
「僕は世界へ飛び出て人生が変わった」挑戦が怖い方へ起業家が伝える、自分軸で生きる大切さとは【鳥取県民 インタビューVol.2】
鳥取県出身で関東在住、かつ20代,30代の人で構成された県人会"HOPT”
『若い力で関東から鳥取を盛り上げたい』
『鳥取と関東をつなぐ新しい経路を作りたい』
『鳥取の若者の選択肢を広げたい』
鳥取から東京に出る理由は様々。自分の夢に向かって挑戦したい、日本の中心で仕事をしてみたい、東京って楽しそう、ずっと地方にいてもつまらないetc...。そんな様々な想いはありながらも、全員に1つだけ共通してることがあります。それは、鳥取が好きだということ。
HOPTの特徴は、若さです。生まれ育った鳥取が大好きだからこそ、若者の力で鳥取のために何かしたい。そして県民同士が気軽に集まれるサードプレイスを作りたい。そんな想いで2019年8月に結成。順調にメンバーが増え、2021年7月時点で127名に。鳥取への想いが人一倍強い、エネルギーに溢れる県民が集まっています。
そんな中で、前回大変人気だったこの企画を行います。
「県人会メンバーへのインタビュー」第2弾
今回は鳥取市出身、現在は東京で株式会社CROとREEV株式会社という会社を経営、フィリピンやベトナムでも事業を展開されており、鳥取では一般社団法人鳥取県eスポーツ協会の代表理事もされている、渡部裕介さんにお話をお伺いしました。渡部さんのとてもアツい想い、そして本質を突く考え方に数多くの学びがありました。読み終わった後に心が奮える方も多くいらっしゃるのではないかと思います。是非最後までご一読ください。
渡部裕介さん
株式会社CRO / REEV株式会社 代表取締役
一般社団法人鳥取県eスポーツ協会 代表理事
経歴
1990年鳥取県生まれ。鳥取市出身。遷喬小学校→北中学校→鳥取工業高校→龍谷大学卒業後、新卒でITベンチャー企業の株式会社デザインに入社。2カ月で同期の中で成績トップになり新卒最短で役職につく。退職後、2014年10月に中学高校の幼馴染みと共にフィリピンのセブ島にてIT留学立ち上げに参画。帰国後、2015年10月に東京で株式会社CROを設立。
2017年にフィリピンセブ島にてコールセンター事業と0円留学事業を開始。
2018年 東南アジアとアメリカを拠点に、ハワイ留学比較ドットコムなどWEBサービスを複数立ち上げる。
2019年ベトナムホーチミンにてコールセンターを設立。同年2月に鳥取県eスポーツ協会を設立。温泉×eスポーツイベント、映画館×eスポーツイベント、アイドルeスポーツ選手権などを手掛け、数々のメディアに取り上げられる。
その後、2020年4月から12月のコロナ禍において10事業20サービスを連続的に立ち上げ、2020年12月より 「eスポーツ×英語×プログラミング」の教育による次世代グローバル人材育成サービス「ゲーミング英会話」を開始。現在はeスポーツを通して世界の社会問題の解決を目指し活動中。
世界に飛び出した経験が、今の自分を作った
-今の渡部さんを作ったきっかけは何だったんですか?-
間違いなく、23歳の時のフィリピンのセブ島にいった経験ですね。これが自分の人生で一番大きなターニングポイントになりました。
セブ島へ行った理由は、語学学校の新規事業の立ち上げです。そしてセブ島へ行くキッカケとなったのが、私の中高の幼馴染みです。今から約7年前に彼は大学卒業後に交換留学でアフリカへ行き、留学によって人生がより良くなるということに気付き「将来鳥取で留学事業をやりたいから、そのノウハウを学ぶために、世界一英語を教えるのがうまいフィリピンに行く」と言っていました。
そしてフィリピンの中でも一番人気のQQEnglishに留学した幼馴染は、留学中にQQEnglishの社長に会い「将来鳥取で留学事業をするために、ノウハウを盗みにきました。」と伝え、それがきっかけでQQEnglishの中でIT留学事業の立ち上げチームを作ることになり、当時東京のITベンチャー企業で働いていた私にも声がかかり、セブ島へ行きました。
ちなみに「IT留学」というのは、英語とプログラミングを両方学ぶことができる留学です。今でこそ少しずつ浸透していますが、当時は留学市場でも前例はほぼなく、マーケットがないと言われていました。しかし、私達はこれからの時代には英語とITスキルは必ず必要になると信じていたので、IT留学を必ず立ち上げて多くの人に伝えていくべきだと思っていました。
