門司港史を掘り起こす(FM KITAQインタビュー)4
FM KITAQ
小倉魚町インクスポットビル 3Fスタジオ
2022年5月21日(土曜)17:00~18:00
《出演》
地域コーディネーター:是松和幸
MC:野津亮祐
AC(アシスタント):大岩夏美(北九州市立大学生)
ゲスト:堀雅昭(歴史ノンフィクション作家・UBE出版代表)
《久野パン》
堀
さっき皆さんも打ち合わせの時、食べられたと思うんですけど、その文化イベント(4月の久野邸での講演会)の時もですね、久野商会の社員たちが作った久野パンの残党というか、名残りのあるキングパンというパンが配られましてね。まあ、そのとき私も初めて食べたんですけど、けっこう美味しいでしょう。
MC
素朴な味で、結構おいしかったですね。
AC
はい、おいしかったです。
堀
なんか、こう、周りがクッキー生地で甘くってね、モダンな感じでね。
私は食べたことがなくってですね、私の叔父が大正13年生まれのがいましたけど、戦後、やっぱり(門司港で)食べたっていってましたね。
当時はやはり、よそにないような立派なもんでね。門司港に行くのが、久野パン食べるのが楽しみ、みたいなことを言っておりましたんで、へー、そうなんだと思っていたですけどね。
で、なんで久野パンって作られ始めたのかなって、こないだキングパン食べて、ちょっと調べたんですけど、いま申しましたように、戦前は久野勘助は軍に協力してね。まあ、小麦の供給とか食料の供給とかやっていたんですけど、これがどうも戦後はGHQの民主化政策に協力する形で、GHQがパン食を進めるんですね。
で、昭和22(1947)年に福岡県パン工業組合(組合員数144名)ってのが作られるんですよ。そこに理事長に久野勘助がなっているんです。
それから昭和25(1950)年に、この組織が強化されたやつが、福岡県パン協同組合連合会というのができるんですけど、そこでも理事長になっているんです。
そこで自分の商売の方の、ようするに久野商会のほうもパンの製造をはじめるということで、どうもそこで久野パンというのが始まっていったようなことがわかってきて、へー、面白いなあと思ってね。
それで、先ほどのキングパンというのは、ここにいらっしゃる是松さんが、10年以上も前から、応援されているみたいで…。その話、ちょっと聞きたいなあと思って。
是松
ええ。まあ…。皆さん良くね、メロンパンとかありますが、だいたい門司の人はキングパンとか食べていたんですけど、それは世の中で当たり前というか、そう思っていたんですけど。
私も関東の方に住んだとき、それがないと。あれ、おかしいなと(笑)。
で、私も歴史関係が好きなんで、ルーツはどこかと探したというか。そこで久野パンというのがわかったんだけども、残念ながら、いまは久野パンは残ってないと。
で、人から見聞きし、店を一軒一軒訪ね歩いてね。で、いま門司の大里に上馬寄というとこにヤングパンというのがありまして、そこでいろいろお話を伺って、えーと、先代の方が久野パン出身ということで、久野パンから独立してパン屋を始めて、たぶんそのとき久野パンの味をそのまま継承してやったと思うんですね。
今はアーモンドスライスが入っているんですけど、もともとは単純なくクッキー生地だと思うんですけど、まあ、でも完全手作りでやっているんで、たぶん久野パン全盛期の味を継承してるかなって思われますね。
MC
ありがとうございます。いま、そんな久野パンについてお話を聞いたんですが、その久野パンで修行したパン屋さんが他にもありまして、小森江の門司区羽山一丁目で大久保ベーカリさんがされているとお聞きしたことがあるんですけど、堀さんはご存知ですか。
堀
ええ。古い店主の方になるんですけど、大久保一成さんという昭和9年生まれの方が、今もいらっしゃいましてね。ちょっとお話を聞いたことがあるんですが、昭和60(1985)年頃まで久野パンで働いておられたと聞いたので、そのくらいまでは久野パンは作られていたんだと思うんですよ。
で、大久保さんの話によると、そのときのオーナーが稲井亀一とおっしゃっていましたけど、この稲井さんという方が四国の出身でね。やっぱり久野商会の社員の方なんですよね。
