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【政治・経済】氷河期も 壁もソ連も もはや過去

 私はスルメタイプなのか、ガムタイプなのか。噛めば噛むほど味が出る奴なのか、その逆の奴なのか。いやいや、スルメだって、ずっと噛んでいれば、いつかは味が無くなるんだけどな。――休日出張の営業車が観光客の渋滞に巻き込まれ、何度もギアをニュートラルに切り替えてはサイドブレーキを引きながら、私はそんな物思いに耽っていた。それはサクラと出会う20年前、人生最初にして最後のカノジョだった春代にフラれて数年後、傍に“彼女”というものが居なくても「寂しい」とは漸く感じなくなってきたことに安堵していた頃のことだった。
 私達サラリーマンがこの供給過剰の飽和市場においてもなおモノを売るには、チャンスロスを探すという作業が必要となる。欲しいモノが欲しい時に手に入らない事を苦痛に感じるのは東京人の悪い癖かもしれない。手に入れたいモノがいつでも手に入ってしまえば、その次にはチャンスロスを自ら生み出さなければならない苦痛しか待っていないと解っているくせに、チャンスロスを減らそうとする会社の方針に従って働く。そのくせ春代を失うという自らの人生のチャンスロスには気付けなかった。せめて高校の時、「政治・経済」の授業あたりで、先生には是非「人生のチャンスロスに気を付けろ」と注意して欲しいものだった。
 ところが、時間の経過と共に、都会出身の私も地方の“不便さ”に馴染んでいった。実際に心底“モノ”を欲している折には、近くにスーパーが無い不便さ、必要としているモノが売り場に置いていない不便さにいちいち腹が立っていた。けれど、喉元過ぎれば熱さを忘れ、「モノが無いのが当たり前」という感覚が徐々に根付いてくるものである。これは別れた彼女に対する未練にも当てはまった。「パートナーが居ないのが当たり前」という余裕が不思議と身に付くのである。次第に私は「モノがあった頃」「彼女が居た頃」の満足感を執拗に振り返らないこととした。私のギアに「R」のシフトは不要だと信じ込むことに決めたのだ。春代にとって、もう私は「噛み終えたガム」も同然。――そして私は48歳になった。
 
 そういえば、チャンスロスどころか、チャンスすら無い私の将来について予言的に教えてくれたのは、寧ろ「日本史」の先生だったな。
 「え~、だいたい江戸時代の真ん中あたりで、江戸の町の人口は、ざっくりと男30万人に対して女20万人。その後100万人都市になってからも男だらけです。そうなると需要と供給の関係上、女性上位の世の中となるのでは必然でありまする。男にとって結婚なんて夢のまた夢。働けど稼ぎの悪い男は、安酒飲んで長屋で寝る。運よく結婚できたとしてもカカア天下。コレ、平成の今と変わりませんし、私は今後の日本がさらに“江戸化”すると思っておりまする、ハイ。武士、とりわけ下級武士の女は仕来りに縛られて苦労しますが、町人の娘なんて一生男に困りませんし、結婚してからも気楽な生活です。洗濯は“洗濯婆さん”という人がやってくれます。今のクリーニング屋さんですな。炊事といっても台所が無い家が多いので、お総菜を売る商いが充実していました。そりゃタダではありませんが、安いもんです。子供は勝手に近所の子と遊びに行きますし、勝手に寺子屋で学びます。そうなると、女房はやることが無くて、芝居を見に行ったりするわけです。中には酒と男に狂うような強者もいました。モノの見方をちょいと変えればですなあ、男の人生、女の人生、どちらが幸せだなんて、簡単には断定し難きところでありまするし、そもそも不毛な議論に思えまするな。
 男尊女卑なんて、長い歴史の中では一部を掻い摘んだ話だとも言えますし、つい最近の話とも言えるのでありまする。男女平等の在り方なんて、時代と状況と立場次第で変わるのです。『オトコばかりが外で働いて、オンナが家内を守るなんて、不公平でズルい』と言った時、一般的には女性の権利拡大と捉えるのが普通なのでしょうけど、果たしてそれってハッピーライフなのでしょうか。現代の我が国だって明らかに人口は男余りです。わざわざ会社組織の中で神経質な賃金奴隷を続けるよりも、映画やドラマを観て、ランチでちょっとだけワインなんかを頂いて、ってそんな暮らしのほうがいいでしょ。家族の住居と子供の教育にさえ贅沢を望まなければ、その生活は可能であり、今も女にだけ保障された自由です。男には無理な人生です。世間が許してくれません。するってぇと、例えば専業主夫を希望するオトコの気持ちを鑑みてこそ、正真正銘の男女同権なんだと言えるのでしょうな。」
 
