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「いる」人たちが「いない」扱いされる悔しさ―僕が記事を書く理由(2016.2.02)

名古屋で株式会社「R-Pro」の岡本ナオトさんの主催した「Rナシンネンカイ」に「アイデンティティ名古屋」として参加し、トークセッションにも登壇させていただきました。

集まった人々は、名古屋を中心にさまざまなジャンルで活躍するキープレイヤーばかり。どうやら学生は僕だけだったようで、とんでもないところに来てしまったなと。

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今回、おこぼれながらも「ライター」として登壇し、「なぜライターをしているのか」 という話をしたわけですが、記事を書き始めてから、あっという間に2年。

大学2年の夏に始めたインタビューは、今ではいろんな地域で、自分が良いなあと思った人たちのことを憧れた媒体で書けるという贅沢な立ち位置にいるわけです。

「なぜインタビューだったのか」、「なぜライターだったのか」、理由を挙げると、大きく3つあります。

―1.隙間産業だった 。

僕が、記事を書き始めたのはインタビュー団体「Lien」の東海支部に加入したことがきっかけです。当時、東海支部のライターは1人だけで、記事も1つしかあがっていなかったように思います。

ただ、三重や名古屋で、いろんな活動を拝見するなかで、掲載されてもおかしくない人たちに、スポットライトが当てられていないように感じ、それならば、彼らが存在した同時代的な記録を残そうと文字に落とし始めた。

そういった立ち位置を担う人は、同年代にいなかったので、声をあげてしまえば、独占できるかとも思ったわけです。

当時、関東圏や関西圏を見たときには、同じように活動をされている方たちがいました。でも、東海地方にはいなかった。継続的に進めていくなかで、年を重ねていけば、 彼らが異なるキャリアに就いたときに、発信という部分で関わることが出来るとも考えていました。

それは、媒体が変わった今でも、実感する部分でもあります。「まちづくり」や「ローカル」というテーマをウェブの媒体で書く人は、あまり多くなかったので、すんなりとその立ち位置に入り込むことが出来たのではないかと。

―2.始まりから終わりまでが短いスパンで明確だった。

僕は、もともと何をしても続かない性格でした。 興味を持ったものは、何にでも手を出す、だけど飽きるのもはやい。

そんな自分にとって、いろんな興味を取材に落とし込んで、記事という形で表現するライターというスタンスは、合っていたんだと思います。

―3.自分にとっての知は、他人にとっての未知だった。

大学生活も終わりに近づくなか、いろんな地域に足を運ぶことが出来ました。特に、今年は、岐阜の各地で地域の仕掛け人とお会いし、記事化することが多かったです。地方の賑わいを媒体を通して全国各地に広げ、ムーブメントを起こしていく楽しさを見出したのも今年でした。

いろんなところでお話をする人も増えましたが、意外と各地の動きって知られていないんだなあと感じたのも動いて分かる収穫でした。TwitterやFacebookの情報って見られているようで見られていない。実際に足を運んで、情報を広げていく必要ってあるんだなと思いましたね。

つまらないわけではなく、知られていないだけ。全国で感じた「素敵やなあ」を1つ1つ記録し、地方からも、都市部からも可視化できる状態を作る。

これは今後の継続した目標でもありますが、媒体にアクセスする層も拡大させながら、頂いた御縁への恩返しをしていきたいなあと切に思います。

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マルコメ坊主も、22歳。あと2か月足らずで学生終わっちゃうんですよ。今週は京都でもお喋りする予定。来月は岐阜でしょうか、機会に恵まれておりますが、1つ1つにしっかり応えていきたいなと思います。

今年も、どうかよろしくお願い致します。それでは、また。

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