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【進路相談】夢叶え 次なる夢は 無かりけり

 友達が多かったおかげで、20代後半から30代にかけては、数え切れない程の結婚披露宴に招かれた。この日は新郎が中学時代の友人だったため、高砂の目の前に着座する。高砂の彼と同じ校舎で学んでいた当時、私はまさに春子さんに一度目の恋心を抱いていたわけだが、その麗しき姿は残念ながら会場に無く、私はもうこの時点で酒と料理に集中しようと決していた。披露宴たるものは基本的に二人とその親族の自己満足のために開催され、またそうあるべきである。従って、客にとって面白い内容である筈が無く、またそうあるべきである。有名人のパーティーなら兎も角、正礼装なんて身に纏ったこともない素人の“演芸会”なのだから、冷静に考えてこれは止むを得ない事なのである。友人を祝う気持ちはあれども、二人がケーキを切ったり、キャンドルを灯したり、仲間が下手な歌を噛ましたり、どうも私はああいう場面に嬉々とする性格では無いようだ。
 むろん嫉妬や卑屈や劣等感が皆無だとも言い切れない。独身貴族と謂うけれど、貴族と謂うのは嘘だ。貴族なら結婚したい時期にとっくに結婚している。余りにもモテなかった私は、余り物には福があるという希望を女性側に抱かせることも三十路辺りで諦念し、人生の方向性を労働と貯蓄と母親孝行に徹することにシフトしていた。
 私が多用する「モテない」を定義づけるとしたら、「それ相応の努力をしたにも拘らず、結婚相手をたったの一人も得られぬまま、生涯未婚率にカウントされる年齢に達すること」を意味する。異性の友達には寧ろ恵まれていたし、友達としては仲良しなのに、恋愛に一歩進めようとすると相手が離れていく。まあ、一度だけ自分のほうから離れてしまったスナックの小春ちゃんとの経験は甚だしい反省点だけれど、その一度の例外を除けば、どうやら私という奴は折角親密になった女性からも「オトコ」としては見られない質だと分かった。自分が「普通の幸せな家庭を築ける普通の男」では無いという現実に早いうちから気付いたのである。そうなると、この物悲しい先見の明を誇りに変換しつつ生きていくしか無かった。そうやって真の“成人”へと駆け上がっていったのが私の20代だった。
 畢竟、独身に慣れてくると、一人でも生きていける自立した人間が、敢えて二人で支え合って生きる必要性をさほど強くは感じられなくなっていく。しかし、尾崎放哉は「咳をしても一人」という名句を残した。やはり一人ってそんなに寂しいものなのだろうか。自由奔放に生きた彼の自業自得とも思える一方で、その末の孤独は「明日は我が身」とリアルに心得ておくべきだろう。しかも、あんなに評判の悪い男でも20代半ばにはちゃんと結婚していることを踏まえると、おそらく生涯独身に違いない私は尚更のこと孤独に向き合う精神を鍛練しておかねばならぬのだろう。
 
 但し、披露宴のプログラムにも例外はある。乾杯前の主賓による挨拶と、終盤の新婦による両親への手紙だ。とりわけ前者は、稀にそれが嫌味の無い教訓だったりすると、感動すら覚える。この日は新郎の勤務する会社の支店長だったが、その風采から私が寄せていた仄かな期待を裏切らない語りだった。
 「いつの時代も、若い人は『やりたい事を見つけよう』『夢を持とう』と言われ続けて育ってきていると思います。が、やりたい事がそう簡単には見つからないのが今の成熟した社会ですし、特に人生を賭けるような夢を持てなかった人がサラリーマンになります。もしかしたら新郎も当社への就職が第一希望の進路では無かったかもしれません。でも、そのほうがいいですよ。入口で第一希望が叶ってしまうと、現状に満足して、入社時がピークの社員になってしまいかねません。私自身、いろいろな新入社員、いろいろな若手社員を見てきた経験上、そう感じます。その点、新郎は営業マンとして誠に優秀であり、少なくとも入社時がピークの社員には該当しませんから、当社が第一希望では無かったのかもしれません。」と、ここでまず会場に柔らかな笑いが漏れる。
 「彼の提案、彼の企画書は常に読み手に分かりやすく、お客様に何をどうしたいのか明確に伝わります。この宴席には彼の先輩社員も居ますので、本来は新郎に手本を見せないといけない彼らの立場からすれば気分が悪いかもしれませんが、また新郎も皆の前で称賛されて居心地が悪いかもしれませんが、この男、これから先、どんな魅力溢れる仕事をしてくれるのか大変に楽しみです。
 そんな彼が、とうとう第一希望の女性と出会い、共に伴侶として人生を歩むこととなりました。どうか入籍時がピークの夫婦とならないよう、これから益々のご活躍と、お二人の幾久しいお幸せを祈念申し上げます。」
 ――やりたい事も特に無いままサラリーマンとなった私は、支店長の語りに共感し、大きな拍手を送った。披露宴のスピーチだからお世辞の割り増しはあるだろうけど、彼が有能なのは中学時分から周知のこと。ましてやこんなにも支店長から褒めちぎられたら、ましてやこんなにも綺麗な妻が傍に居たら、自ずと仕事にも情熱を注げるだろう。そんな輝かしい彼に比べて、いつも通り自らの不甲斐なさにうんざりする。まっ、結婚は無理でも、人事考課の点数が高い分だけ、まだ私の人生も捨てたものでは無いか。
 