いざ立ち上げるとなると、私自身今までIT業界にいたので、ITについては少し知見はあったものの、元々英語も全く喋れずプログラミングの知識も深くはなかったため、セブ島に行ってからは毎日深夜2時~3時まで両方の勉強もしました。自分達でカリキュラムを作り、講師探しのためにセブ島のIT企業を調べて片っ端から電話でアポを取り、うちにジョインしないかと説得していきました。そして紆余曲折しながら約1年かけてIT留学事業が立ち上がりました。
僕はこのフィリピンでの事業立ち上げや海外での生活を通して、今後の自分の人生の選択肢や可能性が広がったという感覚がありました。
具体的には、英語でコミュニケーションをとれるようになったことで、コミュニケーションの幅も1億人→70億人と70倍に広がり、自分が住む場所や勝負するマーケット、仕事相手、取ってくる情報元などが、日本以外の国外にも目を向けられるようになったということです。更にプログラミングスキルを身に着けたことで、自分の頭の中にあるアイデアをWEBに落とし込み、すぐに形にして一瞬で世界中に発信できるようになりました。
帰国後、24歳の時に一番最初に立ち上げた株式会社CROという会社は、立ち上げ当初東南アジアを飛び回りながら、シンガポールやアメリカの事業者を相手にWEB制作事業をしていました。こういった働き方が出来たのも、フィリピンでの経験や英語とITスキルを身につけたからだと思います。
-今やっていること、今後やろうとしていることは何ですか?-
今は様々な事業を立ち上げていますが、大きく分けて3つのことをやっています。クリエイティブ事業、コンタクトセンター事業、eスポーツ事業です。この中でも特に力を入れているのは、eスポーツ事業です。
2017年に再度セブ島に行ってコールセンター事業と0円留学事業を設立し、ある程度軌道にのったタイミングで、次の新規事業のヒントを探してアメリカや東南アジアをまわっていた時に、eスポーツに出会いました。
アメリカのラスベガスでは、eスポーツのイベントがあると街全体でイベントを盛り上げ、世界各国から約15,000人の人がイベントに参加していました。日本でも良く知られている、スマブラやストリートファイターなどの格闘ゲームの大会です。イベントの途中には本格的なライブがあったり、前夜祭ではナイトプールで各国の選手と一緒になってお酒を飲んだり、そこでeスポーツがエンターテインメントとして盛り上がっているのを感じました。
当時は日本ではeスポーツという名前はあまり浸透していませんでしたが、確実にこの波は日本にも来ると思いました。そして私は2018年の終わり頃から、自分の歩んできた海外での経験を元に、人材育成をメインとした地方創生事業や鳥取に貢献できることをやりたいと思っていたので、2019年2月に鳥取県eスポーツ協会を設立しました。
現在鳥取県eスポーツ協会は「鳥取から世界へ」をテーマに、若者が世界に挑戦していける環境づくりを目指し活動しています。
最初は1人で立ち上げた組織ですが、会う人会う人に自分の想いを伝えていくことで、頼もしい仲間ができ、温泉や映画館でイベントを開催した時には400人ほどが集まるようになりました。また、イベントの他には2020年に「eスポーツ×英語×プログラミング」教育を通したグローバル人材育成サービス「ゲーミング英会話」事業もスタートしています。
そして最近では、eスポーツ教育事業だけではなく、eスポーツを通して世界の社会問題を解決するための活動に一番力をいれています。eスポーツは年齢・性別・国籍・身体的ハンディキャップ問わず全ての人が楽しむことができ、様々な垣根を越えてフラットに世界と繋がることができるツールでもあります。
私は、eスポーツを通して世界と繋がった先で「社会に何を願い」「何を世の中に伝えるのか」が重要だと思っています。
先日、ケニアのプロゲーマー「ビースト選手」と繋がる機会があり、彼はケニアにあるアフリカ最大級のスラム街「キベラ」の子供達にeスポーツを通した自立支援をしていると聞きました。その話を聞き、自分にできることは何だろう?と考えた時に、教育の提供ができるのではないかと考え、プログラミング教育を提供することが決まりました。
また、「平和・平等、人種差別をなくしたい」という社会への願いや想いをのせて、アフリカeスポーツ連盟とナイジェリアeスポーツ協会と提携を結び、互いの国の文化・情報・人材・経験・ネットワーク・スキルの共有はもちろん、日本とアフリカの架け橋になり、イベントの共催も企画しています。
これらの活動は、直接的に収益を生む活動ではありません。ですが、それよりも何が大切なのか?稼いだお金や自分自身の想いをどう表現し、どう使うのかが重要だと考えているので、これからもこういった活動は続けていきます。
※eスポーツ:コンピュータゲーム(ビデオゲーム)をスポーツ競技として捉えたもの。
