をめぐる闘い』4月16日までの堀之内出版ウェブストアでの予約には特典としてトートバッグが付きます!
《推薦人(50音順)追加情報アリ!》
麻田江里子(編集者、1986年生)遠い異国の他人事ではない、と思いました。特に東日本大震災後の私にとって、身にしみて理解できることでした。弱い立場の人々を知り、弱い立場の者自身も学び、声をあげることの大切さを感じています。
天野潤平(編集者、1989年生)5年ほど前、石垣島から10分ほどの距離にある離島に1週間ほど滞在した。
毎晩のようにチャンプルーと新鮮な海の幸をつまみ、オリオンと泡盛をベロベロになるまで呑んだ。眩しい星空に見とれながら眠りにつき、目が覚めれば真っ青な海に潜りに行った(もちろん浜に上がれば缶ビールが待っていた)。珊瑚もカラフルな魚も、熱帯特有の植物も、伝統的な赤瓦の街並みも……目に飛び込んでくるすべてのものが美しく、「楽園」とはまさにココなのだと思った。
最後の晩、泊めてもらっていた家主のもとに一人の島民が訪ねてきた。最初は和やかに泡盛を嗜んでいたが、ふと、数年前にできたリゾートホテルの話題が出た。その瞬間、彼は急に深刻な顔になり、この島の「開発」のことを熱っぽく語り出した。酒の席でのことだし、あまりに唐突だったのでディティールは覚えていない。しかし、「この島は、俺たちが守り、つくってきたんだ」――そんな趣旨のことを言っていた気がする。
『楽園をめぐる闘い』を読んで真っ先に思い出したのは、その夜のことだった。
この「美ら島」の民たちは、ある企業のリゾート開発により分裂させられた。一方は、この島の伝統を、自然を、自治を守ろうとした。一方は、新しいリゾートがもたらした経済的な恩恵を喜んだ。抗議も起きたが、結局は立派なリゾート施設が完成した。
羽田に降り立つと、同じ便に乗っていたのか、女性たちが「あのホテル本当によかったよね」と楽しげに語らい合っていた。複雑な気持ちになった。あの夜に垣間見たあの島民の傷はまだ生々しく、癒えていないように思えた。そして当時も今も、この島は外からやってきた開発という「脅威」に揺れ続けている。
ナオミ・クラインが描き出したカリブの楽園、プエルトリコの物語を知ったとき、まったく他人事に思えなかったのは、あの島での経験があったから、さらに自分が、この問題山積みの日本という国に暮らしているからだろう。
有薗真代(大学教員、1977年生)
井手ゆみこ(ジュンク堂書店池袋本店人文書担当、1984年生)プエルトリコの抵抗の歴史からは、現代社会にどっぷり浸かった私たちには見えなくなった資本主義の姿が浮かび上がります。外からの介入に翻弄されながらも自らの思考、行動を止めないプエルトリコの人々の力強さが印象的。決して遠い地の出来事ではなく、現代を生きるすべての人に関わることだと思い知らされる一冊です。
稲津秀樹(鳥取大学地域学部教員、1984年生)これは誰のための「ユートピア」なのか?-災害後のプエルトリコから届けられた問いかけは、「復興」をめぐる私たちの課題にも確実に通じている。著者は言う。災害後の時間は「過去にあったものを再構築するための時間なのではなく、むしろ、あり得たかもしれないものへの変革の時間」なのだと。幾重もの「ショック」とせめぎ合いながら立ち上がる「複合的主権」の萌芽を活写した災害後ドキュメント、緊急翻訳。
岩熊典乃(大学教員、1982年生)
浦田千紘(人文書院営業部、1,988年生)ハリケーン・マリアで壊滅的な被害を受けた住人たち、彼らをよそに新自由主義的な政策を進める知事、そしてプエルトリコをタックス・ヘイブンにする超富裕層たち。それぞれがそれぞれの合理性をもって「楽園」を追い求めるからこそ、闘いは終わらない。それでも本書は北極星のように、どこを見すえて闘い続ければいいのかを指し示してくれる。
江連旭(編集者、1993年生)雑草のように強靭に、へこたれない。どうしてだろう、なんだか血が騒ぐ。
呉世宗(琉球大学教員、1974年生)プエルトリコの未来は、沖縄の未来である。『楽園をめぐる闘い』は、ビエケス島の米軍基地を撤退させたプエルトリコの今、苦しいまでの現状を伝える。ハリケーン・マリアによる甚大な被害に乗じて推し進められた新自由主義的「改革」によって、プエルトリコの人々は住まいも、電力も、食糧も、そして教育もが奪われ、そしてさらに奪われようとしている。そしてその背景には合衆国との植民地主義的関係がある。要するに合衆国との植民地主義的関係は、基地によってのみ現されるのではなく、米軍基地が撤去されたあとも形を変えて持続するということである。しかし他方で著者のナオミ・クラインは、プエルトリコに蓄積されてきた抵抗とその記憶と結びつきつつなされている、「複合的主権」――食糧主権、エネルギー主権、教育をめぐる主権など――についての人々の議論を聞き取り、実際行動に移されていることを本書を通じて伝えている。それは人々にとっての豊かな未来を実現のための構想と行動となっており、米軍基地撤去に至る過程や方法だけでなく、撤去を実現した後についても沖縄が学ぶことは多くあるだろう。加えて言えばその学びは、沖縄だけでなく、人為的な「災害」が起き続けている日本全体でなされる必要があるものである。よって本書は広く読まれるべきものであり、強く推薦する。
