見出し画像

【現代文】貧しさを 脱した先に 見る宝

 朝ドラの最高傑作が「おしん」であることは言うまでも無いが、21世紀以降の最高傑作を1つ選べと言われれば、私にとってそれは「てるてる家族」をもって他に無い。勉強も大切、お金も大切、けど楽しいことが一番大切。仕事だって楽しいと思うことから見つけていったらええやん。振り返っても変わらない昨日でも無く、見通しても分からない明日でも無い、今日この日の今この時を力一杯生きたらええやん。そういう至極当然なのに忘れがちな人生訓を理屈よりも姿勢で私に思い出させてくれる名作だ。仏様によると、死ぬ直前になってからの後悔ほど不幸なことは無く、「今」に幸せを感じ「心」を籠めて生きると書いて「念」と呼ぶらしいが、実にごもっともな教えである。
 舞台は大阪の池田。主人公は宝塚音楽学校を卒業後、パン職人になる。池田といえば、駅の北側には小林一三の家、南側には安藤百福の家が在り、百福はドラマ中にも登場する。まさかこの連続テレビ小説の放送期間中に京都への人事異動を命じられ、東京から遠く離れた憧れの地を訪ねるチャンスがこんなにも早くやってくるとは思ってもみなかった。
 阪急で烏丸から十三経由で池田まで凡そ1時間。逸翁美術館で茶碗を拝み、カップヌードルミュージアムでカップを拝んだ。カネが欲しい20代後半でまだまだ熱血漢だった当時の私は、やりたいことに情熱をとことん注ぎ込んだ二人の偉人に接し、「私も懸命に日々の業務に励んで、給料を貯めて、母に尽くすぞ」といった感情を少なからず抱いていた。が、その母も他界し40代後半となった今、私が偉人に注ぐ眼差しは「私と違って好きな事を追求できて羨ましい」といった感覚を含んだものとなった。念じようと努めてもなお仕事がつまらないのである。
 時と共に人は変わると謂うけれど、能動的に自分を変える場合は良い方に向かい、受動的に自分が変わった場合は悪い方に向かっていく気がする。とは言え、無理に変わらなければと努めるくらいならば、一度立ち止まって過去の自分を取り戻すくらいの構えでいいのかもしれない。今こそ「仕事だって楽しいと思うことから見つけていったらええやん」「今日この日の今この時を精一杯生きたらええやん」の精神を取り戻すべき頃合いなのだろう。
 