また、私がeスポーツを通して社会問題の解決を目指すキッカケになったのが「仏教」です。
ご縁をいただき、コロナ禍で富山県にあるお寺にずっと篭っていました。そこで仏教の教えに触れる機会をいただき、住職から仏教の教えについて学んでいる中で、仏教には自分の人生の軸となる考え方やものの見方があるということに気付きました。
今までのようにビジネスだけで物事を見るのではなく、本質を考えて活動することを意識し出したのもこの時期です。「自分が人生をかけて何をしたいのか?」「社会に何を願い、どうあってほしいのか?」、そして「世の中に何を伝え、これから生まれてくる次の世代の人達や未来に何を残していくのか?」など様々なことを考えに考えに考え抜きました。
こういったお寺での時間を通して、私が事業を通して実現したいことや、目指すべきこと、社会に伝えていきたいことは、世界の社会問題を解決することだと立ち返ることができました。
自分もそうでしたが、多くの人が日々の仕事や生活の忙しさに追われ、こういった思考に割く時間が少なくなっていると思います。世の中の変化が激しくなり、「もっと便利に・もっと早く・もっと効率良く」が重視される現代において、一歩立ち止まり考える時間を設けることが大事だと思います。そして心の根を深く張り、本質を見て、自分の軸をしっかり持つことこそが現代人には必要だと改めて感じました。
小さな成功体験を積み重ねたからこそ、人よりアクションが出来る
-新しいことにガンガン挑戦できる人って少ないと思うんですが、挑戦できる理由って何ですか?-
それでいうと、新卒で入った会社での営業経験が大きいのかなと。毎日400件以上テレアポして、アポが取れたら企業に訪問し提案を行っていたのですが、これって何もないところからお金を生み出す、いわば0→1を作る作業なんです。アクションを起こせば何かが起こるという成功体験、また諦めないことの大切さを学べました。
そこから海外に出て英語とプログラミングを学んで、関われる人が日本だけでなく世界に広がったこと、特にプログラミングスキルを習得したことによって、自分のアイデアを形にして、インターネットを通して一瞬で世界に発信できるという素晴らしさに気づいたことです。
そしてアイデアを様々な方法で表現し、新しい作品(サービス)を世の中に出した瞬間に、世の中が少し動くあの感覚がとても楽しく、ある種自分の趣味になっています。
私の頭の中のイメージとして、WEBサービスをリリースする前には地球の外から俯瞰して自分を見ています。例えば、渋谷の片隅で一人の青年がサービスを作り、完成したタイミングで、ワンクリックでSNSやインターネットを通して地球の一部が動く。みたいなイメージです。極端かもしれませんが、どこにいても自分が価値を届けたい人に届けることができるのは本当に素晴らしいと思っており、テクノロジー発展の素晴らしさを体感しています。
このような事業の立ち上げとリリースを毎月実験的にしているので、その積み重ねによって、人に比べて新しいことにどんどん挑戦できるのかなと思っています。
-一見順風満帆に見える渡部さん、苦しかった経験ってありましたか?-
24歳の時に立ち上げた株式会社CROの事業がある程度回るようになったので、再びフィリピンに行き、コールセンター事業と0円留学の事業を2017年7月に立ち上げました。そしてそれが比較的早く軌道に乗っていたので、他の国で新しい事業を作るために、ハワイをメインに世界中を飛び回り、現場は当時一番信頼していたマネージャーに任せっきりにしていました。
そんな時に、僕がカンボジアのアンコールワットに行ってたタイミングで、社員から一本の連絡が入りました。
「わたさん、マネージャーの◯◯さんがいなくなりました!」
当時コールセンターは、人を雇えば雇った分売上が上がる仕組みができていたので、私自身現場には一切入らず、社内管理含め全てマネージャーに任せていました。それだけに動揺はありましたが、私が焦っていたら社員も動揺してしまうと思い、従業員には平静を装って「自分が何とかするから、みんなは気にせず通常通り仕事して」とだけ伝えました。
今考えると、私はその頃には会社にも顔をあまり出さず、何のために毎月ハワイに行っているのかも社員には伝えていなかったので、遊んでいるだけではないかと思っている社員が多かったと思います。更に辞めたいという社員がいても当時は「また違う人を雇えばいいか。」くらいにしか思っておらず、たまに社員同士の人間関係のトラブルがあったり、会社や私に不満を持ってることも分かっていましたが、そこには触れずに見て見ぬふりをしていました。
