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【体育祭】憧れの 体育祭とは 程遠く

 「ぬくい」はあたたかい。「あんじょう」は具合よく、「からい」は辛いときも塩辛いときも両方使う。京都に住んで20年近く、大抵の方言にはもうすっかり馴染んでいるけれど、こればっかりは未だに今ひとつどういう場合に用いるのが適切なのか、その意味合いをしっかりとは理解できていない言葉がある。それが「辛気臭い」である。
 辞書によると「思うにまかせず、じれったい。」「障壁の存在などにより、事が思うように運ばず、焦れているさま。または重苦しい心持ちでいるさま。」「思うようにならず、いらいらするさま。また、気が滅入るさま。」といったところだ。

 東京オリンピックの閉会式を視なから、「なんかモヤモヤするこの感覚は一体何だろう。どのようなコトバを使用したら、この何とも言えない気持ち悪さを正確に説明できるのだろう。」と思っていたら、「そうか!この状況を『辛気臭い』と表現するのだ。これが辛気臭いというやつなんだ。」とようやく分かったのである。
 このオリンピック、競技にはそれなりに感動することもあったのだが、何かこう今までのオリンピックで感じたような、心からワクワクする楽しさがないのである。
 それは、昔と違って娯楽が増えたから、スポーツで楽しくなる感覚が鈍くなっているのだろうか?いやいや、つい先月も照ノ富士の活躍する大相撲を楽しんだばかりじゃないか。・・・では、若い頃には豊かだった感受性が、年齢と経験を重ねるとともに鈍くなっているのか?いやいや、つい先月も、せめて自国開催の五輪の雰囲気だけでも味わいたいと思って東京まで行き、事前予約したミュージアムを見学したし、聖火台まで見物してきたではないか。・・・むしろ「賛否の分かれる五輪だけど、どうせ開催されるなら思い切り楽しもう」という前向きな姿勢で、私はこのオリンピックを迎えていた。そして、全力を尽くした選手たちはもちろん、それを支えた現場のスタッフたちも、皆とても美しく輝いていた。彼らにオリンピックをつまらなくした要因は一切ない。・・・では、無観客だったからだろうか?いやいや、つい15年くらい前までに遡れば、平日のパリーグなんか無観客試合かと思うほどの来場客数だったけど、熱くなれたし、心から楽しめた。・・・では「緊急事態宣言」や「まん延防止等重点措置」でステイホームをお願いされたからだろうか?いやいや、自国開催だろうと他国開催だろうと、スポーツの国際大会なんてテレビで応援するのが当たり前であり、それでも今まで心から楽しめたではないか。(読者の皆様へ:この頃の世界は新型コロナウイルス感染症と呼ばれる伝染病が蔓延し、外出自粛要請等の政策がとられていた中での五輪開催であり、メインスタジアムである国立競技場を含め、ほとんどの会場は無観客だったのです。)
 すなわち、何か決定的な要因があるわけでもないのに、何かふんわりとした特別な事情が障壁となって、重苦しい心持ちになり、「始まってみたら盛り上がるだろう」という予想に反して、どことなく気が滅入っていくのである。そう、まさに辛気臭いオリンピックだったのである。

 前回(1964年)の東京大会が「陽気な日本の始まり」を象徴する大会だったように、今回(2021年)の東京大会は「陰気な日本の始まり」を象徴する大会だった印象だ。(読者の皆様へ:夏の五輪が自国で開催されたのは2021年が2回目で、1回目の1964年も東京でした。正確に言えば1回目は秋とも言える10月の開催で、それが国民の祝日である「スポーツの日」の始まりです。)
 前回の大会は、新幹線をつくり、モノレールをつくり、首都高をつくり、やがて少しずつ大衆のモノもカネも満たされるようになって、あの戦争から日本は本当に復興し、ココロが明るく転じていった契機だった。私は当時を生きていたわけではないけど、歴史に学ぶとすれば、前回の東京大会は「陽気」の象徴だったのだろうと受け止めている。
 一方、私が生まれたあとの日本は、中学生の頃にはバブルが崩壊し、平成の「失われた30年」の間にも経済成長を妄信し続けて迷走し、大学を卒業する頃には就職氷河期だった。前の東京大会あたりから、苦しい山登りの中にも楽しみを見出しはじめた日本は、多少無理をしてでも、汗をかいて登れば登るほど景色も良好になっていくことを感じながら、ますます懸命に登り続けた。そして山頂に到達したときになって初めて「自分は次に目標とする山を決めずに、とりあえず目の前の山を登っていただけだった」ということに気付いた。加えて、次の山に登るとしても、一度は下山の必要があり、実は山登りでは「登山」よりも「下山」のほうが難しく、怪我をしやすく、技術力と計画性が要求されることにも気付いた。そして、とりあえず景色は良いから、今後どうするかについては暫く山頂で考えてみることにしたが、徐々に天候が悪くなって、とうとう技術力も計画性も持たないまま下山を余儀なくされた。そんなわけで下山なのか登山なのかすら定まらずに森の中をひたすら彷徨い続けているような状況こそ、私が中学生から社会人20年目に至るまでずっと目の当たりにしてきた社会の姿だった。

