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ココロザシナカバ~壮絶な自分史~ 第2話:「危篤の父」


そんな練馬での生活は、私が幼稚園の卒園を機に終了した。

人生2度目の引越し先は埼玉県の川口市だった。
土地が低いせいか、まとまった雨が降ると玄関まで浸水するアパートだ。
間取りは全く覚えてないが、ジメっとした体感記憶だけが残っている。
近くの小学校に入学したが担任の先生はおろか、
友達も誰ひとり覚えていない。
その後、川口市内で確かにもう一回引越しをしているのだが、
なぜか記憶にない。

次の土地であるお隣の浦和市への引越しは、私にとって4度目となった。
浦和に引っ越した私は小学2年生で、
弟がひとり、妹がふたりいるお姉ちゃんになっていた。
6歳の時に産まれた妹はキヨ。
2年ごとにきょうだいが増えていた。

引越し先は人生初の一軒家でおニ階があった。
だから当然、階段がありベランダがある。それがすごく嬉しかった。
借家だったが、そんなものは子どもにはどうでもよいことだ。
とにかくはしゃいだ。
そしてここに引っ越してきたのも夜だった。
引越しというものは夜やるものなのだと、至極普通に思っていた。

ある日学校から帰ると、部屋の奥からうめき声が聞こえた。

父のようだ。

布団にくるまって「うー、うー。」と唸っている。
聞いたこともないような苦しそうな声で、ただ事ではないと思った。
動揺している母にワケを聞くと、仕事中にサボって川口オートレース場に向かう途中、バイクで自爆したらしい。
川口オートレースとはバイクレースで賭けをするギャンブル場だ。
父は三度の飯よりギャンブルが好きだった。
そこに向かう途中、酒を飲んでガードレールに突っ込む自爆事故を起こした。怖くなってバイクを放り出してタクシーで帰ってきたというのだ。

骨ぐらいは折れているだろうと、母は言った。
病院に行くことをかたくなに拒む父は、布団の中で一晩中唸っていた。
しまいには時折「殺せー!」と叫んでいて怖かった。

そして翌日、お尻から血を出した父は慌てて救急車を呼ばせた。
もう声も出ないほど弱っていた。
死んでしまうと思い、とにかく怖かった。
学校に行けと言われて登校したが、ずっとメソメソしていた記憶がある。
だから先生に家に帰るように言われ、猛ダッシュで家に走った。

家には誰もいなかった。全員で病院に行ったのだ。
心細くて怖くて、父が今朝まで寝ていた布団にもぐりこんだ。

しばらく経って夜になると、父の弟が車で私を迎えに来た。
一緒に病院に行こうと言う。
私は大きな声を出す叔父を恐がっていたので、病院まで口を訊けなかった。叔父もずっと黙っていた。
黙っているからさらに叔父が恐かった。

病室に着くと母が深刻な顔をしていた。
ベッドを見るといろんな管が鼻やら腕やら
グルグルに繋がれている父がいた。

つづく

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