 48歳――もはや生涯独身は確定的となった。あとは賃金奴隷をいつまで続けるのかという問題である。ありとあらゆる会社が、今でも「新しいことにチャレンジして、どんどん成長していこう」みたいなスローガンに自己陶酔しているが、さすがに飽きた。芝居は見るものある。いい加減、従順なサラリーマンを演じることに慢性的な疲れを感じ始めている。この疲れとは、いったい何処からやってくるものなのか。ああ、それについては「政治・経済」の先生がちゃんとヒントを与えてくれていたのだったな。
 「企業は独自の生産計画に従って、貨幣資本を投下し、工場や機械設備の固定資本を整えて、流動資本たる原材料を購入し、また家計から労働力を雇い入れます。こうして企業は生産を行い、商品を販売し、投下した以上の資金を回収します。そのうち投下した資金を超過する部分が利潤です。ハイ、ここまでが基本中の基本です。皆さんは『なんだ、簡単なことじゃないか』って思うかもしれませんが、生産にも主に3つのタイプがありまして、それが社会の仕組みを左右したりもします。
 1つ目が『拡大再生産』――ある商品の生産が、年々、減耗分を上回る設備の拡大、則ち純投資によって増えていく場合です。2つ目が『縮小再生産』――年々、生産設備の投資よりも減耗分のほうが大きく、従って生産能力が低下して生産量が減少していく場合です。そして、3つ目が『単純再生産』――毎年、同種の商品が同量生産されることです。生産過程で使用した建物や機械の消耗分だけを補う更新投資だけがなされ、利潤は全て資本家の個人的消費に充てられますので、設備投資に必要な資本は蓄積されません。」
 ――この時点で私は或る意味“挫折”したのだった。高校生の私は単純にこう考えた。1人のヒトが一度に2台のクルマを運転できる訳では無いし、昨日までコメ1合だったのが今日から突然2合食べるようになる訳でも無い。頗る人口増とならない限り、また――あまり好まない呼称だが――発展途上国でも無い限り、ある程度モノに対する需要の量というのは一定なのであって、ある程度成熟化した社会は結局「新しいモノの需要増」が「古いモノの需要減」と同時発生する法則性から免れないのではなかろうか。まして少子高齢化が進行すれば、国内の全ての企業が拡大再生産をしていくことは理論上不可能なのではないかという疑問を抱いたのである。かと言って、需要を求めて地球を飛び回り、世界中の人々にモノを押し付けるような商売に私は性格的に向いていない。自分自身が消費者として「毎日同じモノで満足している人間」「もっと便利なモノがあればいいのにというニーズを持たない人間」の部類だからである。それでも、この現代社会にあって凡人の私が効率的に安定的な収入を得るには、それなりに大きな会社のサラリーマンに属すくらいしか現実的な方法が見当たらない。公務員の道も心中に浮かんだが、必死の形相で試験対策に時間を費やしている大学生達の姿を目にすると、そこまでやる根性が私には無いことを瞬時に悟った。常に公衆への奉仕者たらねばならないという気苦労に加えて、寧ろこの“業界”こそが今後ますます時代に即した改革改善を迫られるに違いないことを想像するにつれ、私の行くべき場所では無いと悟った。
 すると「単純再生産で十分なのではないか、私にはそんな会社がいいなあ」といった考えに及ぶのは「必然でありまする」。単純再生産でも、投下した分の資本は回収している訳だから、毎年、労働者に賃金を支払うことは可能だと謂う。確かにベースアップは出来ないものの、毎年、同じ人数を新卒採用して、同じ人数が定年退職すれば、勤続年数に応じた昇給制度は確立できる。それで十分なのではないか。拡大再生産を目指して新商品をどんどん投じてくる会社に屈しないような強いブランドをいくつか持っていれば、客が離れないので、縮小再生産に転じる心配もない。一方、いくら商品が売れ続けたとて、決して欲は出さない企業理念を貫く。老舗の菓子屋や漬物屋のようなイメージだ。毎年、同じ場所で、同じ人数で、同じ労働時間で、同じ機械で、同じ商品を同じ個数だけ作る。いくら人気があっても、デパートに2号店をオープンさせたり、東京に進出したり、そういう拡大方針は自らの手で抑制する。
 兎にも角にも、便利な新商品や新サービスを開発する、未開拓の市場に新しいタネを蒔く、そのような分野に興味のある人、そのような仕事が得意な人が、その任務に邁進してカネを儲ければよいのであって、私自身は必要以上にその価値観には巻き込まれたくなかった。明らかに向いていないからだ。とは申せ、世界有数のGDPを誇る先進国に生まれた以上、そしてその恩恵に与って生きる贅沢に人生が慣れ切ってしまっている以上、今の資本主義を支えているフロンティア精神やチャレンジ精神に漲っている方々に便乗して生きていくしか、私には将来を渡り歩く術が無い。
 高校生の頃からこのような思考回路だったものだから、私は大企業の中でも歴史ある食品メーカーを勤務先に選んだ。超就職氷河期だから会社を「選べる」ような状況では無かったけれど、この氷河期を乗り越えるために中学から10年間必死に勉強してきたといっても過言ではなく、その努力は結実した次第である。
 幸い複数のロングセラー商品を有する会社だったが、そりゃ私が期待するような単純再生産を是とする筈が無く、そもそも大企業は拡大再生産を望み続ける運命にある。まあ、安くない賃金と引き換えに、そこは涙を呑んだし、そりゃ若い頃はカネを稼ぎたかったので、止む無く拡大再生産に賛成の立場をとった。しかし、貧乏から脱出し、父母も他界し、結婚も出来ず、扶養家族がゼロとなると、収入への執着が無くなるため、拡大再生産に付き合い切れなくなってくるのである。やはり資本主義経済より優れたシステムを人類が考案できない以上、資本主義経済の継続のために結婚はすべきなのであろう。が、出来ぬものは仕方ない。それ故、私は給料が下がっても構わないから、大企業の中でも是非「単純再生産」的な逃げ場となる部署を設けてほしいものだと願うのみ。ああ、でも、その場所に行けるのはダメ社員の特権だったな。私にはダメ社員に成り切れる程の勇気も才覚も無い。心底腐ったダメ社員というのは、この私のことかもしれぬ。
 
