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【生物】苦しさに 生きた心地の 息吹かな

 「爽やかな」というのは秋の季語であり「清々しい」というのは初夏の季語らしい。が、冬の青に染まった山々を目にする度、この美しさを全身に受け止めるさまを表す他のコトバが私には見当たらない。眼前を送電用の大きな鉄塔が通過して山の輪郭を遮ったりすると、背景にある山々のスケールがその比では無いことも確かめられて、これが逆に趣深かったりする。そして日が暮れ、暗闇の彼方に坐す山々を、田舎の品の無いパチンコ屋の電飾看板が煌々と照らせば、その夜空がいかに澄み切っているのかも確かめられて、これが逆に趣深かったりする。穢れの一切無い風景も、それはそれで田舎の良さなのだけれど、その“田舎”に中にほんの僅かな“都会”の色が入ると、田舎の風光明媚が寧ろ際立つことがあるのだ。漆黒の佳あればこそ、純白の佳も深まる。逆もまた然り。
 ――年を越し、「麗らか」という春の季語が似合う陽気になり始めても、相変わらず毎度毎度、新幹線で田舎の営業先へ向かう出張生活。一方、その田舎へと旅にでも行くのだろうか、10代の終わりから20代の始まりを謳歌する女子大生グループの笑い声が、がらんとしたホームの陽だまりに木霊している。6~7人は居るだろうか、さらに誰かがこの待ち合わせ場所にまだ加わるようである。みんな春色の服に身を包み、ウキウキした様相。温泉だろうか、それとも何かの合宿や研修だろうか、もう二度と学生時代に戻りたいと思わない私でも、青春と只中に在る彼女らの眩しさがちょっぴり羨ましかった。私はこのまま過労死するかもしれないが、そのときには是非とも今日のような穏やかな日に仰向けになり、絵に描いたような乙女達の微笑みに囲まれながら眠りたいものである。そんな半分本気の幻想から私を現実に引き戻したのは、けたたましい無情の発車ベルであった。
 眩しい大学生を眩しく照らす光にも越冬後の力強さがある。この太陽から栄養を得ようというのだから、植物という奴は立派なもんだ。それに比べて私という奴は、立派に育った植物から栄養を得ているというのに、命の終わりを想像している。――草木の一斉に芽吹く匂いの中で、この愚か者が高校1年生の春、初めて実験室を使った光景がふと甦ってくる。それは光合成の反応を目視確認するというものだった。
 
 ①試験管にマツモ1本を入れ、水に浸したものをAB2つ用意する。②双方に2,000ルクス以上の光を10分間当てる。③マツモの茎の切断面から気泡が出るようになれば、それは光合成をしていることになる。④ここで双方に同量のフェノールレッド試薬を水が薄赤くなる程度に滴下する。⑤試験管Aはそのまま。試験管Bはアルミホイルで覆う。⑥再び双方に光を15分間当てる。⑦Bからアルミホイルを取り除き、双方の試験管中の水の色を比較する。という、作業自体は小学生にでも出来るレベルの実験だった。
 結果はAが赤色をキープし、光を遮断されたBはやや黄色に変化する。赤い試薬は酸性で黄を示す。③で生じたマツモの気泡はO₂であり、④で水が赤くなるのは、O₂が水に溶けにくい性質上、H₂Oの中性を示したということ。そして、光合成の条件である光を奪われたBは、光合成とは反対の反応、則ち呼吸をするため、二酸化炭素が水に溶けて炭酸イオンとなり、水を酸性にしたことが解る。いくら昼行燈で盆暗な私でも、ここまでは納得した。ここまでは「ああ、光合成をしているね」というのを観察するだけで済む話だったからだ。
 ところが、中身の解説となると、もう合点がいかない。光を材料にしてエネルギーを生じさせるっていう仕組みを、数字とアルファベットの並べ替えだけで諒解してしまう人々に、ただただ私は感心するばかりであった。
 「独立栄養生物は無機物から有機物を作る。具体的にはCO₂からC₆H₁₂O₆を作るということ。炭酸同化によって炭酸を栄養に変えることが出来るんだな。オマエたちの全く見えていない泥沼や土の中に居る細菌にはそういう能力があるんだな。」――この日もDNA先生の喋るスピードに脳ミソがついていけない。何がついていけないって、まず黒板に並ぶ記号の羅列に眩暈がする。「6CO₂+12H₂S→C₆H₁₂O₆+6H₂O+12S」
 「要するに、光合成細菌はバクテリオクロロフィルを有し、光エネルギーによって硫化水素からイオウを生じるということ。一方、化学合成細菌は物質を酸化して自らエネルギーを作り、そのエネルギーで炭酸同化するんだな。例えば硫黄細菌のエネルギーの取り方は…」と後ろ向きで喋りながら「2H₂S+O₂→2S+2H₂O+E」と勢いよくチョークを走らせるDNA。見る見るうちにエネルギーを失っていく私。「自分で作ったエネルギーで炭酸同化すると言ってもイメージが湧かないだろう。式にすると分かるぞ。」と自信満々に「6CO₂+12H₂O→C₆H₁₂O₆+6O₂+6H₂O」と板書するDNA。もはや呼吸困難になる私。
 「オレ達は酸素呼吸つまり外呼吸をしているわけだが、無気呼吸つまり内呼吸をする生き物もいる。その代表格が発酵、則ち納豆とかチーズとか酒とかが出来る仕組みなんだな。酵母菌は酸素が欠乏するとブドウ糖を分解し、エチルアルコールと二酸化炭素を生成してエネルギーを獲得するんだな。」と息継ぎもせずに語り続け、「C₆H₁₂O₆→2C₂H₅OH+2CO₂」と書くDNA。アルコールの力を借りずとも、授業のスピードに意識が朦朧とする私。今こうして聴いている内容も、きっと明日になれば、飲み過ぎた翌日の如く記憶から飛んでしまうことだろう。酵母菌という奴が何たるかにすら躓いているこんな奴が、あっという間に酩酊の楽しみと泥酔の苦しみを学び、とうとう7年後には酒を扱う会社に入るのだから、人生とは摩訶不思議である。
 話題がクエン酸回路やらヘモグロビンの酸素解離曲線やらに達すると、もう脳内の酸素が欠乏してくる。とりあえず理解するのは後回しにして只管ノートに式と先生の科白を記述すると、腹が減ってくる。従属栄養生物の私は有機物を欲し、今日の学食の日替わり定食が何か、そればかりを考えていた。そして「よし、やっぱりいつも通りの肉うどんとミニカレーのセットにしよう」と決した頃、先生の解説は終わっていた。
 「ハイ、ここまで。来週、オマエたちの理解度を小テストで確認することとする。」――これに対し、私たちが「エ~っ!」という反応を示す間もなく、無情のチャイムが授業の終わりと春の終わりを告げた。
 
