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墓石を磨く日。

お墓参りに行きたくなる時がある。

別に宗教に対して信仰が深いわけではなく、何かの折に、お墓参りに行くという行為。
これは身体に染み込んだものだと思う。

実家では元旦にお墓参りに行くのが決まりだった。これは小さい頃から26歳で結婚するまで続いていた習慣だ。
家族でおせち料理を食べて、そしてお墓参り。そのルーティンが済むと、実家の正月行事は終わったな思う。

結婚してから、元旦に実家のお墓参りへ行くことはなくなったが、やはり正月明けてお墓参りに行かないとカラダがむずむずする。

私は2024-2025にかけての正月は、例により寝正月であったからお墓参りは行けなかった。
風邪の症状も治り、そそくさとお墓参りへ出かけた。

お墓のあるお寺の敷地内に入ると、まず今日の墓石はどうだろうか。と思う。
スポンジか、それともブラシか雑巾か。
水を用意してから、管理所に並ぶお掃除セットの前で、墓石の汚れ具合を想像する。

花粉の時期は、花粉まみれだろうから柔らかいスポンジで。
お彼岸やお盆などお墓参りに訪れる人が多い時期は、カラスも賑わってフンをするからブラシにしよう、とか。

今日は元旦に父と妹たちがお墓参りに行っただろうから、まぁ綺麗でしょう。とスポンジだけにした。

行ってみたら、こりゃあびっくり。
鳥のフンまみれ。

ちょうどお墓のお隣さんの木に美味しそうな実がなっていたのか、沢山の種子が入ったフンだった。

おや、しまった。スポンジしか持ってきてないぞ。
と慌ててブラシを取りに戻った。

ごしごしとフンを洗い流す。こすればすぐに落ちるから、これはこれで楽しい。
みるみるうちに、きれいな墓石に元通り。

思えば、母も何かとお墓参りに来ていた。そして、墓石を磨いていた。いつだったか、墓石クリーンキットなるものをどこからか買って、ピカピカにしてやる、と息を巻いていた日もあった。

外で雨風にさらされる墓石だが、こびりつくような汚れはない。
でも、家族の心配事や心のわだかまりができた時に、母はなんとなく墓石を磨きたくなっていたのだと今になってわかった。

自分にも夫という新しい家族ができて、そうして家庭の周りで起こる小さな小波も大波も一緒に乗り越えていくうちに、
ふと無性に、墓石を磨きたくなる時が、私にも訪れた。

ブラシを片手に、ふと見上げた空は快晴だった。

墓石をごしごしと磨く。
磨きながら、お墓に眠る母と、祖父母、御先祖様に話しかける。
近況報告であったり、悩みの呟きであったり。家族の息災を願ったり、応援してほしい旨を伝える。
ごしごし。
ピカピカになるうちに、心も落ち着いてくる。
墓石から直接返事をもらえるわけではないけれど、磨かれた墓石を見ると、なんとなく元気になる自分がいる。

やっと、新年のお墓参りに行くことができた。

長年染みついたルーティンをこなすと、ああ、今年も新しい年が始まったのだと思う。
元旦はとっくに過ぎているけど、あけましておめでとうございます、な気持ち。

無事に明けました。今年も。

家族と、私に関わる人が
健康で幸せでありますように。

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