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【英語】浮気して メールでキレて チャランポラン

 「するのは本人の勝手っスけど、オレは嫌いっスね、不倫」「へぇ~、どうして?本人の勝手やん?」「だって、例えば独身のオレが人妻と不倫するとしますよ。相手が専業主婦だとしたら、ダンナの給料で安定した生活が保障されてるオンナに、どうしてオレがメシ誘ったり、プレゼントしたり、チヤホヤしなきゃならないんですか。まして相手が共働きだったら尚更のこと。夫婦で稼いでる生活にオトコ遊びまで加わって、調子に乗らせるだけっスよ。」「へぇ~、アンタって意外と一夫一婦制主義者なのねえ。」「いや、こう言うと何かケチ臭いっスけど、カネが基準っス。自分で稼いだカネで間男にメシやプレゼントを与えて飼い慣らすのは抵抗感ありません。財布が自分なら男も女も不倫も自由って考え方っスね。」「せやったら、専業主婦は不倫したくっても出来ひんやん。」「働かざる者、不倫するべからずっスね、ハハハ。だから年末調整の『給与の支払者』がダンナっていうのは不平等条約なんスよ。コレ、男女逆、要するに男がヒモの場合でも同じことっスね。」「家事かて賃金労働の1つとちゃう?」「もちろん!けど、夫婦の関係だと明確に対価を取り決めるのって、結局はどこかでギスギスしません?」「なるほど、アンタって意外と思想がシンプルね。じゃあ、アンタは結婚したら相手には専業主婦になってほしいの?それとも仕事を続けてほしいわけ?その学生時代から付き合ってて結婚まで約束してるって彼女に…。」「オレは彼女に対して『君には不倫してほしくないから専業主婦になってほしい』なんて封建的なことは言いませんよ。本音を言えば、オレが仕事を辞めて専業主夫になりたいんです。だってオレのほうは絶対に不倫しない自信がありますから。」「へぇ~、浮気は平気でするのに?」・・・数秒前までサンチュを旨そうに頬張っていた彼だが、その咀嚼が途端に止まる。数秒前までチューハイを美味しく呑んでいた私も思わず今度は息を吞む。時はお爺ちゃんがR子さんと一夜限りの過ちを犯してから1ヶ月後のことなり。所は1ヶ月前と同じ長岡天神の焼肉店なり。
 隣の席では中国人が英語で何やら値段交渉をしている。街の隅々まで外国人観光客で溢れ返っている京都では見慣れた光景だ。店員もさらりと英語で応対している。「No,No,Menu prices are fixed.(メニューの値段は決まっています)」どうやら店員さんのほうも中国人だったようだ。途中から中国語での言い合いになる。それにしても、どうして日本以外のアジア系の人々はこんなにも簡単に英語を使いこなせるのだろう。親友のR子を泣かせた会社の生意気な後輩に向かって春恵さんが容赦ない追及と断罪を始めるとともに、私は授業に四苦八苦していた高校時代を回想し始める。あんなにも英文法を詰め込むくらいなら、中国人を相手に値切れるくらいの日常会話力を身に付けたかった。私の胸に人生2回目の「春の嵐」を起こした千春さんがサラサラと答案用紙を埋めている傍らで、私のほうはというとクラスで成績トップの彼女とは比較にならないほどの脱落者としてボーっと校庭を眺めているばかりであった。そう、2週間に一度行われる小テスト、この日の章は「比較」だった。
 He knows better than to do such a foolish thing.(彼はそんなバカをするような男ではない)と思っていたが、いや~、I never heard a more interesting story.(こんな面白い話を聞いたことがない)。She is as great a woman as ever lived.(春恵さんが今までになく偉大なオンナに見える)。まさに、The wiser a woman becomes, the less proud she is.(能ある鷹は爪を隠す)ということか、She is second to none in leading questioning.(誘導尋問において彼女に勝る者は居ない)。It's better to have an affair than commit adultery.(不倫をするより浮気のほうがマシさ)とお爺ちゃんは言うが、もはや、I don't so much dislike him as feel sorry for him!(私は彼が好きでないというより寧ろ気の毒に思っている)。こんな具合の短文の穴埋めが30問くらい出題される。ん?ちょっと待てよ。「have an affair」も「commit adultery」も「姦淫」という点では殆ど同じ意味を指すのではなかろうか。英語圏に浮気と不倫の区別が無いこともないだろうが、母国の語彙の豊富さをつくづく思い知る。
 
