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星の時間~「おかえりモネ」と2019.4.6高木正勝トーク&ミニライブ@仙台より~

昨年、高木くんから来春の朝ドラの音楽を担当するかもと聞いてから楽しみにしていた「おかえりモネ」。舞台が気仙沼の海や登米の山で、脚本・安達奈緒子さん×主演・清原果耶さんの「透明なゆりかご」コンビ。そしてテーマが“循環”や“水”と聞いて、これはもう音楽は高木くん以上の適任者はいないでしょうと。それに元々「透明なゆりかご」の放送を夜な夜な自分の嗚咽で幼い娘たちを起こさないよう自ら口にタオルを押し当てて声を殺しながら見ていた僕にとって(笑)、あの黄金コンビに高木くんが音楽担当って、これはもはや天の配剤かなにかですか?と、企画したプロデューサーさん本当に凄いなぁと。ただその一方で気仙沼を舞台に現代劇をやるということは当然震災にも向き合うことになるのだよなぁと…。
映写技師という職業柄、僕はこれまで震災後に作られた劇映画やドキュメンタリーをおそらく一般の人よりも目にする機会が多かったと思う。被害が大きかった地区に復興上映会のお手伝いで足を運んだりすることもあり、そこで上映する映画やドラマの意味を自分なりに考える時間も少なからずあった。(各地の会場設営に向かう道すがら機材を盛々積んだ車内で先輩とよくそんな話をしていた)
そんな日々の中、震災を描いた物語で個人的にも本当によく出来てるなぁととても感動したとある作品があったのだけれど、その後その物語のモデルになった人物が心を病んでしまったという後日談を聞いて、(そのドラマがその人を直接追い込んでしまったわけではないけれど)結果として自分はただその人の人生を、震災を、感動作として消費してしまっただけなのではないかと、なにか見る側・上映する側の姿勢のようなものまで問われている気がして、それまでの自分がいかに無頓着だったか、311のことだけに限らず災厄を描くということはどういうことなのか、いまだその答えのない問いの中を彷徨っている感がある。

そして、いざ「おかえりモネ」の放送が始まるとTVは確かに見ているのだけど、どこかドラマの内容よりも高木くんの音楽を主に聴いている感じでちゃんとドラマを見ていない状態がしばらく続いた。ドラマとして良いのは間違いないのだろうけれど、無意識に態度を保留にしているような、どこか薄目でTVを見続けているような…。
そんなある朝、次女の幼稚園支度でバタバタしている時に、西島秀俊さん演じる朝岡が「あのとき自分は何もできなかった」と自分を責め続けるモネに対して「なにもできなかったと思っているのはあなただけではありません」というシーンに遭遇し、不意にこのドラマが自分の物語として目の前に現われたような気がした。
それからは改めて第1話から全部ちゃんと見返して、この物語を朝ドラの枠でやるというその製作側の並々ならぬ覚悟を感じて毎日欠かさず見るようになった。ちゃんと見るようになると、自分にも同じく二人の娘がいるせいか朝ドラのヒロイン姉妹が自分の娘たちのように思えて仕方なく、朝ドラとしては定石であるはずの亡くなったお婆ちゃんのナレーションがこれまでになく死者の声のように思えて仕方がない。
その後、製作スタッフの方はどんな想いでこのドラマを作っているかを知りたくて、初めてドラマのガイドブックを買い読んでみると、演出の一木さんが安達奈緒子さんの脚本には「来たるべきときにならないと語れないことがある」と言っていて、読みながら深く深く頷いた。
来たるべきときー。それを読んで僕は高木くんの2019年4月に開催した仙台でのトークとミニライブのことを思い出した。

仙台高木トーク

その日は、高木くんとも長い付き合いのせんだいメディアテークの小川さんがMCを務めてくれて、高木くんの初エッセイ集『こといづ』と初プライベート・ピアノ曲集『Marginalia』について、丁寧に質問をしてくれた。
(小川さんその節はありがとうございました!)
トークの冒頭、「こといづ」出版を意外なほど素直に喜んでいる高木くんに、小川さんが皮肉でもなんでもなく素朴に「そこまで素直に喜ぶ人も珍しいですよね?」と訊ねると、高木くんが「この本には自分のことよりも移住後数年間の村の様子がそのまま描写してあって、特に今はもう亡くなってしまった方のことがちゃんとここに残っていることが素直に嬉しい。」と答えたのがとても印象深い。その後、1つ1つのエッセイや曲が1冊の本やalbumにまとまることで変容する時間の流れについてや、けっこう家の離れた高木くん家のお隣さん・ハマちゃんのこと、山での微細で具体的な季節の変わりかた、最近はお休みしている映像制作時の時間感覚と音楽の違い、1つの音符の中に含まれているたくさんの音のことなどなど、ピアノの演奏を交えながら充実した時間は過ぎていった。期せずしてトークの内容が時間にまつわるものが多かったためか、MCは百戦錬磨の小川さんがトーク時の尺の感覚を失ってしまったりと、ちょっと日常とは異なる不思議な時間が流れていたのかもしれない。

