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【世界史】ぐでんぐでん べろんべろんで くったくた

 「ぐでんぐでん」だとか「べろんべろん」だとかでは無い。私の飲んだ後はどちらかというと「くたくた」に近いかもしれない。飲み、喋り、歌い、踊り、また飲む。性分なのだ。勿論、得意先の接待なのか、会社の新年会なのか、組合のパーティーなのか、それとも仲間同士の憂さ晴らしなのか、メンバーやシチュエーションに応じて“燥ぎ方”は上品から下品に至るまでかなり幅広く使い分けるが、毎度それなりには燥ぐ。仕事でも私事でも誰かと「今日は飲もう」と決した日は、あまり別のタイプの飲み方が出来ない。
 さすがに普段の晩酌は、大人しく一人、ペースも量も中身も割る度数も一定して落ち着いたものだ。「まあ、これくらいだろう」というところで布団に入る。しかし、飲む目的を問われると、それは酒の味を知った日から一貫して変わらず「酔うため」である。酒とは、酔う手段では無く、人生を楽しむためのツール――そんな風潮に敢えて逆らっている訳では無いけれど、酔いを伴ってこその楽しさではないか。愉快とは酩酊が引き連れてくる友達なのだ。時として悲憤という悪友を招き入れることもあるけれど、悪友との握手を禁ずるために、喋りと歌と踊りが有効な鎮静剤となる。意図的に騒ぐことで気を静めるのだ。
 例えば何の苦労も無さそうな人間が目の前で一丁前に仕事の愚痴を零し続けていたとする。内容もつまらなくて口調もしつこい。私など恵まれていない人間はこれに耳を傾ける時間が少しずつバカバカしくなってくる。「貴様とは育ってきた土壌が違う」という劣等感を優越感に変換しながら黙って耳を傾けるにも限界がある。そこで悲憤と手を握らないために、自ら騒ぐことによって空気を変えるのだ。時として息の詰まりそうな場を“換気”するのだ。そのために飲んで、酔いに弾みをつけるのだ。
 そうなると余計に、やはり私にとってこの魔法の液体は「飲む」というより「躰の中へ流し込む」もの。ほろ酔いで終わらず、もう一段上の酩酊初期にまで昇らないと満足しない。翌日やや辛くなるのが解っていても飲む。但し、物凄く辛くなるまでは飲まずに千鳥足になる直前で自制する。とても「自制」と呼べたものでは無いけれど、飲酒の目的が酔いにあればこそ、ある程度の酔いを躰の芯まで確められた時点で止める。が、逆に言えば目標水準に届くまでは止めない。「止められない」のでは無く「止めない」。オトナの飲み方って色々あるのだろうけど、この飲み方はオトナになっても止めようとしない私の流儀なのだ。
 母が生きていた頃は、週末になると「重い物は足りているか」と訊いていた。米・味噌・牛乳・洗剤…そういった重い物は私がまとめてスーパーへ自転車で買いに行くのが、母が還暦を過ぎたあたりから自然と習慣化していたのだった。すると、あらためて2リットルの清酒パックと4リットルの甲類ペットが最も重たい買い物なのだと思い知った。
 
 若い人はすでにもう酒それ自体を飲まなくなっている。そりゃそうだ。全ての人にとって、酔った先に待っていた結果は、成功よりも失敗の経験のほうが圧倒的に多い。それも当日だけじゃない。二日酔いになれば、翌日の仕事にも勉強にも趣味にも悪影響を及ぼすのみ。犠牲の大きい“薬物”にわざわざ手を出してきた先人達が嘸かし愚かに見えて仕方ないことだろう。時代は令和、西暦で2020年代に入り、もはや「酒離れ」は若者だけに限らない。今後ますます「煙草」の次に排除される最有力候補に違いない。
 過去の禁酒法は史上最大の悪法と名高いが、果たして時代は繰り返されるのか。この逆風極まりなき時代に、酒を飲むばかりか、売っているのだから、酒に携わるメーカー・卸店・小売店・料飲店その他多くの商売人は、未来の教科書の中では如何にして歴史から敵視を受けるのだろう。私もその一人だ。
 その筋の専門家によると、約9000年前とされる中国の遺跡からアルコールを飲んでいた証を発見できると謂う。むろん、メソポタミアでもビールが、エジプトでもワインが古くより醸造されていた。飲料水が不衛生だったが故、貴重な水分かつ貴重なエネルギー源でもあったとか。それでいて、あれだけ精神を高揚させるのだから、宗教的にも政治的にも親和性を深めるのは当然の成り行きだった。それでも実は、長い人類史において酒が庶民にまで浸透したのは比較的最近の話。保健体育の先生によると、少なくとも日本では、国民の誰もが晩酌を愉しめるようになったのは戦後になってからの事だという。敗戦の疲れを焼酎で癒していたというのは本当らしいが、すっかり安定的な世の中となった現在でもこうして欲望の赴くままに飲み続けている私の晩酌というのは、一体何の儀式なのだろう。時代に取り残され、悪魔に取り憑かれた廃人の儀式といったところかもしれない。きっと病んでも止めないことだろう。
 