 高校生の私が千春さんの傍らでボーっと校庭を眺めていたように、今の私も春恵さんの傍らでボーっと出鱈目な英単語を思い浮かべていると、「何ボーっとしてんのよ。あなたも一緒に説教しなさいよ」と横から喝が入った。我に返って正面を観れば、若いくせに猫背だという理由で“お爺ちゃん”と名付けられた後輩はますます背中を丸めている。網の上では、お爺ちゃんと同じくらい丸まったウルテがすっかり焼け焦げている。
 Nothing is more precious than love.(愛ほど貴いものはない)と彼女が語り始める。「アンタねえ、不倫の良し悪しをカネで判断する基準は合理的だけど、不倫ってそれだけじゃ済まないでしょ。浮気も同じよ。自分の財布で遊ぼうと何だろうと、相手の気持ちはどうなるの?彼女への裏切りはカネで清算可能やの?愛情が1ミリも絡んでへんって言い切れるの?同時に複数の異性を愛することなんて出来るかどうか知らんけど。これからR子との関係はどうすんの?自然消滅を狙ってるなら甘いわよ。お爺ちゃんみたいにこのまま隠居できると思ったら大間違い。こうやって説教してくれる先輩がいるだけで有難いと受け止めなさい!」・・・面倒なので私は黙っていたけれど、須らく彼女の言う通りだった。
 私は、愛より金とか、金より愛とか、そういう比較をしない。両者は比例するほうが双方とも――即ち愛も金も――長続きするという価値観だ。「愛があれば何とかなる」という関係も「金があれば何とかなる」という関係も、共に極端だし無理があるし不安定だ。貧乏を乗り越えようとする愛も、裕福のみによって成り立っている愛も、罅割れやすい点では同じこと。愛と金の両者は共存するのが望ましい。やはり、愛しているという事実を形で示すなら、金というのは最も解りやすい手段の1つではなかろうか。結婚相手の条件により高い収入を求める心理と何ら変わらない。愛する人のために一生懸命に働いて稼ごうとする心理と何ら変わらない。金銭とは愛情の証なのだ。しかし、その支払先は既婚者だろうと独身者だろうと一人だけに限定すべきだろう。倫理的にもそうだけど、いずれは本命さん以外の方々との間で債務不履行に陥ってしまうことが目に見えているわけだから。
 
