自己開示シリーズ 米国でのエピソード⑵
みなさん、こんにちは。
本日は、8月15日で終戦記念日。世界中がだんだんときな臭くなるなか、あらためて世界の平和に想いを寄せている経営コンサルタントの堀口隆広です。
おなじみ(?)の自己開示シリーズです。
前回には、車で事件(事故)について話をしたが、車でのエピソードを少し続ける。
米国の高速道路は、全国に碁盤目のようにきれいに整備をされており、基本、全路線無料。日本では考えられない。とっても広くて、便利。
ただ、ひたすらまっすぐなので、すぐに眠くなる・・・
速度制限は、当時、55マイル(88Km)/時、65マイル(105Km)があり、55マイル地域が以外と多く、皆さん大きな車を運転しているも関わらず、ゆっくりと運転していた印象がある。
速度違反や飲酒運転などは、結構厳しく取締りされていた。
筆者は、たまたま違反しなかったが、日本からの出張者など、何人かは速度違反でパトカーに止められた。
日本と同様に切符を切られ、そして、裁判所から召喚状がくる。日本のように簡易裁判で、罰金支払ってOKというわけにはいかないようで、すべて、弁護士が対応。費用がかかる。
飲酒運転は非常に厳しく、罰金のみでは済まない。違反の程度によりけりであるが、罰金以外に社会奉仕活動への従事が求められた。
高速道路を運転していると、中央分離帯で捨てられたゴミを収集する人達をよく見かけた。
当初、この人達はボランティア活動なのかな、と思っていたが、後にこの人達は飲酒運転等で課せられた社会奉仕活動なのだとわかった。ゴミの収集以外に、公共施設の壁塗りなどがあった。
駐在員の一人も、このボランティア活動経験者であった。なかなかできない経験である。
あと、車で思い出すのは、とにかくガソリン代が安かった。記憶しているのは、ガロン(3.8ℓ)あたりUS$1.00~1.2程度であった。当時のドル/円レートは125円程度であったので、33~40円/ℓになる。
これなら、どんな燃費の悪い車でもOKと思ったものだ。
本内容が、皆様にとって少しでもお役に立ちましたら幸いです。
可能性は無限大
堀口隆広