大泉洋子(編集者・ライター、1963年生)ヒトがこの地球上にうまれ、木を切り、森をひらいて生きてきた長い歴史のなかで、古代よりずっと、自然災害が起きれば、人は、自分たちの暮らしを元通りにし、それも機にしてか、「より豊かに暮らしていけるように」と環境を整えてきた。数々の開発も同様に。だから今、こうして私たちが快適に生きていられるのだとしても、でも、いったい、いつ、なぜ、歪んできてしまったのだろうか。本書にまとめられたプエルトリコでの事例を読むまでもなく、私たちが知る限りの歴史の中でも、整備や復興という名のもとに、弱い立場の人々が苦しみ、対立や葛藤、富の集中などが生じている。自分が渦中にいないと、つい他人事のように眺めてしまうけれど、もう、そんなことをやっている場合ではないと、これもまた、ずいぶん前からみんな気がついているはずだ。
『楽園をめぐる闘い』の発行は、私たちみんなが知り、学び、次の時代につなげていく大きなチャンスである。ひとりでも多くの方が読んでくれることを願う。
隠岐さや香(名古屋大学教員、1975年生)
葛生知栄(晶文社編集者、1986年生)抗うことが難しそうな強力な社会の流れが、一部の恵まれた人びとによって、利己的に力ずくでつくられたものだとしたら……。
持続可能な共同体の仕組みづくりを考えるとき、同時代の相似現象とその冷静な分析に目を向ければ、たいせつなヒントを見いだせるはず。「歴史の手綱を掴」むべきは、人類の経験から学び考える人びとである。
小曽川真貴(認定司書、1976年生)
齋藤隼飛(『VG+ バゴプラ』編集長、1991年生)ディストピア論を並べ立てるだけではなく、ユートピアの真価を論じるクライン。私たちの想像力が試されます。
笹久保伸(音楽家/秩父前衛派、1983年生)
椎名寛子(北樹出版編集部、1983生)「沖縄の基地をめぐる状況に関心がある/新自由主義といわれてもいまひとつイメージがわかない/次世代に何をどう残すのか、真剣に考えたいとは思っている」……そんなひとに届けたい本書。新自由主義型グローバリゼーションの最先端でいま何が起きているのか。一方にとっては「残酷」な、他方にとっては「至福」の現実を活写しつつ、現実に立ち向かう人びとの声や営みが力強く描かれていきます。読みやすい翻訳で、訳注や解説も行き届いており、短い文章に慣れたひとにこそおすすめ。現代社会の点と点とをつなげ、その先の道筋を照らしてくれる一冊です。
塩田潤(神戸大学大学院生、1991年生)3.11の後の東北はどうだったか?熊本は?大阪は?プエルトリコの現実は、災害大国日本の今か、未来か。自然災害に便乗し、豊かな島々は資本家たちの「楽園」となってゆく。しかし、嵐の前に民衆は団結する。「絶望から可能性」を切りひらく、プエルトリコの経験をぜひ多くの人に読んでほしい。
篠田里香(書籍編集者、1971年生)実利主義が加速するプエルトリコにあって、淡々と「オルタナティブ」を模索する人々がいることに心底励まされる。私がこれを読んで真っ先に思い浮かべたのは、沖縄のことだった。遠い異国の話なんかじゃないんだ、これは…!
須藤建(編集者(児童書)、1979年生) 大災害に見舞われ、脆弱性が明らかになった大規模発電のシステム。輸入燃料や食料への過度な依存。緊縮財政。そしてアメリカとの植民地的な関係――。プエルトリコの話なのだが、読んでいて、まるで他人事には思えなかった。ナオミ・クラインは災害後の状況に鮮やかに線を引き、危機に乗じて島を収奪しようとする災害資本主義者たちと、それに対して、さまざまなレベルで主権を取り戻そうと試みる人びとの姿を描き出す。これは、ひどく恐ろしいと同時に勇気づけられる本だ。
印象的な言葉がある。「数世紀にわたり網の目のような支配のもとで生きてきた」結果、「プエルトリコの人びとは大きなことについて考えることにとても臆病」になっている、それこそが「植民地主義の最も苦い遺産」だという。
「大きなことについて考えることにとても臆病」これが私たちのことではなくて誰のことなんだろう。基地の問題にしても原発のことにしても、おかしいことはおかしいと言えずに、冷笑的な現実主義者を気取る人間のなんと多いことか!
