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若山農場を知っていますか?

栃木県宇都宮市。若山農場に立っていた。
藤島瑛太郎さんの腰巾着(秘書などもしている)を始めて三ヶ月。今度はワークショップのお手伝いに出向いていました。

プロローグ

2月12日。上杉雪灯籠まつり二日目で、藤島さんと私が若山農場に到着した日でもあった。
山形から栃木へ。新幹線で大体1時間半くらい。とんでもねぇ移動距離です。

まぁ、さておき。「姐さん」と呼んでくれた人たちからのメッセージを読みながら、ほっこりし続けている私。そんな私に反して、藤島さんは緊張していました。

それもそのはず。これから向かう若山農場は藤島さんが大変お世話になっている場所、とのこと。
この日のワークショップは藤島さんに任されているらしい。

失礼のないようにという気持ち、プレッシャー色々なものが折り重なってとんでもないオーラを放っています。昨日とは打って変わって、雰囲気が違う。
殺気で殺されるかと思いました。

今回は竹あかりの設置ではなく、竹あかりの制作体験をしてもらう、というもの。通称、ワークショップ。来ていただいた人に竹あかりを制作してもらって、それをプレゼントするまでが一連の流れだ。

「プロとして行くんだ。俺の付き添いだってことを忘れるなよ」

藤島さんがいつもよりも怖い。
けれど、これは藤島さんの持っている竹あかりアーティストとしての誇りだったり、今まで積み重ねてきた経験がそうさせているのだと感じました。

本気なんだ。

その覚悟をびりびり肌で感じて、私も緊張。ワークショップのお手伝いは一回やらせていただいた程度。
その時はたくさんのスタッフがいたけれど、今回は私と藤島さんの2人です。

えーん、できるかなぁ! 失敗したらどうしよう!

でも、できることは全力でしなくちゃ。弱気になってたら、いけない。頑張ろう、大きく息を吸って吐いたら「ため息つくな!」とどやされる。ため息じゃないもん。などと言い返すことはできず、ウッスと返事しました。

場所づくりや、道具の用意。竹の準備など全部教えてもらえました。
竹の背割り(竹の膨張で割れてしまわないように事前に切れ込みを入れておくこと)はめっちゃ難しいし、ドリルから何からの用意や準備だって、慎重に行わなければ、でした。

一人一人の座席の配置から何から、一から考えていく作業は楽しくもあり、緊張もします。
この選択一つで、ワークショップの参加者さんの気持ちが左右される……プレッシャーですね。しかし、この選択一つでものすごく楽しんでくれるという可能性もあるわけです。こりゃあ、脳みそが焦げても考えるしかありませんな。
バシバシ指示を飛ばす藤島さんを困らせまいと、なんとか言われたことはやり遂げました。

いよいよ本番!

朝の10時からスタートして、16時頃まで続きました。途中、昼休憩はあったものの(あと私だけコーヒー休憩も作ってくれた。藤島さんは本当は優しい)、なかなか気は抜けませんでした。

子供から大人まで誰でもできるものとはいえ、電動ドリルを扱うものですから、怪我の可能性はあります。
それに事故は突然に起こるものですから、本人が気にかけているつもりでも不意に起きてしまう可能性だってある。竹あかりを作るのはものすんごく楽しいのに、その楽しさを感じずに帰るのは非常にもったいない。
ワークショップは注意と気遣いの連続です。

だからと言って、じっと見つめていると、やっている人は緊張してしまうし、せっかく楽しいワークショップなのに「なんかあの人、めっちゃ睨んできて怖かった……」「あの人ソワソワしてて不審者かと思った……」とか思われたら本末転倒です。

参加者が楽しく竹あかりを作り、そして楽しく帰る。で、また来る。また竹あかりを作る。この循環がワークショップでは大切です。

で、来てくれた人が楽しみつつ、私自身も楽しむと。そんなのできないよう! と逃げ出すこともしたくなかった。そこまで弱虫じゃなかったし、そこまで生半可な気持ちでついてきたわけでもありませんでした。

