法螺貝談義(第43話)
法螺貝は楽器とは言わずに通常は「法具(ほうぐ)」と言います。
単純に仏道の儀礼で使われるので法具と言いますが、これに併せてもう一つあると習いました。
法螺貝は自然の産物です。
大量製品ではないし、規格品で作れるものでもありません。
自然が作ったものだから、個体によってとにかくわかりやすいくらい見事にバラバラで全部違います。
自然の働きを仏教では「法」とも言います。
「法」とはサンスクリット語のDharma(ダルマ)の訳で、
諸行無常、諸法無我などの仏教の教えという意味合いだったり、法則、経典、真理など、意味合いは多岐にわたります。
諸法実相と言って、自然のありのままの姿(働き・自然の摂理)という意味合いも持ちます。
春が来れば花が咲き、秋には葉は紅葉します。
太陽が出ては月が沈み、これを繰り返します。
こう言った自然の働きを諸法実相と言います。
これは誰しも操作できませんし、我々の計らいも届きません。
法螺貝は大自然のいろんな縁による産物です。
むかし「自然(法)がもたらしたものだから法具(法が具わる)と言う」とも教わりました。
そして実は法螺貝だけではなく「人間もそれと同じ自然そのものであり、法である」という事も教えてもらいました。
よく「自然」と言いますが、外に向かってしかそれを意識していません。
意外と自分は自然とは関係ないと思い込んでいますが、
自然の反対を人工とするのであれば、実は自分たちの身心も自然ということがわかります。
意識や作為を超えたものです。
心臓も腎臓も手も足も何一つとして、人が意識的に作っていませんし、働きを止めることも出来ません。
この身体は働きも含めて、全く人工ではありません。
髪の毛も爪も、我々の意図とは関係なく伸びます。
どうあらがっても眠たくもなるし、お腹もすきます。
この身心も自然である以上、法であると言えます。
だから自分自身の存在も自然や真理や法則とは無関係ではない「法」そのものであり、法が具(そな)わった「法具」でもあると言う事が、今になってとてもわかる気がします。
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