 「幼馴染の同級生に、クリーニング屋さんでアルバイトをしているのがいる。彼女は小さいときに父親を亡くしており、母親の稼ぎだけでは家の生活が決して楽とはいえない。彼女は少しでも学校と好きなピアノの授業料の足しにしようと、働きながら高校に通っているのだ。普通の高校生がデートや服に使う金を稼ごうとするアルバイトとは訳が違う。
 大学へ進学することが一般的となっている今日においても、私は何不自由なく――本当はウチの家計も火の車だが――高校に通えていることを当たり前と思ってはいけないし、常に感謝しなくてはならないと思う。ほんの少し学校がつまらないから、勉強が大変だからといって、あたかも自分が苦労人であるかのようにわめくのは大間違いであり、実に恥ずかしいことである。」
 ――現代文の鬼教師による読書感想文の宿題。高校2年生の4作目は、苦学生を主人公に描いた小説だったのだろうか。無論、表紙のタイトル「『○○○○』の感想文」の二重鉤括弧内を見れば作品の答えは判明するが、それではつまらぬ。という訳で、表紙を確かめずにこのまま先のページを捲ろうではないか。
 「人間は誰しも自分がかわいくて仕方ない。自分を一番愛しているのだから、他人がどうなろうと本音のところおかまいなしである。余計なことで神経をつかいたくはないといったところだろう。自分よりも他人を尊重し、他人のために何かできる人というのは、自分の欲求を満たしきってまだなお余裕のある人か、他人への奉仕で自分の欲求を満たしている人か、そのどちらかである。例えば恋人にやさしくするという行為は、恋人をいつまでも自分のものにできるというメリットへの期待があればこそ成し得る行為である。また町内会のボランティア活動に積極的に参加することも、地元の政治家やその周辺で商売をしている人にしてみたら、選挙での票集めには抜群の効果があり、それを信じればこそ成し得ることである。つまり一見他人のためにしていることであっても、それは自己の利益へのステップに他ならない。
 確かにこれはとんでもない偏見かもしれない。だが、人間が人間として生まれてきた以上、わがままな性格から抜け出すことは不可能だといっても過言ではない。現に私が『人間はわがままなんだ』と主張していることも、私自身がわがままであるがゆえに、それを埋め合わせようとしているに過ぎず、こうして自分勝手な弁解を試みようとしている私の感想文そのものが、断罪されるべき私のわがままを証明している。」
 ――当時17歳の私は、人間の人間たる所以である我儘をどのように噛み砕いていたのだろうか。少なくとも恋人への親切心や地域活動を引き合いに出して「情けは人の為ならず」といった分析をし、その「情け」は「物心の余裕」もしくは「自己満足」によるものだと断じている辺りは、オトナとなった今でも相応に納得できる結論である。
 が、折角ここまで言い切るのであれば、その筆の勢いでもう一歩踏み込み、「自分を愛せない人は他人を愛せない」という或る種の“キレイ事”に関しても考察を図って欲しかった。何故なら、オトナとなった今でも、及第点の説得力を有する“答え”が見当たらないからである。それどころか、暗示的に「自分を愛さない人=ダメな人」と他人に布教するような雰囲気に「それって大きなお世話じゃないの?」と返したくなってくるからである。「他人を愛するためには先ず自分を愛すること」ってホント?一定の客観的事実として認められる説なの?勿論「自分が好きであれば、可愛い自分の利益のために、他人に対しても好意的に振る舞うことが出来る」と高校当時の私が判じるであろうことは、この感想文の行間から読み取れる。一方、そうなると、次には「自分が嫌いな人=他人を好きになれない」とする論拠が気になってくるではないか。「自分が嫌いな人は、嫌いな自分にとっての利益なんかには興味を抱けないから、他人に悪意こそ持たずとも好意的には振る舞えない」ということか?「自分が嫌いな人は、どうしても卑屈な態度や自虐的な姿勢が表面に出てしまうので、周囲に不快な思いをさせてしまいかねない」ということか?果たしてそれらの指摘は的を射ているだろうのか?未だに疑問は疑問のままだ。・・・ああ、分かった。高校当時から現在に至るまで、私には自分を心の底から嫌いになった経験が無いものだから、妥当解など分かりようも無いということだろう。然ればこそ「自分を好きになろうと嫌いになろうと、本人の勝手にさせてあげたらいいではないか」という所に帰結する。
 
 それにしても、この感想文の材料となった本は「わがまま」をテーマにしているのだろうか。もしかしたら小説ではなく論文のようなものを読んだのだろうか。では、先のページを捲ることとしよう。
 
 「さて、主人公・グレーゴルの家族もやはり人間であり、わがままだったのである。
 
  現在のいたましくもおぞましい姿かたちにもかかわらず、グレーゴルが
  家族の一員であり、家族の一員は敵みたいにとりあつかうべきではな
  く、逆に嫌悪の情を胸に畳みこんで忍ぶ、ただもう忍ぶということが家
  族の義務の命ずるところなのだ(後略)(傍線筆者)
  (注:noteでは太字)
 