「厳しいか?」
藤島さんに聞かれました。そりゃいつにも増して怖かったけれど、怖い! 嫌い!とも思わず、
「全然厳しくないです」
それに別に厳しいとも思っていなかったので、否定しました。
むしろ新しい藤島さんを見れた気になっていたので、ウヘヘとなりました。
また一つ違う面が見れるのは、ちょっとだけ嬉しい。

藤島さんの中にある情熱をなんとなく感じ取りました。竹あかりに対する、そしてワークショップに来てくれた人々への熱い想いは言わずもがな伝わるものです。

それを感じて、「厳しいです! 実家に帰らさせていただきます!」なんてできるでしょうか。否ァ。とことんまでしがみついてやろうと思いました。どこからそんな熱意が来るのか、そしてそれをどこまで見られるのか。
参加者からには見えない、その裏の裏を知る絶好のチャンスなのに、逃げ出すほど私は愚かではありませんでした。

実際のワークショップは地獄のような労働——というわけではなく。とても楽しいものになりました。

参加されている方と和気藹々とお話をしながら、ドリルを握って、自分の選んだ型紙に沿って穴を開けていく参加者さんたちの真剣な表情と言ったら!
何かに集中している顔って、すごく良いですね。すごくかっこいい。

サポートしながら、お話も聞いて、心の底から笑いました。

「栃木の言葉でね、怖いっていうのはおっかねぇっていうんだよ」
「おっかねぇ、ですか」
「そうそう、おっかねぇ、おっかねぇ」

お茶目な奥様がそう言いながら、丁寧に穴を開けていくのはとても可愛らしかったなぁ。完成した時は一緒になって喜びました。

「お姉さんのおかげでなんとか出来ました〜」

なんて言ってもらえて、一緒に写真を撮ったりもした。
奥様の写真フォルダに私が入りました。なんか、嬉しい。

私なんてまだまだだし、とは思っていたものの。来ていただいた人にとっちゃ、私も藤島さんと同じように「プロ」として見えているのだろう。
そう思うと、ちょっとだけかかるプレッシャーと、ちょっとだけ胸張っちゃおうかな、なんて思ったり。

一緒になってデザインを考えたり、ドリルで穴をあけるお手伝いして。その人だけの竹あかりが完成する瞬間に立ち会えたら心の底から嬉しかった。
「できましたね!」と声をかけると、ピカピカの笑顔で「すごい! できた!」と返ってきます。なんと素敵なことでしょうか。

何かを成し遂げるって、何かを達成するって、すごくすごくキラキラしてる。

小さいお子さんが、両手でドリルを持って、私が竹の両端を支えて、お子さんが穴を開けていく作業は幸せな時間でした。
自分でドリルの刃の交換もできます。説明をしっかり聞いていたので、器用にできてしまう。飲み込みが早いなぁ。
「疲れたぁ」って、椅子にどっさり座る姿も、こりゃまた可愛い。
頑張ったもんね〜。って声をかけると追加の型紙を持ってきて、「これもやりたい」って。再びテープで固定し始めます。

疲れても、次へ次へ向かう好奇心の強さ、無邪気さ。
なんだか心があったかくなります。チャレンジの精神を見るのは、幸せなものですね。

なんだかんだ人の流れが落ち着いてきた頃に、「そういえば、竹あかり作ったことある?」と、藤島さん。
実は私、こんなに竹あかりが好きなのですが作ったことは一度もありませんでした。ワークショップと設置作業はお手のもの(と言うにはまだまだかも)ですが、実際にドリルで穴を開けるのは初めてでした。

私も竹あかり制作へ

……不器用なんです、私。
ドリルを扱っても怪我する自信しかありませんでした。皆さんが竹あかりを作っているのを見たり、完成した竹あかりを設置するのは楽しかったけれど、実際に自分で作る、というのには少しだけ抵抗がありました。
いわゆる、お父さん現象。見守りはするけど、一緒になって遊ぶということはない、的な。「俺はいいや」現象ともいう。

でもせっかくのチャンスです。やってみたら? って言われて、「俺はいいや」をしたら何も始まらないことくらい、わかっていました。
それに、竹といえば若山農場、な竹を使えるのですから、こんな機会はないぞと。

そりゃそうだ。そりゃそうなんです……が、上手くできるかなぁ! 

