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アーティストステートメント … 2024-2025
ART OF MASAYUKI HORI : www.masayuki.nyc
72歳の僕がなぜもう一度絵を描き始めたのかを書いてみたい。それが僕のドローイングの美術史的な特異性を示していると思われるから、かなり大袈裟な物言いだけど。
1985年の暮に僕はシュナーベルやバスキアやキース・ヘリングに憧れて友人三人と共にニューヨークに渡った。メンバーシップを使って時間があればMoMAやホイットニー美術館に足繁く通っていた。けれど当然のようにほとんど何の成果もないまま数年後には僕の望みは自然消滅してしまった。
その後は日本レストランの仕事が忙しくアートからは完全に遠ざかってしまった、見ることも作ることも。コロナ禍で退職せざるを得ないことが転機だった。時間ができて、YouTubeで音楽を聴きアマゾンプライムで映画を観た、そして本を読みエッセイを書いた。
精神分析の本にも触れフランスの精神分析家、ジャック・ラカンが人間の欲望の根底に享楽を据えていることを知った。享楽は直接的には楽しさ、抽象的には刺激ということらしい。だからい痛みや醜さも快感になる。
そういえば僕は楽しく絵を描いた思い出がなかった。正確にはアーティストを志してからは全然楽しくなかった。そして幼稚園の頃に新聞のチラシの裏に蒸気機関車や戦闘機を書いていてのを思い出した。学校に入っても教科書の空いた所や写真はイタズラ書きだらけだったのも思い出した。
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こういう経緯で僕は子供の頃から50年ぶりに心から楽しんで「Doodle 001」(2023年)を一気に描き上げたのだった。それから夢中で何枚も描いた。むかし患った右手のけんしょう炎が再発するほどだった。
イタズラ書きだからたまたま手元にあったの料金一定の厚手の郵便用封筒(29x24cm)は最適だった。真っさらな紙にイタズラ書きはその精神に反している。この、既に与えられた物は、何か意味のある絵を描かなければならないという重圧から僕を自由にしてくれる。長年これが僕を苦しめて描くのが楽しくなかった。今ならどんな素材でもどんな場所でも楽しく好きなように描ける。既にそこにそれがあったから、僕はそれに続けて線と形を描く。僕は主体的というより偶然的だ。僕が描くものを僕は決めない。
イタズラ書きだから別に写実的でなくてもいい、もちろんそうしたければ写実的でいい。モチーフだって思いつくまま何でもいい。Aという文字があったらBと続け、飽きたらグニョグニョの戦を描けばいい。偶然にできた面白い形を発展させ別の形に接続する、その形の中をリズミカルに塗り分ける。
形やコンポジッションがビシッと決まれば心地いいし、何よりも頭を空にしてボールペンを走らせることが心と身体が一つになったようで楽しい。楽しいけれど描かれているのは他愛のないものの集積だ。グニャグニャの線、花や葉っぱのような模様、アルファベット、数字、丸や四角や三角や水玉の幾何学模様、それを消すための引っ掻いたような線、つまり何でもありの混沌だ。
ただどの線も形も美術学校で教えるような線ではない。まして上手なデッサンなんかではない。でもそれはしょうがない、僕はこれが楽しいのだから。僕の線はサイ・トゥンブリーのような知的で洗練された線ではないし、子供のような無邪気でピュアな線でもない。それは線の美術史的価値を大きく転回する意味ではデュシャンのようだと僕自身は思っている、大袈裟! 精神分析の知見を通して無意識的な描くことの享楽に辿り着いた、だから僕は僕のアートをネオ・シュールレアリスムと名付けたいと思う。
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