 「目立った国家間戦争は1945年で終結したけれどね、それから1976年、そっ、あなたたちの生まれた年までの30年の間に、約120の戦争があったの。つなぎ合わせると369年間の戦争状態。その85%が反体制戦争と民族間戦争なんだけど、これってね、ゲリラ戦が中心だから民衆の被害が大きいの。でね、実はこうした戦争が起きていたのが、実は歴史時代には世界を代表する先進国だった場所が多いの。あっ、歴史時代って、いつ頃かって謂うとね、大昔ね。どれくらい大昔かって謂うとね、石器を使っていた先史時代の次。『文明』ってやつが築かれた時代。金属器と文字が作られてね、強大な権力者が登場して巨大な建造物も建てられたわ。さっ、じゃあ、かつての先進国、1つずつ憶えましょう。
 1つ目。メソポタミア。ギリシア語に由来して『川と川の間の地域』って意味。チグリス川とユーフラテス川ね。紀元前3000年紀――100年単位の『世紀』じゃないわよ、紀元前3000年から2000年までの間のこと、シュメール人が都市国家を建設したの。神殿と聖塔(ジッグラト)を中心に城壁で囲んでね、その周りを耕地としたのね。」
 ――いつも通りのハイスピードで授業を進めるのは、世界史のエカチェリーナ先生。黒板に描いた都市国家のイメージ図は雑だったが、なぜか教科書よりも理解しやすかった。
 「農耕文化は自然に左右されるものだからね、神がかり的なものが信じられていたの。従って、神の権威に基づく神権政治が行われて、王様は神の代理人である神官として治水灌漑事業を司ったわけ。育てていたのは麦とか豆とかね。
 どうしてメソポタミア文明があったっていう事実が分かったのかっていうと、遺跡や遺物とか、洪水や原油が出る風土とか、そういう証拠もあるんだけど、実は『伝説』って大切なのよ。旧約聖書の『創世記』第6章から第9章に『ノアの洪水』っていうのがあるの。有名でしょ。昔むかしエデンの園にアダムとイヴが居ました。二人は蛇に誘われて欲望の木の実を食べてしまって、地上に追放されました。神様は人間一掃の大洪水を地上に起こそうと計画しましたが、正直者のノアだけにはこれを予言し、方舟に全ての動物を乗せて洪水を待つように命じました。ノアは木とアスファルトで方舟を造り、洪水を逃れると新世界を築きました。って伝説。このアスファルトはメソポタミア文明の特徴の1つなの。」
 ――この約4500年後になるのだろうか、いや、約5000年後になるのだろうか、世界史のテストを無事にクリアし、大学を出て、就職後に関西へ転勤となった私は、風俗嬢のサクラと“欲望の木の実”を味わい、ジッグラトの倍も高い通天閣を仰ぎ見る“新世界”で偶に酒を酌み交わす関係を築くこととなる。洪水を経験したことは無いけれど、流されっぱなしの人生だ。
 「第11章が『バベルの塔』。これも有名ね。日干しレンガとアスファルトで高い塔を建設して、天の世界へ行こうとしたバベルに腹を立てた神様が、『皆が協力して塔を建てるのは、皆の言葉が互いに通じるからだ』って考えて、雷を起こして言語をバラバラにしちゃったの。この日干しレンガもメソポタミア文明の特徴の1つなのよ。」
 ――バベルがアホな計画を企まんかったら、大阪も東京も同じ言葉遣いやったかもしれへんなあ、サクラ。
 「じゃあ、この地域は何語を使っていたのかっていうと、ベヒストゥン碑文っていうのが発見されて、古代ペルシア語・エラム語・バビロニア語の3言語が彫られているの。いずれも楔形文字が特徴で、行政経済文書は厳しい書記学校で叩き込まれるのよ。『広場に屯するな!学校に行け!』って怒鳴られて、朝遅刻すると鞭で打たれたらしいわ。ウチの高校なんて、まだまだ甘いわね。
 そんな都市国家も、耕地を巡る都市間の抗争が激しくなって、徐々に衰退していくの。抗争で人が住まなくなった都市は、レンガが崩れるし、風雨に曝されて、小さい丘になっちゃった。用水路が壊されると、耕地は太陽に焼かれて、地中の塩分が地表面を覆っちゃうでしょ。それで耕地もダメになっちゃった。
 その後、アッカドの時代を挟んで、紀元前1900年頃、アムル人によって建国されたのが、古バビロニアね。紀元前1792年から1750年頃にメソポタミアを統一したハンムラピ王は有名でしょ。そう、ハンムラピ法典ね。前文と282条から成るんだけど、こんな感じ。第195条『子が父をうったときは、その指が切られる』、第196条『自由人の目をつぶした者は、その目をつぶされる』、第197条『自由人の骨を折った者は、その骨を折られる』、第198条『奴隷の目をつぶしたり骨を折ったりした者は、銀1マヌーの刑に処す』。ねっ、『目には目を歯には歯を』の『同態復讐法』の体裁を取りながらも、自由人と奴隷の『社会的階級』は維持しているわけ。」
 ――因みに、日本の現行刑法の第195条は特別公務員による被告人等への暴行陵虐の罪について定めたもので、その後198条まで公務員の贈収賄等、汚職の罪が並んでいる。私はサクラ看守の囚人であり、サクラ女王様の奴隷であり、サクラという自由人は私の乳首から陰嚢まで性感帯の全てを弄ぶ刑を容赦なく執行する。それも、囚人であり奴隷である私自らの懇願および対価の支払に基づいて。
 