 その点、労働組合というのは「単純再生産」に近いことをしているので、安定的で安心感を得られる場所だ。毎年、賃金に対して同じ率の組合費を納め、同じ場所で定期大会を開き、少しくらい中身は練磨するも、同じ基本理念に基づく運動方針を立て、少しくらい中身は練磨するも、同じ時期に同じ目的の会議や研修を行う。会社の拡大再生産に合わせて賃上げは要求するけれど、その方法は毎年変わらず、中央委員会で要求内容を可決し、要求書を経営に提出して、春闘の連続労使交渉で妥結に至る。もう何十年もこのやり方。だからホッとする。変化を望まない民間企業の労働者が居たら、執行部に立候補するがいい。専従で無い限り、仕事と組合との両立に忙殺こそされるが、その割に組合は仕事と違って精神的な落ち着きを取り戻せる場でもある。おまけに会社から慰安旅行なるものが自然消滅していったことにより、ますます社員同士の交流や懇親のイベントは組合の専売特許となっていった。高校生にとって授業と宿題とテストが「仕事」だとしたら、「組合」は部活や文化祭や体育祭や林間学校みたいなものである。会社側も、それが大企業であれば尚更のこと、組合側の提供する「職制には無い横軸での繋がりや人財育成」への理解度と協力度は高い。「従業員の結束力と満足度の向上」と「企業の利潤追求」――労使双方の思惑が合致するという幻想を現実化する装置が日本版の労働組合だからである。・・・先生の解説はこうだった。
 「欧米で一般的なのは『産業別労働組合』なのですが、日本の労働運動は同一企業の従業員だけで組織される『企業別労働組合』が中心です。『産業別』では、労働者が企業を越えて団結できる一方、労使が常に対立するあまりストが頻繁に起こります。『企業別』では、労使協調主義でストが起こりにくいのですが、愛社精神が労働者の連帯感に優先しがちです。
 そもそも労働力というのは、財貨を生産するときに使う人間の肉体的・精神的な『能力』なわけですが、資本主義社会においては、労働者は『労働力という商品』を売って賃金を得ることとなります。このように元来商品ではない労働力が商品として売買されるようになることを『労働力の商品化』といって、これは資本主義社会だけの現象と謂われています。そうしますと、売り手となる労働者と、買い手となる資本家則ち企業の出会う『労働市場』が生まれ、ここで労働力の価格である『賃金』が決まります。ここまでいいですね、理解できますね。
 では、労働市場では自主的な意思に基づいて平等で自由な契約が常になされるかというと、それが危ういのですね。機械制大工業の発達した資本主義の確立期以降は、熟練労働が必要とされなくなりますので、労働者の地位は低下していきます。そうしますと、労働者は使用者に対して弱い立場となり、雇用契約や労働条件は使用者の意図するように決められていきます。提示された条件を拒否すれば、会社側は別の労働者を雇うのみ、って感じですね。利潤追求を優先する使用者は、労働者に劣悪な環境で長時間労働や低賃金労働を強制します。」
 ――当時の私は「そんな事、当たり前じゃないか。先生は何を言っているんだ。私達はこれから会社に入ったら、賃金奴隷として社畜としてボロ雑巾にされるだけ。それくらいの覚悟は出来ている。」と本気で思っていた。これがバブル崩壊後の高校生の常識であり、就職氷河期の大学生の常識であった。事実、大卒であっても腑抜けな奴は正社員になれる保障が無かった。学校サボって遊び惚けていても、自分の商品価値を上回る企業から引く手数多だった世代とは、育ち方も心構えも違うのである。たまたま自分が就職活動を迎えた年に労働市場が供給過剰となってしまった不運を嘆く暇も無く、死に物狂いの競争に巻き込まれていった。そして、私達の世代がボロ雑巾となった後、労働者には人手不足の追い風が吹くこととなるのだから、まったく皮肉なものだ。受験戦争に就職戦争、自由だが悲壮感すら漂っていたあの過酷な競争とは一体何だったのか。
 