 ――16歳の春の無情のチャイムが、26歳の春の無情の発車ベルに折り重なるようである。ホームに女子大生の笑い声と小さな人生の締切を知らせる音が鳴り響いた春。あれから「清々しい」初夏が過ぎ、「爽やかな秋」が過ぎ、私が季節を忘れる程の労働に明け暮れているうちに、再び青い冬が訪れた。
 長い営業を終えて渋谷の街に戻る。全国各地への帰郷によって人口の若干少なくなった都会に“帰郷”すれば、静かな正月の匂いがする。郵便受けには「完全閉店セール」の案内葉書が地元の紳士服店から届いていた。小学校の卒業式を控えた啓蟄の折柄、母に連れられてジャケットを仕立ててもらった思い出深い老舗の廃業が寂しく感じられた。この他にもスーパーのチラシに混じって何枚かの葉書。中には亡くなった父宛てのものも未だにあったが、どれもロクな内容では無かった。この日の葉書には「お誕生日おめでとうございます。このカードを景品カウンターまでお持ち下さい。素敵なプレゼントを差し上げます。」と書かれている。差出人は道玄坂のパチンコ屋。「素敵なプレゼント」とやらが気になったものの、代わりに受取りに行くほど暇では無い。こっちとらぁ正月の準備があンだよ。
 
 ――パチンコ玉のように目まぐるしかった私に転勤が命ぜられたのはその春だった。転勤はサラリーマンの宿命。少しばかりの旅立ちのつもりだった。が、故郷を捨てて京都へと移ったあの春から数えて早や二十年が経ち、もう流石に洛中が第二の故郷となっている。その癖、正月くらいは東京で過ごしたいという思いからは卒業できない。私は正月の東京が一番好きだ。もちろん平安京で迎える新年も魅力に富んでいるのだが、故郷というのは離れてみると尚更輝きを増すようである。そうだ、この休みに東京で春子さんに逢えたら嬉しいな。そう思っていた矢先、滅多に鳴らない私のスマホが彼女からのメッセージを着信する。「母と京都に行きます。ご都合いかがでしょうか。」といった文字を目で追うや否や、過呼吸になる私。肺胞に受け入れる酸素分圧が異常値のように感じはじめ、忽ちにして「正月くらいは東京で過ごしたいという思い」とやらが「そうだ 京都、残ろう」とばかりに自滅したことは言うまでも無い。息苦しい…この息苦しさに、生きている事を実感する・・・つづく

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