 その後も先生がスピードを緩めることは一切無かった。鉄製武器を使用し製鉄業を独占したヒッタイト、馬と軽戦車の戦闘力で一時無敵となったミタンニ、長期に亘り平和と統一を齎したカッシート、内陸部に多くの商業都市を建設しラクダを使って貿易したアラム、地中海沿岸に港湾都市を建設し諸国と海上貿易を行ったフィニキア、それぞれ支配国の変遷や特徴を解説し終えると、時代はヘブライに突入した。いつの間にか黒板には五色のチョークで鮮やか且つ複雑に彩られた西アジアの地図が広がっていた。
 「メソポタミア地方から族長アブラハムに率いられてカナーンの地に定住したのがヘブライ人。平たく謂うと今のパレスチナ周辺ね。一部のヘブライ人はエジプトに移住したんだけど、エジプト王朝に拾われて育ったモーセはね、大きくなってから自分がヘブライ人であることに気付くと、エジプトを脱出して祖国に戻ろうとするの。これも有名過ぎるわね。古文の業平先生からも聴いたでしょ。旧約聖書にはヘブライについて細かく書かれているわ。あらゆる宗教が多神教の中で、ヤハウェは唯一神信仰なのね。シナイ山で誓った十戒、全部言える?あっ、これ、テストに出そうかしら。アラ、ヤダ、冗談よ。テスト勉強するまでも無く暗記しちゃうよ。だって、特に後半は今の世の中にも通じるような良い事ばっかり言ってるもの。①ヤハウェのみを信仰すること、②偶像を崇拝しないこと、③ヤハウェの名を気安く呼び掛けないこと、④安息日を守ること、⑤両親を敬うこと、⑥生き物を殺さないこと、⑦物を盗まないこと、⑧不倫をしないこと、⑨嘘をつかないこと、⑩欲張らないこと」
 ――さて、現在の私はいくつ守れているだろうか。春子さんのみを一途に信仰しているとは云えず、サクラという性的アイドルの偶像崇拝を完全には拒絶できないで居る。安息日である筈の土日にも仕事をするし、肉や魚を頬張るのは殺生同然のこと。結局、そこそこ自信を持てるのは⑤⑦⑧の三戒だけ。まさか打率三割で合格ラインってことは無いだろう。
 
 「まだまだ続くよ、メソポタミア!こうした魅力ある歴史の宝庫、私たち人類の文明の礎が、此間の湾岸戦争で破壊されちゃったのが残念ね。だけど、それも含めて人類史――歴史時代の大昔から人類の歴史っていうのは戦争の歴史でもあるのよね。」
 ――湾岸戦争は私が中学生の頃に勃発したのだったが、それ以前に保育園児から小学生の頃にかけてずっと続いていたイラン・イラク戦争のときも数々の歴史的財産が被弾しているし、丘となった古代遺跡の陰に陣地や軍事上の要所を設けるのは常套作戦だから、古き物の消滅は避けて通れない。そう先生は冷徹に事実を説明した。
 「カタチあるものは消えてしまうの、いつか、必ず。」
 ――この授業を結んだエカチェリーナの呟きが胸を抉った。この教室で同じ話を聴いていたクラスNo.1の秀才・千春さんをはじめ、確かにその後の私の人生においては、何人もの麗しき女性が目の前を去っていった。そして高校卒業から30年後、春子さんという中学時代の片想い相手との再会さらに急接近を契機に、サクラとの関係は私から終わらせようとした。けれど、意外にもサクラの見事な導きによって、二人の関係からカネとカラダの要素だけを断ち切るにとどまった。結果的に、どういう訳だか、月に一度くらいキタかミナミか新世界辺りで共に酔いつつ、今も彼女とはココロとアルコールの絆を保っている。この女王様――不思議と消えない、否、消してもならない存在なのかもしれない。ロシア最強の女帝・エカチェリーナ先生ならば、我が中年の醜い恋心と放蕩をどのように解決なさることだろう。30年前に戻って助言を賜りたい。
 それとも、神様から見た人間の完成度は生物学的に三割程度が限界ということであれば、まだ諦めも付くけれど・・・つづく

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