 そういえば、「競争は自由だが、勝ち過ぎても駄目」って理屈を学んだのも、この授業だったな。カルテル・トラスト・コンツェルンって、独占禁止法の基本を脳内に叩き込んでいた頃が懐かしい。
 「現在でも『財閥』とは異なる形ですが、主力銀行を同じくする企業群として『企業集団』が存在しています。ここはもう暗記問題ね、というか、駅前の銀行の看板を見ていれば自然と憶えてしまいますよ。①三井グループ、さくら銀行ですね、②三菱グループ、三菱銀行ですね、③住友グループ、住友銀行ですね、④芙蓉グループ、これは富士銀行です、ここだけ注意、⑤三和グループ、三和銀行ですね、⑥第一勧銀グループ、第一勧業銀行ですね、以上で六大企業集団です。」
 ――この手の勉強は無駄でこそないものの、常に情報更新を要するから厄介だ。例えば、中学校の「地理」でソ連の農業や社会制度を習ったり、西ドイツの首都がボンで、東ドイツの首都がベルリンなのに、そのベルリンの中にも東西を隔てる壁があることを習ったり、苦労して様々な知識を得た割には、結局すぐさま――それも中学を卒業するまでの間に――いずれも“歴史”の一部へと編入されてしまった。六大企業集団もそれくらいのスピードで過去のものとなっていく。が、こちらは旧ソ連のような分裂でもなく、ベルリンの壁のような崩壊でもなく、主に合併という道を辿る。私が就職した時点で、すでに①と③は結婚して三井住友銀行になっていた。④と⑥もくっついて、みずほ銀行になった。②と⑤もあれこれあって、三菱UFJ銀行とかいう、もはや旧姓を思い出せないほどの縁組を繰り返した。金持ちはいとも簡単に結婚するっていうことか。
 恋愛も自由競争であり、一夫一妻制なる独禁法の適用は一応なされる。が、もう私はこの市場においては論外。経営破綻どころか、会社の設立登記すら許してもらえなかった観の人生だった。
 
 銀行にも企業集団にも何ら興味は湧かなかったが、勉強していて少しだけ楽しかったこともあった。「富士」山の雅称が「芙蓉」峰であることや、その芙蓉は蓮の花の別名であることや、富士山の頂上に連なる峰々が蓮の花の八弁に見えることや、美女のことを「芙蓉の顔(ふようのかんばせ)」と表現することを知るに連れて、私は富士銀行に潜む風流な趣が好きになり、口座を作ったのだった。
 芙蓉の花言葉は「しとやかな恋人」――嗚呼、春子さん、貴女こそ私の胸に咲き誇る芙蓉です。私は貴女に吸収合併され独占されることを強く望みます。私には他の企業が参入する余地はありません。――とっくに恋愛市場から降りた筈の桑年独身男が、年甲斐も無く中学の初恋の人に再び想いを寄せ、春には開かぬ芙蓉の花に春子の顔(かんばせ)を重ねては恍惚としているところを遮るようにして、スマートフォンが鳴る。「今度の土曜日、会わへん?心斎橋にケーキの食べ放題見つけてん。ええやろ」――それはさくら銀行、否、サクラからのメッセージだった・・・つづく

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