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ココロザシナカバ~壮絶な自分史~ 第10話/60話:「交換日記」

【ここまでのあらすじ】
岩手→練馬→川口→浦和→茨城・・・と住まいを転々としてきた阿部家。
父の酒とギャンブル好きが原因で、貧乏で婦けんかが絶えない。
家計のために小学生からバイトで稼ぐ長女まゆみ(私)が
いよいよ中学生になり、気になる男子が・・・。



卒業も近づいてきたが、私はあまり高校に行く気はなく、
働いて自立するのも悪くないと思っていた。
しかしインテリジェンス・ヤンキーをモットーにしていた私は、
これでも成績だけはトップクラスだった。
だから素行が多少悪くとも、先生は私に進学校を強く薦めてきた。

一度、英語の教師になる夢を持ったことがある私だったが、
うちの経済状況では大学に進学できないとあきらめていたので、
もはや高校もどうでもよかったのだ。

しかし親が世間体を気にしていたのもあって、私は隣町の進学校に願書を出すことになった。
どうせ高校に行くなら、岩ちゃんと同じ高校に行きたかったが、人づてに聞いた話だと、岩ちゃんは男子校の工業高校に進むらしいと聞いて、とっくの前に諦めていた。

当時、私たち中3女子が熱狂していたのは雑誌《平凡》や《明星》だった。私は松田聖子と近藤真彦のファンだったが、その雑誌を買う余裕はなかったので、聖子ちゃんやマッチのポスターが付録でつく号だけ、こっそり残しておいたバイト代を使って買った。

このころには、O畜産の牛の世話のバイトは、土日も出勤していて、母に渡せる毎月の収入は安定していた。

学校での私は群れるのが性に合わないので、クラスの中ではどのグループにも属さず、でも一人ぼっちというわけでもなく、常に存在感を放っていた。

幼い時から社会経験があるせいか、同級生を同じ年とは思えなかった。
どこか妹や弟のように接してしまう自分がいた。
だからみんなは私を姐御肌な人だと感じていたと思う。

私がどうやって生きてきて、どんな暮らしをしているかなんて
誰も知らないのだから仕方ない。

いよいよ中学の卒業間近になって、私は大胆なことを考えた。
岩ちゃんと思い出を作ろう!と、彼に交換日記を提案したのだ。

今でも忘れやしない。
帰りの昇降口で横に並び、ノートを渡して一目散に逃げ去ったことを。


なるべく地味なノートを選んだ。

1ページ目にこう書いておいた。


--交換日記をしませんか。
 もしOKだったら日記を書いて、私の机に返しておいてください---


次の日は机の中に返ってこなかった。

その次の日も返ってこなかった。


そしてその次の日も。


さすがに登校するのも気まずくなってきたし、
今さら「あれは冗談だから。」っていうのもカッコ悪いし、
交換日記をするのかしないのかを聞くに聞けないし、


恥ずかしさも頂点になってきた。


つづく

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