 そんな私の価値観とは無関係に、すでにお爺ちゃんとR子さんとの関係は拗れていたようだ。・・・「確かに俺はいっつもチャランポランだし、ドタキャンも悪いと思ってるけど、タイミングがあまりに悪すぎた。上の一声で決まったイベント制作物をタイトスケジュールで毎日修正させられたり、何より本業の商品開発の決裁資料を間に合わせたつもりが金曜の夜に散々ダメ出しされたり、めったにない挫折と疲労の中、あのメールがきたから『なんで?』って思った。大人げなくてもそれが理由。タイミングって大事なんだなって思いました。答えにも困るだろうし、返信は不要です。じゃね。」「私も仕事が今大変で、周りに迷惑かけたり、協力してもらったりしながら頑張ってるよ。それに金曜の夜に散々ダメ出しされたことなんて、私は知らないやん!タイミング悪かったみたいやけどさっ…大変なん分かるけど、ちょっと一方的すぎない?相手の気持ちも考えてね!」・・・二人のメールの応酬はドロ沼化。その狭間に引き摺り込まれたのが春恵さんという次第だ。
 「返信要らんって向こうが言うてる時は絶対返信したらあかんて!R子も返信しいひんって言うてたやん。デートの誘いを断られただけのことやろ?なんで返事するん?はっきり言って薄情な爺さんの思う壺やで。『私も忙しい』っていうのは、あいつの心には響かない。っていうか仕事できると自負してる男はみんなそう。ここでR子がキレたらダメだよ。もし関係を温存させたいなら『さっきは悪かった』ってすぐ謝り。メールでいいから。長い文章で謝ったらあかんで。一言で謝り。手短に。そして向こうから返事くるまで放置。とにかくメールでキレたらあかん。もう少し落ち着きなさい!!R子はメール依存症かもしれないな。女友達ならいいけど、男は忙しい時に責めのメールがバンバンくるとマジでウザがられちゃうで。
 弱音吐いたら駄目。恋愛も仕事も。もっと強くなりなさい。男に振り回されたら駄目。かくいう私も過去に弱音吐いてますが、弱音吐いたところで何も変わらないよ、本当に。仕事で弱音吐いたって、上司に仕事減らしてもらわない限り楽にならないでしょ?恋愛も一緒。男のために涙を流すのがどんなに馬鹿馬鹿しいか。だから凹みなさんなって。
 ってか、もうどうでもいい男やん。どうでもいい男ならメールを送信する時間も手間もムダやて。真剣に言うけど、メールで感情的になればなるほど、結局は自分の事しか考えてない点で相手と同じやで。放置したらいいやん。もう放っておき。」
 春恵さんのメールの転送を最後まで読ませてもらったが、私は主に3つのことを学んだ。①爺には結婚を約束している彼女がいることをR子には明かさない形で解決した春恵さんの大岡越前っぷり、②「そんな男は放置しろ」と助言しつつも自らは他人の浮気を放置できない遠山金四郎っぷり、そして③本来は「話し言葉」のほうがごくナチュラルに関西弁が飛び出るように思われるが、実はそれが先入観であり、文字変換が難しいにも拘らず「書き言葉」のほうが意外にも関西弁の頻度の高いこと、この3つである。但し、メール中の「響かない」「変わらない」「考えてない」といった書き言葉が、話し言葉になると「響かへん」「変わらへん」「考えてへん」に置換されたりもするから、春恵さんに確認すると「どっちも正しいし、どっちも使う」そうだが、ネイティブではない私にとって関西弁というのは奥深い。
 
 阪神の猛虎のマークがド派手に縫い付けられた財布から千円札を乱暴に取り出し、I cannot pay you any more than one thousand yen.(今日は千円しか払わへんで)とお爺ちゃんに啖呵を切る彼女。「残りはアンタ持ちよ。決まってるじゃない。ホンマは授業料を貰いたいくらいよ。」と言い放ち、焼肉店を後にした。急いで私はその後を追いかけた。
 「黄色の財布はカネを呼び込むのよ。」「へぇ~、じゃあ黒は?」「黒は呼び込んだカネを守るの。私も誰かに守られたいな。あっ、せや、駅まで手ェつながない?いいやん、恋人とはちゃうけど、バッサリ正義の裁きを終えた友情の証やん。」・・・彼女の顔は、この一件についてまだ怒っているようにも見え、首を突っ込みすぎたことを悲しんでいるようにも見え、その二面性に満ちた表情には般若を連想させる迫力が漂っていた。
 汗ばんだ私の手を般若が握る――I feel as if I were in a fairyland.(私はおとぎの国にいるような気分だ)。She speaks as if she had been a master of love.(まるで恋愛の達人だったかのような彼女)。Even if she were a princess, she would not be satisfied.(たとえお姫様であっても彼女は満足しないだろう)。けれど、If it were not for your help, I would die.(君の助けがなければ私は死ぬだろう)。――私の小テストの回想は「比較」の章から「仮定」の章へと移っていた。
 「言っとくけど、私、あなたとは結婚しないからね。あなたのことは尊敬しているし、あなたといる時間は楽しいけど、それと結婚とは別。私は一生京都から離れたくないの。」まだ私が何の告白もせぬうちに一方的にフラれる結末となったわけだが、「この般若と手をつないで人生を歩んだら、きっと刺激的な毎日になるのだろうな」と、彼女を女性として意識し始めたのはこの焼肉店の帰りのことだった。Apply for dating as though I were a friend you have known all your life.(昔から知る親友のようにデートに誘えばよいのだ)。A more skillful teacher would have treated such a man otherwise.(もっと熟練した教師なら、そのような男を別の方法で導いたのに)。
 阪急の踏切までの道すがら、私は或る「先生」の歩んだ人生を思い出していた。愛する妻の助言に支えられ、仕事を続ける意欲を維持し、やがて静かな余生を迎える――現在の私とはあまりに対極的すぎて「比較」にも「仮定」にもならない先生の人生が羨ましい・・・つづく

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