自分で型紙を選んで、それをテープで固定する……これがなんと難しいことか。

竹は筒状ですので、選んだ型紙を貼り付けるところから苦労しました。
それに型紙を選んだはいいものの、これで良いのかというのがわからない。
正解がないということの恐ろしさ。自分がいかに芸術センスがないものかを知らしめられました。
形を組み合わせることが苦手なことに気がつきました。苦手、というかわからないのだ。

何をしたらいいのかわからない。白紙に文字を埋めていくことは大好きなのに、抽象的な模様を組み合わせる作業はちょっと、かなり、手こずりました。
あれだけ自分で見ていた型紙も、自分で選ぶとなると、どれを手に取ったらいいのかわからない。

嫌い、というわけじゃない。
なんだかんだ出来はするものの、かなり時間がかかりました。

で、テープでペタペタとはって、穴あけと。
運動神経ない人あるある、「肘と脇の距離が異常に遠い」を発動させながら、なんとか穴あけもできました。

遠くから見ていた藤島さんが「教えるの上手いから、(作るのも)出来ると思った。向いてないねぇ!」と笑っています。
いいじゃん、藤島さんが竹あかり作ってくれれば! 私はそれ見てますから! 竹あかりアーティスト2人もいたらライバルになっちゃうでしょ!
などと心の中でブツクサ言いながら、ドリルで穴を開けていきます。

……これは、結構楽しかった。いや、かなり楽しかった。
ドリルの刃先はなかなか思うように、型紙には当たりません。それでも、自分の力でゆっくりと入っていき、戻ってくる。と、そこには綺麗に開いた穴がある。

大きな穴を開けるにつれて、だんだん必要な力も増えていったけれど、それもそれで、楽しい。ドリルの振動で手がビリビリ痺れるけれど、そんなことを忘れるくらいに夢中になっていました。

一気に全部の穴を開けてしまって、満足しちゃいました。
これが竹あかりかぁ、と思いながら。完成したものを見ます。
隣の穴と繋がっちゃったりしているのもあったけれど、自力で作った私だけの竹あかりです。「可愛い雪だるまだ」と藤島さんが言ってくれます。
確かに、そう思うと可愛い。狙ってできるものでもないから、本当に世界に一つだけの竹あかりだ。

なんとなく私の役割がわかりました。
みんなに竹あかりを知ってもらって、喜んでもらうことなのかなと。文章なり、設置のお手伝いなりでたくさんの人に知ってもらって、竹あかりを見て、「綺麗だねぇ」って言っているのを、見たいのかもしれない。

その竹あかりが、藤島さんの作ったやつだったら、尚良し。

なんて考えながら、完成したのがこちら。


探したけど、ライトアップした写真なかった。反対側にも穴が開いてます。

ちなみに、藤島さんの作品はこんな感じです。

まぁ、使っている型紙が違うというのはあると思うのですが、やはりアーティストは違いますね。
色々と竹あかりを見てきましたが、藤島さんの竹あかりは、なんだかやわらかいイメージがあるんですよね。
どうしてもドリルで穴を開ける性質上、付けられる模様としては円が基本になります。それが規則正しく並ぶものだから、どうしても無機質な印象を受け取ってしまう、気がする。

自然に生えてきた竹に、無機質な模様を入れるというのはアンバランスに感じてしまうもの。それに対して、藤島さんの竹あかりはなんだか、柔らかくて曲線的なんです。優しいのかな。
実際に「心があったかくなる」と言われたりするそうで。