自分たちのことを、自分たちで決める。当たり前のことのようでいて、そうはなっていない現実を変えるためには、どんなことを築き上げていかねばならないのか。本書にはそのヒントがたくさん詰まっている。
関口竜平(本屋(本屋lighthouse/ときわ書房志津ステーションビル店)、1993年生)クラインもプエルトリコもハリケーン・マリアも、正直言って自分の人生とは関係のないものだと思っていたし、実際そうだった。でも、これらは身近なものだったのだ。災害、そしてそれを機に生み出される各種の「変革」あるいは「人災」は、決してプエルトリコだけの話ではない。そして、そのことに気づかせてくれるクラインの真摯な文章は、難解な言葉や理論で私たち読者を突き放すことはしない。それはまるで「これはあなたの手の届くところにあるものだ」「未来はあなたの意思(意志)で作ることができる」と語りかけているように。だからいまは自信を持ってこう言える。私は「楽園」に対して無関係でも無力でもない、と。
嶽本新奈(日本学術振興会特別研究員PD、1978年生)資本主義と環境問題の双方を理解するのに良書だと思います。訳者あとがきと合わせて読むことで、遠い国の話ではなく「我々の問題」であることがわかりました。
谷垣大河(書店員、1994年生)プエルトリコの事例からは、海外資本への依存がいかに国家を脆弱にするのかということを再認識させられます。本書の内容を決して他人事にせず、日本のこととして読み換えるべき必読の書です。
中井亜佐子(一橋大学言語社会研究科教授)災害資本主義の残酷さだけでなく、それに抵抗する人びとがいること、人びとが構想する別の未来があることを、この本は教えてくれます。
中田英志郎(MALUZEN&ジュンク堂渋谷店 社会科学書担当、1984年)理想主義としてのユートピアを越えて。
橋本歩(書店員、1985年生)
文平由美(出版社勤務、1995年生)
松岡理絵(『ビッグイシュー日本版』編集部、1973年生)大きなものに呑まれそうな時でも、手に届く範囲に自分たちを支えられるものがあれば、明日に繋げられる。プエルトリコで起こっていることは、すべてそのまま私たちへの警鐘であり励ましでもある。
松冨淑香(マツトミ企画制作室(Bookstore松店主)、1969年生)男尊女卑と世襲制が強く、太鼓持ち精神&人の褌で相撲をとるような人が多い地域に住んでいると、長いものにもは巻かれろな現状や理不尽な力が働き、心ある人たちが利用される現場によく出くわす。知らないより知っていたいし、気づかないより気づくようにしたい。その方が強くなれそう。
宮崎勝歓(ふたば書房FUTABA+プリコ垂水店、1978年生)未曾有の災害を経て出現した「まっ白なキャンバス」。そこにどの様なビジョンを描くのか。読者はプエルトリコという「他者」を通して、日本という「自己」を否が応でも再認識するだろう。本書は、私たちがどんな社会を目指すべきなのか考えるうえで、知恵の宝庫でもある。現実を直視する作業は苦みを伴うが、「誰にでも今できることがある」。そんな気付きをもたらす勇気の書。
宮台由美子(代官山 蔦屋書店 人文コンシェルジュ、1979年生)避けられない気候変動による自然災害、災害資本主義者たちの実験の場。幾多の困難は、プエルトリコの人々に誰かが解決してくれるの待つ必要はないことを気づかせた。自分たちのできることを真剣に考え行動することは、不可能を可能にする。
困難は他人まかせにしてはならない。未来への希望の書。
村山加津枝(ライター&エディター、1958年生)「わたしたちはどのようなかたちの社会を目指したいのか、プエルトリコは誰のためにあるのか」プエルトリコを、日本、沖縄、福島、大阪、北海道、どこでもいいから入れ替えて考えるとき、この作品はとても身近なものとなる。
森 暁子(ジュンク堂書店池袋本店人文書担当、1978年生)「ユートピア」の負の側面を明らかにしつつも、肯定的な側面を手放さない。私たちの未来を考えるためにぜひ読んでいただきたい本。
若森みどり(大阪市立大学教授、1973年生)ナオミ・クラインによれば、プエルトリコの人たちは、ハリケーンの前に、オリンズでの災害便乗型資本主義の経験から教訓を引き出していた。民営化の名の下に、水や再生資源や土地や食糧や教育機関や医療といった公共財産が不当に安く売られる事態について目を光らせていた。課せられていた法外な債務の支払いが憲法違反である事実を勝ち取った闘いは、プエルトリコの主権や民主主義にプエルトルコ人自身が内容と意味を与えた例であった。だからこそ、何がプエルトリコで生活する人びとにとっての楽園であるか、を見失わなかったのだ。堤未果『日本が売られる』やレベッカ・ソルニットの『災害ユートピア』と比較するなどして、いろんな角度から読んでみたい、と思った。
渡辺寛人(雑誌『POSSE』編集長、1988年生)クラインの鋭い洞察にもとづくプエルトリコの分析は、日本社会の変革を考えるうえでも多くの示唆を得られるに違いありません。必読です。