 日常生活に明らかな不自由や不便や不満があるわけでもないのに、どことなく鬱々とした世の中。そんな日本で開催された今回の東京大会が辛気臭いオリンピックとなったのは必然だった気がする。後々になってから歴史をわざわざ振り返るような作業をしなくても、すでに終わったばかりの現時点で、今回の東京大会は「陰気」の象徴だったと受け止めざるを得ない。私は「不遇の世代」の真っ只中を生きてきたが、それでも悲壮感を忘れるかのように歯を食いしばって思春期を乗り切ってきた。今回のオリンピックが「結果(レガシー)」を残したとすれば、それは「忘れていたはずの不遇の世代の悲壮感」そのものだったのではなかろうか。私は、前回の東京大会をリアルに知っている“年寄り”たちの道楽や酔狂のおかげで、思い出したくもなかった青春の陰の部分をまざまざと見せつけられた。「もう二度と自国開催の夏の五輪は観られないかもしれない。だから楽しもう。」という気持ちで迎えていたけれど、「何かが違うな」と察し、その虚無感にようやく気付いたのである。

 「より速く、より高く、より強く、一緒に!」をモットーとするような明るい大会は、やはり「登山中」の都市、もしくは「技術力と計画性をしっかり持ちながら下山中」の都市で開催するべきだったのだ。それがこのオリンピックに私が心からワクワクするような楽しさを感じることができなかった理由だったのだ。
 理由が分かったら、ますます眠くなってきたので、閉会式は最後まで視ることなく、テレビ中継を録画しておいて寝ることにした。翌朝、閉会式の続きを視ようと再生ボタンを押してみたら、録画されていた番組の大半の部分が閉会式の途中から九州上陸の台風の緊急ニュースに切り替わっていた。開会式のMISIAさんの「君が代」も、閉会式の岡本知高さんの「オリンピック賛歌」もすごく良かったと感じたし、セレモニーの演者の方々も素晴らしく、決して誰かが悪いというわけではないのだけど、何か最後の最後まで辛気臭いオリンピックだった・・・。
 もうオリンピックは少なくとも日本国内以外の都市で開催すべきだと心から思った。オリンピックがつまらないのではない。森の中を彷徨い続けているような国が、自分の立ち位置も定められないまま招致してしまったオリンピックだから、心からは楽しめなかったのである。

 新型コロナウイルスのせいではないよ。日本だけをコロナが襲ったわけではないのだから。コロナの中でも開催しようとしている人たちに力強さを感じないオリンピックだったから、心からは楽しめなかったのである。
 前回の東京大会の記録映像なんかを視ていると、やっぱり絶対的に「重み」「真剣さ」「迫力」が違う。アジア初の五輪、かつて学徒出陣の行進がなされた場所での開会式、1945年8月6日に広島で生まれた青年が最終ランナーを務め、平和の象徴である白鳩が青空を舞う。あの悲しき戦争に翻弄された人たちが五輪を通じて示した「本気」は、やはり「本気」であるがゆえに国民に響いたのだろうと思う。オリンピックなんていうのは、たかが一般国民にとってはそういうものなんだと思う。私みたいな平々凡々な国民にしてみると、メッセージの本気度1つで楽しみ方が変わるものなんだ。もちろん時代背景は違うし、とても単純比較できるものではないけれど、今回の東京大会には、この大会をやろうと発案した年寄りたちの本気度みたいなものが微塵も感じられなかった。国民の反対を押し切ってまで開催しようとしていた“年寄り”がいた点では、今回も前回と同じこと。ただし、今回はそういう人たちに本気の力強さがなかったことが、私のような観衆を巻き込むことに失敗した要因であり、私のような凡人を白けさせる要因だったのではなかろうか。

 何だか高校の体育祭でも球技大会でも、授業でやったソフトボールのド素人レベルのゲームだって、もう少しワクワクしたけどなあ・・・ましてや、世界最高レベルの「体育祭」なのに、こんなにもワクワクしないものなのかなあ。・・・気づいたら泣いていた。2021年にこの国で開催された世界的な平和の祭典のあまりの虚無感に、「感涙」ではなく「悲涙」を流していた・・・つづく

 

 

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