こころmojiが刻まれているからでしょうか? 
投稿されている作品には「自由」の文字。これは「じぶんらしさ」のひらがなで構成されています。

自由 ーじぶんらしさー
好き勝手に何でも自分の思いのままにすることではなく、本当の自由は正しい秩序と規則の中で、自分流の生き方、物の考え方、感じ方をすること。 そして、人は悩むほどに自分らしくなる。

浦上秀樹さんの公式サイト

浦上さんの作品あっての、藤島さんの作品なのでしょう。浦上さんのあったかくて、心の底から響いてくる言葉が、藤島さんの作品を柔らかくさせているのかもしれません。
こころmojiの竹あかり、通称「こころmojiあかり」。これからも作品が楽しみですね。


とにかく、私には出来ないので、良いなぁと思うし、素敵だなぁとも思うわけです。
もっといろんな作品を見たいのでとっとと新しい作品を作ってもらいたいところ。とっとと。

比べてわかることもあるんですな。藤島さんには藤島さんにしか作れない竹あかりがあるということです。

私が詩とか文とかで作ってくれねぇかな〜〜!!とか思っちゃったり。

竹林の散策!

ワークショップは無事に終わり、皆さま満足して帰られていきました。「楽しかったです!」と言って帰っていく人たちを見送りながら、私も達成感に包まれていきます。あ〜、やり切った!

「顔死んでるぞ」って言われたけど、自分では全然自覚がありませんでした。でもこっちの死んだ顔もおそらく私の素でもあるんですわ。
文章とか書いてる時大抵顔死んでるし。でも疲れたわけではないです。満足感と達成感で体がバグっちゃったみたいです。

農場の社長である若山さんのご好意で、竹林を散策して良いとの許可をいただきました。

藤島さんが案内してくれることに。

竹で作られた鞠。これも竹あかりの一種です。

「ここにある竹あかりは、俺とCHIKAKENさん、若山農場さんの方々全員で設置したんだよ」
東京ドーム5個分の広さがある農場には、いろんなところに竹あかりが設置されています。多くの人が協力して作り上げたそう。

正面玄関が如く鎮座する巨大な竹あかりのゲート。軽トラに乗って、アーチの固定を行ったそう。

2人で設置したそう。すげぇ。

竹あかりももちろんのこと、何よりも竹林が美しい!
竹独特の、青っぽくて、それでもスッキリさせるようなあの香りが肺いっぱいになだれ込んできます。
もう、見てるだけで楽しい。いるだけで楽しい。

竹林の中を歩ける小道もあれば、その中に入っていくこともできるそうで。藤島さんを置いてザックザックと竹林の中を歩いていきました。
途中タケノコを掘った跡(間伐した跡?)に躓きながら竹にぶつかりかけながらも、竹林を堪能しました。

足元を照らしてくれる、竹あかり。これもまた可愛い。

香りもいいし、竹っていうのもいいし、何より、夜っていうのがいい!
修善寺で竹林の小径に心を奪われて以来、竹というものが大好きで。
竹林というものが大好きで。

明るく撮り過ぎてしまったキンメイモウソウチク。模様が綺麗。

見上げれば、どこまでも続いていく竹があまりにも遠くて。吸い込まれてしまいそうな引力を感じました。
この不思議な魅力を感じさせるのは若山農場だけ。太陽が出ている時にこれば、たくさんの竹の種類を見ることもできるそう。それすなわち、また行く動機が出来たということ! また来なくちゃ。

途中、竹の茶器でお抹茶を飲んで、焼きマシュマロをして、ブランコをして、めちゃくちゃエンジョイしました。美味しかったし、楽しかった。
竹林の中で体験できるというのがまた、良いですね。
綺麗な空気を吸って、リフレッシュもして、私はまた日常に戻っていくみたいだ。

焼き過ぎて燃えたマシュマロ。香ばしくて美味しかったですけどね!

