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宇部詩人◉永冨衛さんシリーズ②

中原中也の「思ひ出」-煉瓦工場への道のり

②桃色れんがの落とし穴
れんが工場で生産したのは桃色れんがだと想定して2021年10月から取材を開始した。その1か月前の9月には、壁面に桃色れんがを模した宇部市庁舎が完成し、れんがに対する市民の意識が高まっていた。グッドタイミングである。

 宇部産業史(1953年、渡辺翁文化協会・俵田明編)は図書館に行けば読めるけれど、じっくりページを捲(めく)りたい。インターネットで古書店から取り寄せた。れんがの記述ページがあるかどうかを探した。

「大正五(一九一六)年以来個人経営により厚狭郡埴生町(現山陽小野田市)で炭滓(たんさい)煉瓦の製造に着手していたが、原料及び製品の需要供給の関係上、大正八(一九一九)年八月工場を宇部にうつし、同時に資本金十五万円び株式会社とした」と記述されている。

「宇部硬化煉瓦株式会社」として創業した。宇部市(1921年市制施行)では沖ノ山や東見初などの炭鉱を多く抱え、桃色れんがの原料となる燃焼灰(石炭がら)の入手が容易だったからだ。

 郷土の歴史に深い関心を寄せる知人が、れんが工場について調べているボクに、「『煉瓦工場』が載っている地図を見たことがある」と情報を入れてくれた。地図はもともと市街地にあった旧宇部市立図書館隣接の郷土資料館に収納されていたが、分館機能を持つ郊外の学びの森くすのきに保管されているとのこと。早く〝対面〟したい。はやる気持ちを抑えながら、知人の案内でさっそく駆け付けた。

 広島通商産業局宇部石炭支局(現在廃止)が1948年に作製した「東見初炭鉱・宇部炭田調査付随地図」。宇部大空襲(45年7月2日未明)で市街地が焦土と化す前の東見初地区一帯が描かれていた。


広島通産局宇部石炭局が作製した「東見初炭鉱坑外図」に書き込まれている「煉瓦工場」と「セメント倉庫」(学びの森くすのき蔵)


 その中の「東見初炭鉱坑外図」には、現在の大型ショッピングセンター(フジグラン宇部)の北側(宇部市昭和町4丁目)の位置に「煉瓦工場」が書き込まれていた。横には、桃色れんがの原料となる石灰を扱う「セメント倉庫」の文字を赤ペンで囲ってある。れんが工場に出合えて高鳴る気持ちを抑えて、カメラで「煉瓦工場」部分を中心に接写。実証できるとほくそ笑んだ。まさに愛しい人に会えた面持ちだった。

 1920年に発行した宇部村勢要覧にも同所付近に「煉瓦工場」の文字が見える。翌21年7月3日の宇部時報(現宇部日報)紙面には、「漸(ようや)く販路も出来て イザ是(これ)からと腕を捲(まく)る 宇部硬化煉瓦の事業」の見出しで、「煉瓦の得意先としては東は大阪広島より西は関門地方を主とし対岸の大分別府方面からも歓迎されている。宇部の生産物としての権威を有するのは当然であろう」と書き、「煉瓦の真価を認むると共に低廉なる面において在来の赤煉瓦を駆逐」と強調している。

 熱い気持ちが冷めないうちにと、れんが工場と同じ東見初で育ち、常盤公園内にある石炭記念館の語り部として活躍する木下幸吉さん(当時91歳)ならば、おそらく出合った光景ではなかろうかと確認を急いだ。木下さんは鮮明に記憶されていた。しかも紙にイラストを描いて。

「大きなれんが工場だったよ。木製の型枠に石炭の燃えかすを入れて、たくさんのおばちゃんたちが木づちでぱったんぱったんたたいていたのを、よく覚えている。子どもの目には赤に近い色に見えたなあ」と証言してくれた。
 宇部産業史には「一日平均千五百個、職工二十人、女工三十人、炭滓粉砕機三台、圧搾機一台」と、生産個数、機械類、それに関わった工員など、宇部硬化煉瓦株式会社の規模が記録として残っている。

 大正期に入ってから生産が始まったと言われる桃色れんが。宇部興産(現UBE)石炭事業本部付部長を務め宇部炭田に精通した浅野正策さん(2018年死去)は「昭和初期まで東見初にれんが工場があったのを古老から伝え聞いた」と、随筆「桃色の煉瓦塀のある道」の中で書いている。

 宇部市が1998年に刊行した「有限から無限へ『炭鉱』」には、宇部炭を燃料として電気を興した宇部電気株式会社が09年に創業したと記述。それに関連して25年ごろの宇部電気出張所煉瓦工場製作所の写真も掲載されている。その背景に宇部紡績株式会社の煙突のような構造物が見えるので、宇部紡績跡地に建設された宇部市立図書館(琴芝町1丁目)付近に立地していたと思われる。宇部紡績の赤れんが造りの外壁は、図書館の一部壁面に再利用されている。

 廃棄された桃色れんがを引き取り、その歴史を伝える板垣良行さん(宇部市常藤町)は宇部産業史の中の「女工三十人」に注目し、「女性雇用を促進した宇部の炭鉱会社の独特な姿勢がうかがえる」と指摘。「思ひ出」の中の「煉瓦干されて」「工場は、音とてなかつた」などを取り上げた。

「れんがは機械による生産ではないので、静かなのは当たり前だ」とし、「焼成しない桃色れんが工場は煙突を必要としない。詩に出てくる煙突は中也の目に入った周辺の工場群かもしれない」と推測する。なるほど、詩の風景と重なってくる。

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