 そりゃ、サラリーマン稼業それ自体が人生の目標であり「夢」である訳が無い。が、サラリーマン稼業が「本当にやりたい事」を具現化するための手段であると捉えれば、必ずしも「やりたい事を職業に出来なかったこと」がイコール「夢を果たせなかったこと」にはならない。そのようなちょっとした思考回路の組み換えが、この成熟化社会においても若者が夢を持てる術なのではなかろうか。そうなると、私が「本当にやりたい事」とは一体なんだろう。そうだった、そうだった、貯蓄と母親孝行に尽きるのだった。そうなると、貯蓄と母親孝行という目標を達成してしまった後はどうするのか。――30代の頃にはこの想像力が不足していた。それ故、40代から徐々に、否、急激に、会社に勤め続ける動機を失って、現在48歳の私は鬱陶しい迷い道を彷徨っている。
 入社早々から計画通りに貯蓄した。その貯蓄を頭金に母と私で暮らすためのマンションを購入した。その住宅ローンも計画通りに完済した。「この家は子の七光りだ」と言って、母は中古の狭い部屋でも満足してくれた。さらに貯蓄して、数え切れない程の旅行を母と楽しんだ。そして晩年は母の望み通りに自宅介護した。他界後も貯蓄は習慣化していたし、会社や組合の斡旋する金融商品がどれも給与天引きであるため、別にケチな生活を意識せずとも確実に可処分所得が増えていった。贅沢さえしなければ、もう老後に困らないと言えるくらいのお金は手元にある。そうなると、ちっとも働く意欲が湧かないのだ。
 そもそも私という人間は、民間企業の業務の中身そのものには関心度が低い。但し、組織内でそれ相応のお役目を引き受けている事情により、これを無責任に放り出して仲間を裏切るようなことはしたくないという勇気の無さが邪魔をする。結果的に惰性で退職願の提出を踏みとどまっている状況だ。事実、決して思い上がりなどでは無く、私の退職を慰留する人は何人も居てくれる。これは有難くもあるが、人生をややこしくする面倒でもあるのだ。
 夢を叶えた後の次なる夢までは用意していなかった。そのせいで、まさかこの歳になって「夢を見つけられない若者」に“先祖返り”するとは思ってもみなかった。
 