若山太郎さんとの出会い

ひとしきりエンジョイした後、若山農場の社長さん(若山太郎さん)にご挨拶に行きました。

「ワークショップ、どうでしたか?」と聞かれ、私は「なかなか自分では完璧だなって思ってたことも、実はできてなかったりとかしてて、気をつけることってたくさんあるんだなと思いました、エ、エヘ」と、キモめな早口で捲し立てます。いつまで経っても初めて話す人には取り留めもないキモムーブをかましてしまう私。
そんな私に対して、にっこり笑い、「よっしゃ、飯に行って詳しく話そう!」とご飯の提案をしていただきました。
その後にお仕事があったのにも関わらず、時間を作っていただけました。なんて私は幸運なんでしょう。

実は、若山さんとはコーヒー休憩の時に少しだけお話をしたのだけれど、面白い話をたくさんしていただきました。

「観光業というのは、常にいろんな視点から見ないといけないんだ。普段住んでいるだけでは気が付かない視点を常に持ち続けなければならない。自分の視点がどこで役に立つか。これが大事なんだよね」
つい最近似たようなことを耳にしたばかりでした。

「ワークショップはエンターテイメントだ。スタッフも楽しんでやらないといけないよ。ちょっと藤島くんをいじりながらね……彼に聞こえてないよね?」
大丈夫ですよ、彼耳遠いので! とフォローしておきました。

愉快で、けれど真剣に農場の将来を考えている若山さんとお話しするのが楽しくて、私ももっと話を聞いてみたいと思っていました。そして、ご飯も一緒に食べられちゃうという。

「宇都宮といったら、ラーメンか、餃子か、どれがいい?」

宇都宮市に来たことがなかった私に完全に選択肢を委ねていただきました。
ラーメンはもちろん大好きですが、餃子も大好き。
宇都宮といえば、餃子。餃子といえば、宇都宮。もうすでに餃子の口になっていました。

「宇都宮の餃子が有名になったのは、中国使節団が駐在していた時に中国の食文化が広まった、ってことになっている。宇都宮の餃子はとにかく安くて、量が多くて、美味いと。だから宇都宮は餃子の消費量は日本で一番なんだ
餃子のチェーンとして登場したのがみんみんで、後を追うように正嗣(まさし)が出てきた。どっちも長い歴史を持っているんだけど、そこで何が起こるかっていうと、餃子の派閥争い。僕は正嗣派。ちなみに嫁はみんみん派だからしょっちゅう喧嘩するよ」

なんて真面目に言っちゃう若山さんがお茶目で面白い。
朝ごはんのパン派ご飯派よりも熾烈な争いがそこにはありそうです。
たくさんのアンテナを張っているんだなぁというのがお話の中から気づかされました。
竹のことだけを突き詰めてプロフェッショナルになっているわけではないと。たくさんの事柄を知って、たくさんの知識に触れ、そこから自分の「次」に繋げるためのヒントをたくさん蓄えていく。そんな風に思います。

若山農場の歴史も教えてくれました。

「元々ウチはタケノコ農家で、春に筍を収穫してそれを収益にしていたんだ。けれど、それだけじゃ足りなくて。従業員もいるからね。なんとかして収益を出さなくちゃいけない。竹の恵みを受け取るにはどうしたら良いかなぁって考えたわけさ。
それで、始めたのは竹の植栽だね。竹を農場以外の場所で植えていく。ビルの前の植え込みとかね。日本らしい景観っていうのは海外の人にとってもウケが良い。それに日本に住んでる人も和の文化というのは馴染んでいるし。というのをいろんなところで売り込んで、竹の植栽の事業も始めたんだ」

アメリカの近代建築を視察する旅行に参加することができました。いろいろと見て回りましたが、なかでもIBMの本社ビルが特に印象的でした。
中庭に竹の植栽があり、見た瞬間「これだ!」と思いました。当時の日本は近代建築のなかに日本らしさを組み込むにはどうすればいいか模索されている時代だったんです。私はここで、それにはまさに竹がピッタリだと確信を得ました。