なので、久野勘助の会社の社員の人たちが、久野パンをドンドン作って、戦後の久野パンブームを作っていったということが、お話を聞くうちにわかってきたんです。
そこで、こないだ門司港あたりをウロウロしていたときにですね、栄町5丁目の飲み屋街の入口にですね、まあ「遊楽街」って書いてあったんですが、そこにね、「欧風やきたてパ
ン ひさの」と書いてあった錆びついたシャッターが残っておりまして、どうもそれがね、最後の久野パンの工場だったということがわかったんです。
まあ、久野パンも今となっては幻のパンになっちゃったんで、門司港ゆかりの食文化として、何かの形で…、キングパンとかですね、そうやって続いていったらいいなと思っております。
是松
先ほどのヤングパンの先代は戸田さんという方なんですが、その方も四国(出身)ですね。
そのころやっぱり愛媛の方からも出稼ぎに来ていたと思われますね。で、その方が久野パンで修行をして、独立してね。まあ、昭和30年代、40年代の個人のパン屋さんが全盛の時ですけど、そういう昔ながらのパン屋の味を継承しているわけです。やっぱり無くしたら終わりなんで、なかなか継承できないんでね。
堀
やっぱり昔から少し高級なパンとして、久野パンはあったんでしょう。
是松
そうですね。もともと久野と、村上パンだったかな。それがだいたい(門司港の)2大パン屋ですかな。たぶんそこから九州各地に味が伝播していったかなとは思いますけど。
MC
ありがとうございました。もうちょっと幻のパンになってしまったようなんですけど、まだ味を継承しているパン屋さんはあるようですので、今(ラジオを)お聴きくださっている方も、足を運んでみられたらいいのかなって思います。
で、話が盛り上がってしまって、いつの間にか時間も残りわずかになってしまって、残り2分ほどですかね。最後に堀さんの作家活動の今後の予定についてお聞きしたいと思います。お願いいたします。
堀
実は、こないだの4月の久野邸での講演から考えまして。何かね、門司港、それから下関といういわゆる関門地域の歴史や文化を、わかりやすい形で郷土史みたいな形でまとめてですね、小学校、中学校の地元の子供たちに勉強してもらえるような冊子を作りたいなというのが、今考えていることなんです。
まあ、タイトルというのは具体的に決まってないんですが、例えば『日本遺産〈二つの港〉物語』とかですね。そのために今、出版社(UBE出版)も立ち上げる準備もしているところであります。
地元の足元の歴史を、我々の昔からの人たちの歴史とか文化を次に伝えていけるような、そういうものをやっぱり作らないといけないなあと、ずっと感じているんですけど、ぜひそれはこれからやっていきたい仕事の一つになるんですね。
とにかく門司港というのは、よそとは違う歴史があったり、真似ができないようなものが本当にたくさんあるんで、その面白さとか、興味深いことをみんなに知ってもらったらいいなと思っております。
是松
昔の歴史を調べてみて、やっぱりわからないことが多いんですね。で、ドンドン世代交代とか始まっているんで、できれば年配の人ですね、70歳とか80歳とかの人に集まってもらってですね、思い出話を収録するとかね。そうするとネタがたくさんあるかもね。実はこうだったとか。
堀
あのね、門司港ってね、軍港みたいな要塞地だから、写真とかがないんですよ、実はね。それで本を書く時も苦労したんです。写真がないから、撮っちゃいけなかったんですよ。だから今の話なんか、いいかもしれませんね。
是松
それ、今しかできないんですよ。なんか企画としてね、役所かなんか通してね、昔の話をできるかたがいらっしゃるかとかね、そういうのはやったほうがいいとは思いますね。
MC
もう、最後の最後にめちゃくちゃ話が盛り上がってきて、もう少しお伺いしたいんですけど、今後の活動も、堀さんの夢が実現するように、私たちも応援していきたいと思っております。堀さん、今日は貴重なお時間を戴きまして、ありがとうございました。これからも頑張っていただきたいと思います。
堀 こちらこそありがとうございました。
(おわり)
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