 そんな近い将来に向けた想像力すら不足していた30代の私は、乾杯後、豪勢な料理に舌鼓を打っていた。前菜は「茸と小海老のパイ 烏賊とまぐろのガトー仕立て ルッコラとともに」というものだった。近くのテーブルでは、新郎の先輩社員たちが「上品すぎて憎たらしいメニュー名だな。」「酒だって、庶民からするとワインの銘柄なんて判らないしなあ。」「けど、判らなくても旨いな、コレ。」「おお、二次会はホッピー飲みに行こうぜ。」といった談笑を繰り広げていたので、つくづくアイツは良い会社に入ったなと実感した。
 お次は「フォアグラのソテーと冬大根の含め煮 ペリグーソースとともに」の皿が運ばれた。先輩諸氏のテーブルは「毎日毎日、寝て起きるだけだよ。先が見えねえなぁ。やってもやっても終わりが無い。夢も何もねェよ。息してるだけ。食ってる時しか幸せ感じねェもん。だからこのフォアグラ、余計に旨いな。」「最近、30代の突然死が多いってゆうから、気を付けたほうがいいぜ。」「どうやって気を付けろってんだよ。」「仕事が死ぬほど忙しいから、残業して、趣味も奪われて、ストレス溜め込んで、愉しみといえば美食。こうゆう生活パターンが脂肪肝をつくって、尿酸値を上げて、高血圧にも繋がるんだとよ。」「オマエ、医者みてえなこと言うなア。」「だって、是、医者に言われたそのままだよ。大丈夫。死んでたまるか。死ぬほど忙しくても実際には死なねぇよ。」といった談笑を繰り広げていたので、つくづくアイツの会社も私の会社も似た者同士だなと実感した。
 さて、旬のスープを挟んでから、お次は魚介だ。「平目と帆立貝のポワレ 渡り蟹のリゾット添え」、これもこの上無き美味である。先輩諸氏のテーブルは「二日酔いで寝不足だってのに、早朝から出掛けてだよ、2万も3万も払って、汗かいて、ゴルフって何が楽しいんだろ。」「文句言ってる割に、オマエ、いつもラウンド中、楽しそうじゃねえか。」「そりゃ、自然の中で紳士的なスポーツを嗜むっていうオトナの優越感でしょ。」「オマエ、そんなこと考えながらスイングしてんの?そりゃ上達しない筈だわ。」「でもよ、クラブハウスじゃジャケット着用がマストでさあ、あんなに気持ちいい芝生の上なのに、襟付きのシャツにセンタープレスのパンツって、会社に行くのと変わらないオヤジの格好がドレスコードって、妙な世界だよな。」「だから、年を取ってもやれるんじゃねえか。あの場所じゃ、オヤジ臭いことがカッコイイって認められるんだから。」「まあ、オレたちもあのオッサン連中に無理矢理誘われたのがきっかけだったもんな。」といった談笑を繰り広げていたので、つくづく『ゴルフの出来ない奴はセールス失格』と迫る強引な論理が半永久的に健在であることを実感した。そして、彼らの視線の先にあるテーブルでは、噂の「オッサン連中」が既に盛り上がっていた。婆さんの一団は酒を飲まなくても五月蠅い場合が多いけれど、酒を飲んだ爺さんの一団ほど近くに居るだけで疲弊するものはない。自分の事は棚の上。他人の批評と若い頃の武勇伝に夢中。その姿を拝見しながら、「私もあの歳になると、ああなるのか」といった一種の落胆を含有した疲弊に襲われるのだ。「私はああはならない」という将来を指した傲慢には何ら保障も根拠も無いため、自分より先に年老いた人がカッコ悪く映る場面には疲弊しか突き刺さらない。
 お口直しのシャーベットを経て、メインディッシュの「牛フィレ肉のロースト 冬野菜の庭園風 ヘーゼルナッツソース」とやらにナイフを入れる。後はデザートとコーヒーだ。言わずもがな、同級生を集めた私のテーブルは会話の弾み方が桁違いであった。「お色直しン時にビックリしなかった?奥さん、すげえ背ェ高いよね?いや、入場のときにはあまり意識しなかったんだけどさぁ、アイツと10センチくらい差があると思うよ。」「バレーボール選手かなあ。」「それ偏見だぜ。リベロかもしれねえし。」「リベロじゃ結局バレーボール選手じゃねえか。」「さっき『新婦の親友は生物部の仲間です』って司会の人が紹介してたよ。」「それ、先に言えよ~。」「ウチと一緒だわ。」「えっ?オマエの奥さん、生物部なの?」「違えよ。柔道部同士だってば。蜘蛛と一緒でさあ、メスのほうがカラダも大きくて強いんだよ。」「それ、普通はノミの夫婦って謂うんじゃねえか?」「蜘蛛ってねえ、気持ち悪がられるけど、人間に害を与える蟻を食べてくれるから、イイ奴なんだ。だから蜘蛛はもうちょっと丁寧に取り扱ってやらなきゃダメなんだってば。」「何だかオマエが生物部みてぇになってるぞ。」全員のツッコミも何のその。蜘蛛マニアの柔道部員は「イイ女だよ~。背の高い彼女と結婚してマジで良かった!かかあ天下で気楽だし。」と自分の妻を堂々と自慢していた。「かかあ天下は背の高さと関係ねぇだろ!」とまたも全員でツッコミを入れるも、「アイツん家もかかあ天下で円満だな。」と一人頷いていた。こうも「イイ女」と連呼して惚気るのも逞しいが、私には若干の疑問があった。それは「あまりにイイ女は、同じ屋根の下に一緒に居ると疲れるのではないか」という勝手な先入観によるものだった。
 
