なぜ日本人はめんどくさいか
あなたは日本人が好きですか?嫌いですか?
私は日本が好きですが、現代の日本人が嫌いです。。と堂々とカミングアウトしてます(笑)
まあそれが米国に帰国する直接的な理由です。
↑もう少し社会心理学的な視点で書いたもの。
日本人が面倒、狭苦しい、馴れ合いの傾向をもたらす理由としては、日本人の人間関係自体が、あるいは、日本社会全体が、「擬似家族的な閉じた関係」で成り立っているからです。
時には、親子の役割、母と息子の役割をさせるのが特徴です。
それは日本人同士の「一体感」や「横の連帯感」を生みます。
また「異質者」を排除することで「一体感」「連帯感」をさらに強化させます。
近代、つまり、江戸以前のなごりが根強く残っているためです。いくつか人間関係で近代化されてない部分が残ってしまったと。
「近代になる」とは、つまり、従来の権力からの圧政を否定して、自分たちの手で、「自由」「主体性」を手に入れると言うことなんだけれども、日本人の場合、ラッキーなことに、歴史的にそうならなかったということです。それが今になって仇になってしまったと。
日本は「優しい」カルト国家
日本に住んでいると「優しい」カルト宗教国家にいるような感覚なのです。人々は、とても穏やかで、優しく、礼儀正しい。中国の「厳しい」独裁国家のような感覚ではない。誰もが「それ」(カルト宗教)を受け入れている。そして、彼ら(日本人)はそれの信者です。
日本社会の魅力は、なんといっても「秩序」です。すべて完璧です。あなたは海外に行ったことがありますか?アフガニスタン(タリバン)にも、聖徳太子の一七条の憲法、和を以って尊し、の精神を教えてあげたい、そうしたら随分平和になるかなと冗談半分でも感じます。電車のホーム、店のレジに「綺麗」に並ぶ。もしそのシステムを理解せず、従わなかったら、いわゆる「自粛警察」がにょっこと土からかおをだしてやってきて「オマエは非国民だ」として追い出されます。いわゆる若者言葉でいえば「空気を読めない」というわけです。
このように二千年以上の古い歴史を持つと言われる、日本文化は非常に発達していて、誰もが「美学」「型」の共通の認識を持っており、食べ物も、武道も、街並みも、庭園も、ファッションも、お笑いも、敬語に代表されるような礼儀作法、言葉も、すべて完璧に秩序が保たれている。それが日本文化のすばらしく、美しい面ですね。
実際、そうだった、日本のスーパーにいって見てください。本当に美しいです。特に弁当コーナーに感動しました。
でも、ダークの力もある。それを彼らは十分に理解していないようです。ああじゃなきゃいけない、こうじゃなきゃいけない、まるで人間性を否定する、抑えるこむかのような力です。このように「システム」に服従を要求します。
「日本人論」
魚は水中にいて水を知らないと言われます。
日本人は、日本で生まれ、日本人の中で育ち、日本語のみを話して、日本社会で生きているために、日本人の持ち前の良さについても、悪いところについても、知ることがなかなか難しいのではありませんか。日本好きの外国人のほうが下手したらめちゃめちゃ詳しい、、、あるあるです(笑)
今日まで、日本人の国民性とか、民族性と呼ばれて、いろいろな研究や観察が発表されています。私もその一人です。
日本人自身によって書かれたものもあるし、外から見た日本人の描写もある。いわゆる「外圧」です(笑)
日本人の手による日本人論は、日本民族が優秀であることを証明するために書かれた、「内輪ノリ」「うぬぼれ」「自画自賛」が多いです。
どちらかと言えば「日本すごい」が主流です。
逆に、日本人を、三等国、四等民族に蹴落として、「海外マンセー」的な、自虐的な劣等感に満ちた感想も目立ちます。
どちらも困ったものであります。
私の日本人論は、どちらかと言えば、(あえて戦略的にそのようにしているが)「日本社会や日本人に対する批評」が多いため、日本人の中には、読んでいるだけでムカムカ、ストレスだけ溜まってる人も多いのではないでしょうか。