仙台トーク1

そして、もうそろそろイベントも終わりに差し掛かろうかという時に、小川さんが不意に「震災の時にどこにいて、何をしていたか」ということを話し始めた。それは同じ東北に暮らしていてもなかなか表立って口にしないことなので、横で聞いていた僕もちょっとびっくりしたのだけれど、小川さんのその話を踏まえて高木くんが「最後にこの曲を仙台に贈ります」と言って、ピアノを弾き始めた。

仙台演奏開始

それはいきなりエッ?!と思うほどのこれ以上ない不穏な暗い出だしで、それまで聴いたことがない曲のように思えた。僕はおもわず「アレ?今日高木くん怒らせるようなことしたっけかな…。スケジュールきつすぎたかな…」と内心焦ったのだけど、その不穏な出だしの曲はゆっくりと美しい音色に変わっていき、映画『未来のミライ』で主人公の幼い男の子が舞い降りてくる雪を見る場面に流れる“of angels”であることに気がついた。
https://www.youtube.com/watch?v=P0L4q1l-OEo

そんな不穏な流れから始まった演奏に、僕はふと2011年8月に開催された荒吐ロックフェスに高木くんが出演した時のことを思い出した。それは震災後まだ数ヶ月の宮城での演奏ということで、個人的には強烈な波の映像で始まる“NIHITI”はさすがに高木くんも今回映像を出さないのではと思っていたのだけれど、当日はしっかりと自然の畏怖を感じさせるほどの大迫力で“NIHITI”は上映された。正直その後のお客さんの反応を見るのが僕は怖かったのだけど、SNSに挙がっていた反応では「特に高木正勝さんが震災をふまえた上で演奏していてとても良かった」との前向きな感想が多くて驚きだった。たしかに“NIHITI”は冒頭怖いくらいだけれど、最後までちゃんと見るとこれが生と死の命の円環の物語であることがわかる。だから、あのときあの場にいた人たちには、ちゃんとそれが伝わったんだなとそう思ったことを思い出した。

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そんなことを考えていると今、目の前で“of angels”を演奏する高木くんがずいぶん遠くにいるように思えた。里山の夜、こうして高木くんが自宅でピアノを演奏しているとき、隣の家のハマちゃんは高木くんがピアノを弾いている窓の灯をこの美しい音色と共に遠くに見ているのだろう。自らの暮らしが周りの風景の一部になる。その瞬間「あぁ、この光景が高木くんが昔言っていた“private/public”だったのか」とあれから10年以上経って、今ようやく高木くんの昔のコンサートの本当の意味がわかった気がした。
そして、その小さく遠くに見える窓の灯が“of angels”の音色とともに満天の星々の光のように思えて、あの震災直後の暗い夜の底で星空が本当に美しかったことを鮮明に思い出した。

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演奏が終わると、僕はもう胸がいっぱいになってしまい涙をこらえるのに必死で、その後もしばらくあのときの演奏の美しさを言葉にすることができないでいた。でもあれから2年が経った今あの夜のことを思い出すと、あのときの高木くんの演奏は仙台の街に捧げられた鎮魂歌であり、祈りではなかったかと思う。

仙台高木演奏

来たるべきとき-。それはきっと時計では計ることのできない、自らが求めるだけでは叶わぬ、おのずからの時が満ちたときに初めて知ることのできるとき。自らと自ずからが交わるとき。そのときのことをミヒャエル・エンデの「モモ」では『星の時間』と呼んでいた。
(そういえば昨年久しぶりにあった高木くんの映像展のタイトルも「星の時間」だった)
きっと「おかえりモネ」で描かれているものも、震災後10年という時計の経過だけでは計ることのできない、この「星の時間」についての物語だと思う。そして、今まで高木くんが手掛けてきた映像や音楽にはすべて、この「星の時間」が根底に流れているように思う。

「おかえりモネ」の放送も残すところあと一ヶ月となった。これから彼女たちにどんなときが訪れるのか、今は大きくなった娘たちを見守るような気持ちで、この物語を最後まで見届けたいと思っている。



※仙台トーク&ライブを手伝ってくれたカネイリ・ショップの岩井くん、ミュージアム・ショップの皆さん、写真撮影してくれた大河内さん、芸工大のみっちゃん、だいぶ遅くなりましたが、その節は本当にありがとうございました。

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