 ここでいう傍線部分『嫌悪の情』も、人間が根本から自分本位の気持ちを捨て去ることができたなら、自然と湧くことがない。確かに一匹の巨大な虫を前にして気持ちよく思う人間などいないと思うが、これまで自分たちを養ってくれた『家族の一員』に対して、もう少し温かみをもって接してもよかったのではないだろうか。」
 ――なるほど、分かりやすい。これは、まさしくカフカの『変身』の読書感想文であった。
 フランツ・カフカって人物自身も、虫の如く変態してもおかしくない男だったように思う。服屋の娘と初体験を済ませ、人妻からも性教育を施され、而立の三十歳でフェリーツェにプロポーズしたくせに『オレなんか結婚生活をちゃんと出来る筈が無い』って勝手に悩むばかりか、彼女の友人のグレーテやら複数の女性と親密になった挙句、婚約を破棄。しかも一旦縒りを戻し、二度も婚約と破棄を繰り返したらしい。その後も、父親の反対を押し切ってまで靴屋の娘に惚れ込んだのに、既婚者ミレナと不倫して、鯔の詰まり再び独りとなった。その後も、女と一緒に暮らす事への不安をずっと抱え込んでいた割に、不惑の四十歳で病気療養中に出会った21歳のドーラとあっさり同棲する。が、その幸せは1年も保たれずに息を引き取る。――羨ましいほど数々の女性と関係を持ったのに、優柔不断で一度も結婚せず。しかも、この男、保険協会か何かで相当お気楽な短時間勤務だったにもかかわらず、仕事がイヤだと嘆いていたようだ。
 彼と違って女性には縁遠いけれど、彼の奇怪な思考や機会損失ばっかりの人生に対して妙に親近感を覚えた私は、この読書感想文の3年後、必死にバイト代を貯めて、プラハに在るカフカの家まで観光に行ってしまうこととなる。勿論、旅のメインの目的は、ヴァーツラフ広場やカレル橋を闊歩し、城や大聖堂の美しさに魅了されることだったのだけれど、この衝動的な行為にはカフカに劣らぬ奇怪さがあると我ながら我が身を嘲笑したものだった。しかし、態々海外へ出掛けるのが億劫となる歳を迎えないうちに、また自由な休暇に恵まれている学生のうちに、かつ外国語を憶えるのが面倒にならぬ若いうちに、“世界”というものをほんの触りの部分でも体感しておいて良かったと振り返る。逆に言えば、会社員となって、ましてや年齢を重ねていけば、諸々の障壁に阻まれて、海外旅行とは無縁になっていく将来を大方予想出来ていたが故に、学生のうちに激しく生き急いだ訳である。そのお蔭で事実「あの頃あの土地へ足を運んでおけば良かった」というタイプの後悔は現在皆無に等しい。
 我が国から北半球内のかなり後ろ側まで飛ぶと、そこにカフカの生まれた街があった。外国人が京都を「こんなに凄い街を今まで見たことが無い!」と礼賛するのと同じ感覚なのだろうか、私は「ヨーロッパという地域には、その装飾といい色彩といい配置といい、圧倒されるくらいの目映さを放つ街が数多く存在するのだ」という事実を、生まれて初めて全身で受け止める。あの強烈極まり無い美しさを教科書では無く肉眼で捉えたという人生経験は、私にとって輝きを失わない宝物となったのだった。
 
 さて、彼と同じく生涯独身、彼と同じくサラリーマン生活に不満だらけの私。カフカと決定的に異なるのはモテないところだが、実は48歳にして22歳のサクラとデートをしつつ、心の奥底では中学時分の初恋の春子さんをしつこく求めている。そして、未だに彼女が人妻なのか、その真相を確認することを躊躇っている。自分で自分の心身が薄気味悪い。こんな私のことだ。私もそのうち虫へと変身するのだろう。否、カフカ自身は虫になっていない。変身したのはグレーゴルであったな。
 
 「人間は、自分と少しでも容姿や行動の異なる者全てに『嫌悪の情』を抱いてはいないだろうか。例えば、心身障害者。私たちは自分らより弱い立場の彼らを『かわいそうだ』『守ってやりたい』と思うと同時に、どこかで『彼らを避けたい』『彼らから目をそらしたい』という気持ちを抱いてはいないだろうか。これではダメなのである。いくら法律が福祉のために定められていても、潜在的な差別を断ち切れない限り、当然ながら社会は立法者が理想とする方向へは進まない。障害者に言わせれば『かわいそう』なのはむしろ私たちの方だろう。偽りの優しさで人と接する私たちとは違い、弱い立場として生きている彼らは、真の優しさの分かる幸せな人間でもあるのだ。
 相手の気持ちになって、という基本的なことが私たちはいつまで経ってもできない。周囲の冷たい視線というものも、自分が障害者になって初めて感じるものだと思う。ザムザ一家の場合も、自らがグレーゴルのように虫の立場に変身しなければ、彼の気持ちなるものが分からなかったのかもしれない。そうだとしても、グレーゴルの家族の彼に対する態度は冷酷であったように思う。
 
