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反抗期は終わらない。
今日は成人式ですね。
私のときは、しんしんと雪の降る日でした。
雪の中、振袖を着た私を母が車で送ってくれたんだっけな。
ここ数ヶ月間、
亡くなった母との思い出を振り返っている。
今年が三回忌なので、母は2年前に亡くなっている。と思う。
「と思う。」なんて言ってしまうのは、四十九日とか一回忌とか法事を終える度に、流れた月日がよくわからなくなるから。
歳月流るる如しというやつで、あれ?何年前に亡くなったんだっけか?と法事が近づく度に思ってしまう。
命日を忘れたわけではないし、生きていた母と過ごした日常は確かに2年前にはあったのだ。
流れていく、流れていってしまう日々を、ここで少しつなぎとめていきたいような気持ちがして
思い出しては紙に書き起こしている。
思い出というのは美化されるものなのか、母との思い出をつづった記録を読み返すと
あれ?こんなに美しいものだったっけか?と思う。
違う違う、こんなに美しくはないのさ、母と娘の関係性は。
美しき日々をつづる私に、ちょっと待て。
とどこからか自分を制する私が出てくる。
私という人は、反抗期という反抗期を、
ばりばりにやってきたのだ。
ばりばりという言葉で思い出すのは、新聞紙を破いた音。
中学生の頃、母と口喧嘩をして、目の前にあった新聞紙を感情のままに、破り捨てて粉々にしてやった。
粉々にして、だ。さらに感情のままに、机の上にある、その紙のかけらを全て、手でなぎ払って、床に落として。そうして私は部屋を飛び出した。
感情のままに、を2回言った。これは大事なところ。反抗期の私に感情のコントロールなどできなかった。
(ちなみに私は床の掃除をしてない。すれ違いのタイミングで部屋に入ってきた同居の祖父が、おやまぁと苦笑いしてた。部屋に戻ったら、綺麗になってたから、母か祖父が掃除したんだろうナ。)
大変迷惑なやつである。
大人になって、あの頃の自分みたいな人には遭遇したくないと思う。我が家では新聞紙とってないから、破られるのは、コピー用紙か。白いコピー用紙、破られたら腹立つな、間違いなく。
反抗期のことを書いていて、「してやった。」という表現がするりと出てくるあたり、
まだまだ私の反抗期は終わってないのかもしれないなとも思う。
たぶん母が亡くなる、その1年前くらいまで、
何かと言葉尻に腹が立ち、一触即発すると反抗期な自分を出しまくっていたと思う。
母と一日をまるまる平穏に過ごせた日々は、多くはないと思う。
ブチギレて、実家を飛び出して、そのまま自分の住む家に帰った日もあった。
他人に言われても何も思わないのに、母に言われると、どうしても
腹が立つ!こんの分からず屋!このやろう。って時、ありません?
あらやだ、お下品な言葉なんて使って、すみません。おほほほ。
母が心臓の難病を持つことが分かったのが、
高3の秋。
母が死ぬかもしれない、と分かってから、私の反抗期は一時期心にスッと引っ込んだ。
そもそも、あともって5年。などと余命宣告をされていたから、母と過ごせる日々のカウントダウンをして生きていた。
いつか、近い未来に死ぬ。
それは明日かもしれないし、余命宣告通りに5年後かもしれない。
目の前にいる人が、居なくなることを想像するのは、信じられないことで。つらかった。
私は、高3。とてもとても精神的に幼かった。
でも、幼いなりに、当時年の離れた妹がまだ幼稚園児だったから、母が居なくなるなら、誰が育てるの?長女の私か?これから私が育てていかないと。なーんて思っていた。
そんなこと考えつつも、あれよという間に浪人して、大学受験は地方の大学を受験しよう!合格したら夢の一人暮らしか?!と想像を巡らせていた。大ばかもの。でもどうにかして、家を出たい気持ちもあったのだ。
(大口を叩いてましたが、志望校には2年連続、落ちました。たった一校しか受かりませんで。
自宅から片道2時間かけて通学することになったのでした。)
いやお恥ずかしい。反抗期ですなぁ。
考えてることと、行動してたことがちぐはぐで、私の幼さが際立つなあと思う。
結果として。
母は、余命宣告されてから、12年生きた。
少し反抗期は引っ込んだけれど、仕事について話をする時、結婚をする時。
何度も何度も、喧嘩して、そうして家でぐちゃぐちゃに泣いた。娘をコントロールしようとする母の一面に思い悩んで喧嘩をしては、流行りの毒親かよ!とも思って、それに関する本を買ったこともあった。
口喧嘩して、もういいっ!ってなるんだけども、清々しく勝った気持ちにはなれず、負けた気がして、涙するのである。
私は三姉妹の長女だけれど、母とガチンコ勝負して、ブチギレるのは私だけ。
妹たちにも「よくお姉ちゃんとお母さんは喧嘩してたよね」と言われる。
目の前にある母との思い出を記録したノートには、美しき日々が語られている。
が、しかし。
日常って別に美しいことの連続じゃなくて、ぐちゃぐちゃになった感情が家族の中でぶつかり合って、楽しいこともあれば、理不尽さや苦い思い出も沢山あるよなと。
母も、この美しき日々のノートを見たら、わははっと笑うと思う。私とあなた、母と娘、こんなことばっかりじゃなかったでしょ、と。
でも、美しい一瞬も確かにあったのだ。
窓から部屋に差し込む、やわらかい陽の光を寝転がって、全身に浴びるような。
早咲きした水仙の香りをむせそうになるくらい思いきり吸い込むみたいに、幸福な時間。
これは、ノートに書き留めた美しき日々に
うん?でも日常ってそんなんじゃなかったよなぁ?
と、横やりを入れたくなってまとめた記録。