 イイ女と時と場を共にするのは悦ばしき筈なれども、却って疲れてしまう。これは自分もイイ男で居なければならないという自縄自縛に苛まれるからだと思う。きっと逆もまた然りなのだろう。そりゃ初恋の人だから欲目の割り増しはあるだろうけど、春子さんほどイイ女は巷にそうそう居ない。容姿が端麗というわけでなく、他の男子生徒が彼女に想いを寄せているなんて話も全く耳にしなかった彼女。48にもなってから恥も外聞も捨てて渋谷で再会してみると、私だけが慕っていたその面影を残しつつ、心身ともに清らかさと艶やかさを併せ持った佳人へと熟していた。そして私は「オトナになった彼女」と「中学時分の私の眼力」の双方に惚れた。でも、こんなにもイイ女を目の前にすると実は苦しいものだと知った。勿論、今更背伸びしてモテようともしないし、ごく自然体で接するのだけど、それでもなお「いずれは友達以上の関係になってみたい」という下心だけは、昭和の便器に沈積した尿石の如く執拗で、とても洗い落とせない。この悪臭と決別しない以上、恋愛の最中は快適なものでは無い。煩悶と懊悩との僅かの透き間にしか、ときめきや癒しや慰めは訪れぬ。胸というものは、躍ると消耗するものなのだ。恋愛が煌めき華やぐものだなんて、試合終了後になってまるで他人事のように振り返るから宣える科白。相手がイイ女である程、恋はそんなに生温いもんじゃない。これは33年ぶり二度目の恋心でも同じことだった。
 風俗嬢のサクラと――春子さんと再会してからはカネとカラダの関係を断ったけど――偶に梅田や難波で食事をする際には、やってる事がデートそのものであるにも拘らず、緊張感というものが殆ど漂わない。春子さんには申し訳ないが、サクラのほうが年齢も相当若いし、一般的な水準に照らして容姿もかなり端麗だ。それでも、である。そのサクラが太鼓判を押すイイ女――それが春子さんという人なのである。
 例えば、弁天様のような美人女優でも、その日その時の気分、化粧の仕方や衣装の着こなし方、写真写りや角度等々によって、別人に見えたりすることがある。録音した自分の声を聞いた折の驚きのように、なかなか本人には気付けないものだが、人間の見え方は周囲の描写によって変化するものなのだ。春子さんだって日によって変化している筈である。なのに、私の描写する春子さんは、化粧や衣装や角度とは無関係に、絶えず弁天様なのである。これが痘痕も靨というやつか。いやいや、客観視を試みるに、サクラには「隙」があるから私も油断して付き合える。蓋し、春子さんには「隙」というものが一切無いから油断できないのだ。当然ながら、二人が出会った経緯、積み上げてきた関係、恋愛感情の有無、そういった違いもあるのだけど、実はこの「隙」の有無が大きいのではなかろうか。サクラくらいにお茶目でワルイ女だと、そのワルさを可愛らしいと迎え入れ、こちらも気を許す。一方、春子さんにも無邪気で滑稽な部分はあるのだけど、兎にも角にもイイ女過ぎるのだ。
 くだけているのに礼儀正しく、さりげない気遣いと凛とした所作。朗らかな雰囲気を湛えながら、他人と自分を比べることも無く、艱難辛苦を環境のせいにしない厳しさすら漂う。日々の衣食住に関わる些細なことを1つひとつ疎かにせず、丁寧に暮らしている様子が私を魅了して離さない。極めて人間的なのに、振る舞いや生活態度が非人間的なまでに完璧。巧みな英語で体得したのであろう国際感覚や多彩な文化への精通にも脱帽するばかりである。町人なのに武士のようでもあり貴族のようでもある。そりゃ、育ちは裕福そうだったけれど、私と同じ区立中学で泥臭い青春を共にした庶民に変わりはない。私はボロアパートに住もうとも食卓に一輪挿しを忘れないような清貧を是として生きてきた人間だから、根っからのお嬢様ってわけじゃない彼女が自らの努力で手に入れたその気品を敬愛する。畏れを抱かざるを得ないほどの靭やかさと婀娜やかさだ。
 凄まじいフェロモンに、こりゃもうお手上げ。私は彼女の“貞淑な”夫になりたかった。おそらく本人はこういう甘ったれた男が最も苦手なのだろうけど、私はこの人に私の全てを捧げ、この人の人生を支えてみたくなった。正式に籍は入れなくてもいい。朋友であり、同士であり、心の夫たる存在であればいい。そう、オスカルとアンドレのように!――といった具合に私のお熱が沸点に達すると、その水蒸気に目覚め、己が48歳のオジサンたる現実に赤面する。が、やはりハチ公前で待ち合わせたあの日から胸の疼きが治まらない。
 
 季節の変わり目毎に東京で逢瀬を重ねる相手がイイ女過ぎるなんて、贅沢過ぎる疼痛ではないか。これぞカネでは買えない贅沢というやつか。考えてみれば、私の人生の前半は――たとえそれが計画通りとは申せ――カネで手に入る幸せが大半だったし、それによって人生の目標感も守られていた。「幸せはお金で買えるものがほとんどなのです。お金で買えない幸せが大事なのは、誰でも知っています。お金で買える幸せも大事にしましょう。」――高校時代の「政治・経済」の先生がそう教えてくれた通りに生きてみた結果であり、かつ後悔も無い。ところが、今度は「お金で買えない幸せ」という理屈抜きの真実をどのように咀嚼したら良いものか、戸惑っている私が居る。若い頃に比べると“舞台”が変わり過ぎたせいだろうか。先生の教えが、人生後半に春子さんが再登場したことと共鳴して、高校当時とは異なった響きの曲を奏でる・・・つづく

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