  あたしたちみたいに、こんな苦労をして仕事して行かなければならない
  っていうのに、いったいどうして家の中のこんな永久の苦しみに辛抱で
  きて。
 
 これが実の妹の言葉であろうか。結局、兄に対する彼女グレーテの優しさは偽りに過ぎなかったのだろう。それとも、あまりの環境の変化に耐えられなかったのだろうか。いずれにせよ彼女のこの台詞が、自分が世界一の苦労人であるかのようにわめいている状態のものであることは、紛れもない事実である。まさに私が冒頭で述べたように――。すなわち自分がかわいいあまり、それまで大切な働き手として感謝していた兄への態度を変えてペット扱いしている。兄の外見のみならず、妹の内面もまた変身したところに、人間が例にもれずわがままな存在であることを思い知った。
 
  世間が貧乏な人たちにたいして向ける要求には、一家の者たちはもう最
  大限度にこたえていた。(中略)家族の者の力はもう限度に達していた
  のだ。
 
 先ほどは障害者を例にあげたが、貧者も同じこと。社会は弱者に余計に圧力をかける。そのような社会はイヤだし、一家が疲れ果てていたことには同情する。けれど、その社会の中でしか生きる手立ては見つけられないのだし、『それでもいいではないか』と割り切る方が気もめいらずに済む。今まで外交販売員として自分たちのために飛びまわってくれていたグレーゴルへの恩返しだと思って、貧乏人への風当たりの強さなどに負けず、精一杯働けばいいではないか。勉強しながら働いている高校生だっているのだ。辛いことのあとには必ず幸せがやってくると信じて、運命を素直に受け入れれば、それでいいのだ。肉体的にも精神的にも疲労がともなうだろうが、そこはあの骨太の手伝い女のように、根性でひたすら現実とたたかうより仕方ないのである。
 しかし、こうして一方的にザムザ一家を批判していると、私がちっともザムザ一家の立場に立って物を考えていないことに気付く。私だって苦しい生活を強いられたら、虫に変身した家族のことなどいつでも見捨てかねない人間であることを忘れてはならない。だって、自分が一番かわいいのだから。
 もし『ぴいぴい』といううめき声でもいいから、グレーゴルが少しでも言葉を話そうと努力しつづけたなら、家族とのコミュニケーションもとれたに違いない。だが、言葉も発することなく、ただただ奇怪な動きをするだけの虫を、私たちはどれくらい思いやることができるだろうか。やはり虫がよっぽど好きなファーブルのような人間でもない限り、虫はあくまで虫だという認識しかできず、虫と人間との距離を縮めることはできないのだろう。結局、人間である私の考えはここに落ち着いてしまう。」
 
 以上が17歳だった私の読書感想文である。ファーブル級の研究者でも無ければ人と虫との距離が縮まらないと言い放つのは、流石に度を越している印象を受けるが、本作品に描かれている「虫」とは紋白蝶や赤蜻蛉の類では無い。どちらかというと、チョウになる前の毛虫や、トンボになる前のヤゴ、いやいや、それどころか「毒虫」や「虫けら」と呼ばれるレベルの「虫」だと謂う。よって、グレーゴルの姿をリアルに想像し、潜在的な差別の根絶なんて決して容易いものでは無いとする分析に繋げたのは剴切だろう。その上で、貧乏なら懸命に働けよと喝破している辺りが、如何にも私らしい。
 私の生まれた家庭も貧乏だったから、貧乏に負けるもんかという反骨精神をもって勉強したのは、この読書感想文に表出している通りである。そして、高校2年だった当時から数えて約20年が経った頃、それまでの必死の労働のおかげで、私は貧乏から完全脱出したと言い切れる生活に入ることが出来た。更に約10年を経ると、裕福と云うには及ばずとも、或る程度の貯蓄や余裕が生まれた。則ち、私は能動的な“変身”に成功したのである。ところが、その“ゆとり”とやらが膨らむに連れ、かつての私にはあった労働意欲が徐々に失われていくことを実感する。則ち、今の私は受動的な“変身”にも懊悩しているのである。
 だからなのだろう。金銭的な“弱者”の受ける逆風に打ち克ったその先において、精神的、肉体的な面で再び“弱者”となった私は、ふと「てるてる家族」のヒロイン・冬子の直向きな生き様を思い出してしまうのだ。あの屈託の無い笑顔で、彼女から𠮟咤激励を受けたくなる。「お金が欲しかった過去の自分を思い出して、とりあえず、がむしゃらに仕事したらええやん。そのうちにまた会社が楽しなるかもしれへんで。」って調子でね。
 