しかしマネージャーがいなくなったのをきっかけに、社員が今まで感じていた不満が爆発し、様々な社内トラブルが起きはじめ、従業員と衝突する機会が増えました。作り上げてきた組織が一気に崩壊していくような感覚がありました。その時一度全てをゼロにし、再度この時の教訓を元に組織を作り直すために奮闘しました。
ここが自分の人生の中でどん底だったのですが、今となってはこの経験を20代のうちにしてよかったと思っています。一度底を味わうことで、また同じような事象が起こる前にどういう準備をしたらいいか分かるようになり、心の持ち様も変わってきます。
社員に自分がどういう想いを持って事業をしているのか、何のために海外を飛び回っているのか、など自分から積極的に伝えていくことの重要性や現場も見ることの大切さにも気づくことができました。
そして一番の原因は自分が天狗になり、過信していたことだということにも気付かされ、一言では表せないほど多くの学びがありました。この大きな挫折があったからこそ、今があると思っているので、若いうちに一度挫折と挑戦とセットで失敗はしておくべきだと思います。
地方は「人を育てること」に時間とお金を使うべき
-鳥取を出た理由って何だったんですか?-
元々、何物かになりたいという想いがあって、ただ、ここにいたら何者にもなれないと。
高校生まで鳥取で過ごしていたのですが、周りで「この人みたいになりたい!」と尊敬できる大人がいませんでした。学生の頃のコミュニティーといえば家と学校が中心、このまま鳥取にいても、将来活躍してテレビに出れるほど有名にはなれないと当時から感じていました。今になればYoutubeやネットの情報で、どこにいても新しいことを学べますが、当時はリアルの場が一番成長できると思っていたので、中学生のころから県外や海外に出たいと思っていました。
そこから実際に京都→東京→海外と歩んできて、より広い世界に進出していくことで見えることが広がったので、踏み出してみて良かったと思っています。
-鳥取に対する想いはありますか?-
まずベースとして、生まれ育った鳥取が大好きです。
大好きが故に、もっとこうあって欲しいというような想いは様々あるのですが、一番は「人を育てること」に時間とお金を使ってほしいと思います。
そして人を育てるうえで、「Why(なぜそれをやるのか)」をしっかり教えるべきです。自分のことを振り返ってみると、学生時代に将来について考える時間が圧倒的に少なかったです。なぜ勉強をするのかとか、今やってることが将来にどう繋がるのかを教えてくれる人がいれば、もっと学生時代の過ごし方が変わったのではと思います。
そういった観点で、例えば外に出て行った人間に触れてもらう機会を作るとか、週に1時間だけでも学校の授業に起業家を呼んで経済やビジネスのことについて考える時間を設けるとか。世の中の根本や本質について考える時間を設けることが大切で、そこにお金も投資するべきだと思ってます。
一時的にどう移住者を増やすか?とか、どんなイベントをしたら人が集まってくるか?ということも大事ですが、それよりもっと根本の、優秀な県民を育てるという取り組みが必要です。
だから私は鳥取県eスポーツ協会を設立して、「鳥取から世界へ」羽ばたけるグローバル人材をどんどん輩出したいと思っています。eスポーツは年齢・性別・国籍・ハンディキャップを問わず、すべての人が楽しむことができるツールです。実際にメキシコ人の人がチーム内にいたり、ナイジェリアのeスポーツ協会と提携を組んだり、どんどん世界の人と繋がっています。
最後に伝えたいこと
-最後に伝えたいことはありますか?-
「本質を見る力」を養っていくことが大切だと思います。
本質を見るとは、この地球にとって本当に大事なことは何なのか?という視点を物事を考えるようになることだと思っています。だから先ほどの話と重なりますが、どんどん挑戦してより広い世界に触れる経験を繰り返して、自分の価値観や考え方を広げていくことが必要です。
それによって様々な課題が見え、その課題を自分毎にして考えられる人間が1人でも多く育ってくれればと思います。私がeスポーツ協会を立ち上げたのも、eスポーツを通じて人種差別などの社会問題を少しでも解決させたいという想いを持っているからです。
物事の本質を捉え、自分軸を持ち生きる人が1人でも増えれば嬉しいです。
-------------------------------------------------------------------------------
如何でしたでしょうか?渡部さんの価値観・考え方に心打たれ、自分を見つめなおすきっかけになった人も多いのではないでしょうか?
渡部さんが現在されている事業、そしてSNSのリンクはこちらです。
■REEV株式会社
■eスポーツ×英会話「ゲーミング英会話」