若山さんのインタビュー記事

きっかけは日本の建築をどうしようか、と言う着眼点だったそう。
従来の竹の植栽の仕方とは一新して、新しい潮流を生み出したとのこと。
竹林で作られる空間と可能性に着目したというわけです。その着眼点と、それを普及させる実行力。
すごいなぁ。

そんなことを教えてもらっているうちに、餃子のお店に到着。

宇都宮は飲食店も19時をすぎると閉まり始めるということで、なかなか行きたいお店に入れなかったものの、餃子の口になっていた私はどうしても餃子を諦めることができませんでした。

そして、行き着いたのがバリスというお店。
「バリス」の「バリ」は「バリバリ頑張る」の「バリ」らしいです。

「焼き餃子は「ヤキ」、水餃子は「スイ」というのが基本だ。数え方は一枚、二枚だよ」

若山さんと一緒にいると餃子の知識がどんどんついていきます。片っ端から注文する私。
「美味しそうに食べてくれた方が、気持ちがいいね」と笑顔の若山さん。「食い意地張りすぎ」と苦笑いする藤島さん。パクチーの餃子が一番のお気に入りです。

ビールを片手に、いろいろな話をしました。私のこと、藤島さんのこと、これから若山農場のこと。

「物語っていうのは、最近の企業でも注目されている。言葉で伝えられることには限りがあるからね。物語性の高いCMが多いのはそういうことで。どんなものでもストーリー性をつけることが大切
私が「小説っていうのは、言葉で何かを伝える以上の可能性を持ってるんです!」と酔っ払いながら話したら、こう返ってきた。
物語論なるものをちょっとだけ齧ったことのある私は、家に帰ったらちゃんと読み返そう……と心に決めました。私の作家としての将来がちょっとだけひらけた気がする。

「竹あかりのアーティストね。今までの仕事辞めて、そっち一本にするなんて、俺は絶対そんな危ない橋渡りたくはねぇけど! どうする、自分の親が急に芸術家になりたいなんて言ってきたらさ!」
笑いながら聞いてきましたが、私は私で「小説家になりたい!」と親に言ったら、じゃあやってみなって賛成された身ですから、なかなか複雑。
「なりたいって言うなら、仕方ないですよぉ」と。親に言われた言葉そのまま言いました。仕方ないのだ。
だってなりたいって思っちゃったんだもん。
だったら行けるところまで行かなくちゃ。

自分の親が急に「これから画家になる!」って言い出したら、そりゃあびっくりするけれど。まぁ、親である前に1人の人間ですからね。
色々と理由をつけて諦めて欲しくないと言うのも、子供として思うわけです。

「まぁ、本気でやるなら、自分で需要を作り出すくらいのことはしなくちゃな」

若山さんが、ぼそっと言います。
それは藤島さんに対してかもしれなかったけれど、私にも同じように言われたような気がしました。

「竹の植栽っていうのは、今まで誰もしてこなかった。誰かが思いつくようなことをやっちゃいけない。誰にでも思いつかない。自分にしかできないことを探さなくちゃいけないんだ
それが、今の若山農場につながっていて、これからの若山農場になっていくというわけだ。

植栽だけじゃない。地元の小学生を集めて、竹の伐採から、竹細工づくりのワークショップを開いたり、映画のロケ地に使えるように開放していたりもしている。
竹林を最大限活かそうと常に考える姿勢が、新しい発想力が、大切なのだという。

私も藤島さんも分野が違えど、何かを作り出す道に進もうとしているわけです。
待ってるだけじゃいけないと、そういうわけです。

クリエイターは日々増えていきます。文章は誰でも書けるわけだから、とんでもない競争率になるます。
竹あかりだって、これから日本の文化になっていくのだから、競争率はだんだん上がってくるはずです。

その中で生き残っていくためには、周りと同じようなことをしていてもいけませんわな。同じように休んで、同じように生活していては、いけませんわな。

唯一無二の、私にしかできないことをまだまだ探さなければいけないです。
藤島さんも、そう。

「なれないと思うけどなぁ!」
「でも、なれたら最高ですね!」

笑う若山さんと一緒になって笑う私。そりゃ、クリエイターとして活躍するのはごく少数です。でも、その少数に滑り込んだらそんなに最高なことはないですよね。
統計とか、そういうので考えたら無理かもしれない確率かもしれないけれど、自分の力を信じるしかないです。