 上品なマルーンの車両が下品な私を乗せて走る。退屈なサラリーマンの気分転換に有給休暇。今日は冬子の住む池田の街を通過して、冬子の学んだ終点の街へ。駅の大階段を降り、本物の大階段に向かって「花のみち」をゆっくりと歩く。何も考えないで観ていられるのがいい。あの迫力あるオーケストラと歌舞、豪華絢爛たる舞台と演出をただ純粋に楽しめば、それでいい。「勉強も大切、お金も大切、けど楽しいことが一番大切」――まさに冬子が教えてくれた通りだな。
 関西在住20年。そのおかげで気軽に――否、なかなかチケットが手に入らぬ故、そうそう気軽にという訳にもいかないのだが――月イチの野球観戦に等しい頻度で宝塚大劇場へ足を運ぶことが出来る。むろん東京宝塚劇場もあるし、その他の主要都市でも公演は行われるのだが、やはり本拠地で味わうレビューは違う。逆に、贔屓球団の試合を敵地の千代崎でしか応援できない環境にはなかなか辛いものがある。北広島がもう少し近ければと思う気持ちを埋める訳では無いけれど、私は昼の公演後に屡々「宝塚の殿堂」へと立ち寄る。
 入口を抜けると直ぐ眼前に、扇千景の建設大臣時代の重厚な卓上名札が出迎える。その威厳に誘われる儘、壁に沿ってズラリと並ぶ歴代スター達のパネル写真や愛用品を眺める。展示コーナーは殿堂入り卒業生の在団年順に並んでいるので、偶然に過ぎないのだろうが――いや、これがもし計算されているとしたら実に大したものだが――フロアの最も奥の角へ辿り着くと、いつも私は釘付けにされてしまう。部屋の角を谷折りに、左の壁には大路三千緒、右の壁には乙羽信子、27期生同士が90度の角度で向き合っているからである。左に「おしん」のおばあちゃん役、右におばあちゃんとなった後の「おしん」本人役、ドラマの中では共演することの無かった両名優が鎮座しているのだ。私は「谷村なか」を視界に入れた左目からも、「田倉しん」を視界に入れた右目からも、泪が溢れ出て止まらなくなる。その泪で滲んだ瞳がレンズとなって「おしん」の激動の生涯を甦らせる。110年を超える歴史を誇る宝塚歌劇団、110作を超える歴史を誇る連続テレビ小説、その両方のファンである人ならば、この万感胸に迫るもの、いちいち説明の必要は無かろう。
 「てるてる家族」のヒロインに背中を押されて宝塚まで来たれば、朝ドラ史上最高傑作のヒロインが「あんたの苦労なんて、苦労のうちに入らないね」と私に語り掛けているみたいで、うじうじとしてだらしのない日々に警策を頂いた心境に至る。既に人生で二度“変身”を遂げた私である。そろそろ三度目の“変身”に向かって、「今」に幸せを感じ「心」を籠めて生きるとするか。そう「念」じ始めると、まるでその様子を傍らで見守っていたかのように、サクラが私を益々勇気づけにやって来たのだった。「近くまで来てんねんけど、会わへん?」・・・つづく

いいなと思ったら応援しよう!