また、生粋の外国人の書いたものは、およそ見当外れで、吹き出してしまうような誤解も多いけれど、ただし、第三者として、外から眺めるために、日本人の気づかないところを、言い当てている場合も多く、勉強になる。
しかしながら、外国人の場合は、なんといっても、環境やことばの違い、不自由さから、日本人の心理を、自分のものとして感じることはなかなか難しいのです。
もっとも、最近は、社会心理学や人類学の分野で、一つの社会集団に属する人たちの大部分の共通の心理や行動とか性格などについての研究法が進んできたから、詳しい調査や観察に基づいたレポートも出るようになってきました。
ルースベネディクトの「菊と刀」はその一例です。
太平洋戦争の敗亡に打ちひしがれた日本人に色々な意味で「衝撃」を与えました。
日本人の行動、思考パターンを、当時これほど冷静、かつ客観的に分析しえたセンスもさることながら、日本に一度も来たこともなく、日本人自身を洞察しえあ文化人類学者としてのその能力は、大変リスペクトしています。
ところが、彼女自身も、やはり、日本人の本質には至らなかったように思えます。
私の日本人研究
今日でも、日本人の大多数が、多少とも、心のどこかに持っている、ものの感じ方、考え方、その表現方法について、日系人の立場から、日本人に独特だと思われる点を挙げています。
それは日本人の伝統的な心理とも呼べましょう。
とくに、日本は、地理的にも、歴史的にも、「閉じた」島の中で、豊かな文化や歴史を育んできた事実があります。
ですので、心理も、他の国に比べれば、やはり、崩されずに、現代の日本人に受け継がれている部分がたくさんある。
現代の日本社会は、日本の歴史が始まって以来、最も大きな危機の中に置かれています。日本が、国の独立を侵されて、アメリカの言うがままになり、国民の自主性が失われて、経済も社会も低迷している中で、日本人は、今一度、日本の社会についても、日本の人間についても、冷静に、客観的に見ることをしなければいけません。
伝統的な日本人からの脱却が必要
まだまだ日本人の心理的な伝統が根強く、こじれたり、悪い面だけが残っていたりする。
そして、多くの日本人も、意識的か、無意識的かは差はあれど、日本人、日本社会に、ある種の「モヤモヤ」を感じているのです。
ですから、日本人のくせに、日本人が嫌いでも何ら不思議ではない。
それは古い着物を脱ぎきれておらず、そして、「人間関係」に、透き通った空気がなく、モヤモヤとした雰囲気を漂わせている。
一人の一人の人間が、「●●らしさ」という一種の着物を着て、やはり、生地をむきだしにしないで、生活している。ここでも、身の回りの日常生活は、モヤモヤとした雰囲気がある。
すべて日本人の人間関係の間で生まれる雰囲気の曖昧さから生まれてくるようです。
外国人から見て、日本人が、個人として「遠慮がちで控えめである」「何を考えてるのかよくわからない」とか、「陰湿である」と批評されるのも、この特殊な人間関係についての理解が浅いところから来る、表面的な見方によるからです。
現代の日本人はコンパスを失った船に等しい。迷走中。
日本人自身が、新しい日本を生み出すために、社会の土台から作り直すこととならび、むかしからの名残である「モヤモヤした人間関係」と、そこから発生する社会での「もやっと感」を吹き飛ばすことにも努力しなければならない。
いつまでも「日本人には日本人のよさがある」「嫌なら海外に出ていけ」などともっともらしい、言い訳を言ってないで、日本人をありのままま見る必要がある。
日本人の粗探しが多いように見えるとしても、それは「反省の材料」として示しているつもりです。
いやなもの、悪いものははやくみつけて、ささっと捨てた方が良い。
その役に少しでも立てれば幸いです。
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