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【政治・経済】ダメ社員 その正体は 神様か

 「社会常識に順応せず、内外の信頼を失いがちな社員」「何度教えても、信じられないようなミスをおかしがちな社員」「風変わりで、周囲とトラブルを起こしがちな社員」・・・そういう社員が職場にいたら「ラッキー」と思うことにするとよい。そういう社員は自分にとって迷惑でしかなく、イライラもするけれど、いない方がマシかと言えば、実はそうでもない。
 とにかく終業後の居酒屋で格好の酒の肴になる。同じ苦しみを味わっている仲間と酌み交わす酒の味をより一層うまくするのは「上司の悪口」と「ダメ社員のエピソード」と定番が決まっている。趣味の悪い人であれば「まあ私の社内評価も低いけど、あの人よりマシか」といった慰めの材料にもなる。とにかく仕事が出来ず、四六時中失敗するし、無駄な存在に見えるけど、責任も取らないくせに威張り散らしている管理監督者に比べれば、モノの見方によっては「滅多にお目にかかれない人間国宝」かもしれないし、実は「乾いた職場に潤いを与えてくれる神様」なのかもしれないのだ。世の中、優秀な社員ばかりで失敗のない会社が本当に「幸せな会社」かと言うと、そうでもないということに気付かせてくれる存在なのだ。そういう思考回路を身につけると、自然と怒りも収まってくる。
 そして何よりも、彼らダメ社員は、自分の帰属しているこの会社の経営にはまだまだ余裕があるということを実感させてくれる存在なのである。会社の「平和」の象徴なのである。ダメな社員でもやたらと元気で会社を休まず来ている以上はクビにはできないが、本当に経営状況に余裕のない会社であればダメな社員から解雇せざるを得ない。
 
 ダメな社員には、支社の営業や販売促進など、お客様にダイレクトに接する対外的な窓口を任せるわけにいかない。よって、ダメな社員は比較的本社に集まりやすくなる。むろん同じ本社でも、経営企画や商品開発ではなく、後方支援的な部署に集められる。後方支援的な部署の仕事も重要な本社機能であることには変わりないが、ここにダメな社員がいても業務を何とか回せているのは、優秀な社員がエラーをカバーしているからである。すなわち、どんな会社でも構造的に「大企業の本社」というのは「上位2割の優秀な社員」と「下位2割のダメな社員」が集合しがちな場所なのである。
 「残り6割の人畜無害な社員」は、上と下の間に挟まって生涯振り回されるので、しんどい。「上位2割の優秀な社員」は、エラーをカバーするために走り回らなければならないので、もともとしんどい。実は「下位2割のダメな社員」が、プライドさえ捨てれば、最も気楽で幸せなサラリーマン生涯を全うできるのである。本当に羨ましいポジションだが、私のようにプライドを捨てきれない凡人は彼らのようには生きられない。プライドを捨てる・・・まさに神業だ。そして経営計画とか部内ミッションとか業務目標とか、そういうことに無意識に無頓着のまま、会社に居座り続けることが「周囲の諦め」によって許される。出世はしないが、解雇されることはない。そうやって、生活に困窮することはない年収を得ながら、平然と適当に生きていく・・・まさに神業だ。どうしてこんな社員を採用してしまったのか。怖い、実に怖い・・・これがバブルの負の遺産だ。
 バブル世代の人々が悪いのではない。誰かが悪いというわけではないのだけど、何となくその時代を形作る社会集団から泡が発生し、個人を包み込むのだ。景気なんて、良くても悪くても、その社会で生きている圧倒的多数の凡人の意図とはほとんど無関係なものだから、世代間で敵対しても仕方ないのだ。しかし、事実として、氷河期以降に採用された若手社員は「入口」の段階から厳しく篩に掛けられているため、入社してから中堅層の無能ぶりに唖然とすることになる。これはもう当然の展開である。もちろんバブル入社組の中からも「上位2割の優秀な社員」と「下位2割のダメな社員」が生まれるわけだが、もともと採用人数が多いため、2割でも相当な人数になる。加えて、バブル期は入社のハードル自体が低かったことは事実だから、無能の度合いが強いのである。だから職場のあちこちで無能ぶりのほうが目立ってしまうのである。そして、無能な先輩社員に有能な後輩社員が翻弄される状況が、生まれた時代の運・不運の違いに起因するために、氷河期以降の入社組はやるせない気持ちに苛まれるわけである。
 
 しかしである・・・彼らは先述のとおり「神様」かもしれないのである。しかも、無能だの有能だの言っても、それは社内の小さな世界における相対的な評価の物差しに基づくものである。自分が有能だという自認とプライド、そして客観的な評価が多少なりともあるのなら、彼らへの非難は程々にしておいて、自分の職責を果たすことに集中したほうが得策のようだ。「こんなにダメな社員に囲まれていたら、きっと普通に頑張っていても私の出世は早まるに違いない」というくらいの薄汚れた野望を胸に秘めつつ、日々の仕事に怒りをぶつけていくほうが、会社の抱える「持病」にいつまでも管を巻くよりはよっぽどマシだろう。
 私にはそんなふうにダメ社員を捉えるしかなかった。しかも冷静に検証してみれば、私はそもそも経済成長に対して極度に興味がなく、便利なモノが開発されて社会が発展していくことへの関心度がかなり低いタイプの人間なので、サラリーマンには向いていないことを自覚していた。私自身も経営計画とか部内ミッションとか業務目標とか、そういうことは本当のところ「どうでもいい」と考えているダメ社員なのだ。
 
 考え方がここに至ると、もう私は「神様」をよく観察し、神様と仲良くなることに行動をシフトすることとした。もう私には「誰が会社に必要不可欠で、誰が会社を支えている存在なのか」が分からない。・・・高校時代の「政治・経済」の授業を思い出す。先生は「政治も経済も偉い人々だけが支えているわけではありません。偉い人々は導いていますが、支えているのはみんなです。よく『この便利な橋を建設したのはあの政治家だ』『あの便利な店を開業したのはこの経営者だ』という考え方をしますけど、橋を作ったのは現場スタッフ、店を開いたのも現場スタッフです。そして、世の中には足を引っ張る人もいて、橋を壊してしまう現場スタッフ、店を潰してしまう現場スタッフもいます。でも、そんなダメなスタッフも含めて全員がこの社会の構成員として政治も経済も支えているんですよ。これは綺麗事ではありません。事実です。」・・・卒業後、自分がサラリーマンという現場スタッフとなって働くようになると、先生の言葉が身に染みる。
 そういえば、この先生の話で思い出すことがもう1つある。「お金で買えない幸せが大事なのは、誰でも知っています。お金で買える幸せも大事にしましょう。幸せはお金で買えるものがほとんどなのです。」・・・つづく

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