なんだか、励まされたような気がして、とても楽しかった。
自分の夢がようやく現実味を帯びてきたような気がしました。

若山さんの言葉はどっちかというと藤島さんに向けてのものが多かったですが、一緒になって私もなってアツくなっていました。意地悪で言ってるわけじゃないのはわかっていました。
「これくらいの覚悟、あるよな?」そう確認された気がしていました。

藤島さんは藤島さんで頑張ってるし、私は私で頑張る。やれることはなんでもやる。行けるところは全部行く。
これからの日々がより楽しくなりそうな予感がしていました。

結局、餃子を数え切れないくらい食べて、ビールもたらふく飲んで、超絶満腹になって解散しました。
若山さん、ものすごく面白くて、お茶目で、素敵な人でした。
会えてよかった。話せてよかった。

藤島さんが紹介するよりも先に「小説家を目指していまして!」と、切り出せた私も、少しだけ前に進んでいるような気がします。
noteで書いても良いか伺ったところ、「もちろんいいよ!」とのこと。若山さんの名刺は竹でできた紙で作られていました。ツルツルの紙よりも手に馴染んで、良いなぁって思った。

楽しすぎた若山農場を後にして、宇都宮を後にしました。

帰り道

「若山さんには、めちゃくちゃお世話になってるんだよ」
帰り道で、藤島さんが教えてくれました。車を運転する藤島さんは1人だけノンアルコール。ベロベロになった私でも流石に気を遣って、素面のフリをします。

「今の職業を辞めて、竹あかりアーティストとしてやっていきたいって言った時は大反対されて」
「まぁ、正気の沙汰ではないですよね」

安定した収入のある職をやめて、芸術家としての道を選んだ藤島さん。ストーリー的には感動モノですが、現実的にはとんだサイコ野郎(洋画的表現)でしょう。そりゃ、流石に若山さんも止めますわ。

「一旦帰って、頭を冷やせって言われて。本当に覚悟が固まったらまたウチに来いって言われて」
「で、行ったんですね」
「そう、行った」
「すげぇ」

色々と考えたんでしょう。色々と悩んだんでしょう。
そして、一歩前に踏み出したわけです。飛び込んでいったわけです。

自分の本当にやりたいことに突き進んでいく姿はとんでもなく格好良い。
それだけの信念と、情熱と、想いがあるのでしょう。身近にこんな人がいて超絶ラッキーです。自分のやりたいことを、突き詰めてもいいんだという安心感。自分にもできるかもしれないという気持ち。

「やればできる!」「自分の夢を諦めないで!」なんて言葉はよく聞くけれど、実際にそうやって動いている人は見たことがない。ちょっとだけ逃げ場を作って、ちょっとだけ頑張っている、ような人はいっぱいいたけれど。
捨て身で、がむしゃらな人は見たことがなかった。

「下手したらホームレスになってた」

藤島さんが前を向いたまま、運転を続けます。茶々を入れられないくらいに、真剣な顔をしていました。これは誇張表現? わからないけど、それくらいの覚悟を持って、藤島さんは自分の夢を追いかけているのだ。

頑張っている人はいっぱいいたかもしれないけれど、それを見ることはなかった。
藤島さんの腰巾着(秘書ともいう)をしてから、藤島さんのものすんごい頑張りを見ました。見てしまいました。

すげぇなぁ。
やるしかないって、思ってる人の強さを見ました。
実際に、需要を作り出して成功してる人の大きさを見ました。
だからこそ、私もやるしかないって思うわけです。
とても濃くて、楽しくて、自分の力になりそうな時間を過ごせました。

この時間を忘れないで、私は私の時間を精一杯大切に使っていこうと感じましたとさ。

若山農場さんの公式ホームページ

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