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コマーシャルの70年


【はじめに】

『虹をつくる男たち』向井敏著
文藝春秋 (1983.02.15.)

高度経済成長期に入る頃、1951年9月1日はじめての民法ラジオ局が開局しました。

中部日本放送(CBC)と新日本放送(NJB)のちの毎日放送(MBS)

この本『虹をつくる男たち』には、当時のラジオCMの話題から、この本が出版された1980年までの30年間を振り返り、向井敏さんが200編の短文とエッセイで綴られています。
この本をベースに、1980年以降のCMも追記しました。
今回のNoteから「商品と消費者の間に虹をつくるクリエイター達の背景」がわかれば幸いです。

創生期のラジオCM / 
コニカ 小西六写真工業

国内初のテレビCM / 
精工舎

それまでの、新聞などの活字媒体の広告ではなく、ラジオCMやテレビCMなどの電波媒体の移り変わりを見る事が出来ます。

桃屋「のり平」シリーズ

助六編
「何はなくとも 江戸むらさき」

アイデアル洋傘

当時の5秒CMでは、商品名を言い立てるだけになるので、商品の頭に見出し的な言葉を付けていた。
「何であるアイデアル」

昭和の代表的なCM(6本)

森永ミルクキャラメル(1954年)

商品の頭に見出し的な言葉を付け加えるノウハウは、いわゆるキャッチフレーズとして普及して行きました。
但し、奇抜さを狙ったCMも現れ、CMの「低俗」「良識」論議が沸き起こった。
「低俗」「良識」の論議は、社会現象が大衆化する時には付き物です。
但し、この論議は、表現方法を考える切っ掛けになりました。

商品情報CM/レナウン「イエイエ」

テレビCMは豊かさの象徴

モーレツからビューティフルへ

モーレツとは、高度成長時代の進軍ラッパ。
ビューティフルとは、豊かさとひきかえに人間性を犠牲にしてはならないという主張。
富士ゼロックスの広告キャンペーンとして使われ始めたこの言葉は、当時の世相を反映し、一企業の枠を超えて人々の考え方や生活様式にも影響を及ぼしました。

デジタル技術の発達
 2次元で表現できるものなら、創れない映像はない

ヤン坊マー坊

【外部リンク】テレビCMの歴史

【ウエブ電通報】

以下のぺージで、テレビ・ラジオ・雑誌・交通の広告の流れが読み取れます。

【テレビ広告】

【ラジオCM】

【雑誌広告】

【交通広告】

【(一社)ACC公式サイト】

今回のNoteを書こうと思った切っ掛け


商品と消費者の間に虹を掛ける仕事
コマーシャル
今回の本『虹をつくる男たち』の著者 向井敏さんのあとがきより。
pp.262〜264
シェイクスピアが『お気に召すまま』第二幕7場でジェークイーンに語らせた名台詞「全てこの世は一つの舞台。人は男も女も皆んな役者だ」をモジリ「幕間にコマーシャル」と云う表現を秘めている。
つまり、コマーシャルは幕と幕の合間で、コマーシャルと云う「夢」で繋ぎ与えるモノと理解しました。

イラスト / 川中紀行さん コピーライター

サントリー文化財団/ブックレビュー

文字のみが思想や知識の媒体として君臨していた時代から、現代のマスコミは型、色、音をはじめ、あらゆる刺激を総動員して人間の五感に働きかける時、過度に能動的にならざるを得ないが、消費する側に応々にして賢明な判断が恣意的に作動するのはほほえましい状況である。

 『虹をつくる男たち――コマーシャルの30年』で向井敏氏は方向を探しあぐね、模索し、実体のないものの出現に閉口しながらも、消費経済の申し子たるに足るコマーシャルの世界を、着々と構築していく過程を描く。

ともすれば、軽佻浮薄になりかねない分野の仕事だが、広範な教養と、あくなき創造力を駆使して、我が国の風土に適した、したたかな世界をつくりあげた男たちの生活のドラマであり軌跡である。

2024.11.13.