100個の目標で日々を楽しむ
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
さて、新年となるとSNS界隈では「今年の目標」が飛び交う。ハッシュタグ付きでTweetされたり、そういったブログエントリも盛んだ。
私も御多分に漏れず年が明けると目標に関する作業を行う。目標をここに掲げたりはしないけれど、かわりに私の目標立ての作業を書いてみようと思う。
100個書く
ノートや手帳のノート欄を用意する。アプリのメモ帳でもいい。
そして小さなことから大きなことまで、抽象的なものから具体的なものまで、100個書きだす。これだけだ。本当になんでもいい。ただし絶対に100個書く。
たとえば「海外に行きたい」とする。
そのまま「海外に行く」でもいいし、「セブ島に留学する」「イースター島に旅行に行く」「ロンドンの友人に会いに行く」「ワーホリでカナダに行く」「会社の海外研修に応募する」など具体的でもいい。
目標というのはなにも自分のことだけじゃない。
周囲に対する自分の行動に目標を立ててもいい。「妻を笑顔にする」「母をいたわる」「甥にラケットを買ってあげる」とかでもいいし、「観光客に親切にする」も素晴らしい目標だ。
もっと現実的な目標を混ぜても問題ない。
「TOEICで850以上とる」だとか「宅建の資格をとる」といった資格。「この曲を完璧に弾けるようになる」「ポートレートを100枚撮る」「平泳ぎできるようになる」とかでも問題ない。「100万貯める」なんかもいい。
習慣を身に着けるというのも大切な目標だ。
「禁煙」「週末はランニングをする」「英語のシャドーイングを毎日やる」など、年の初めならではの目標でもいい。
とにかく、100個書くのだ。
書き出してはじめて意識に刻まれる
この100個書きだす作業は、大小問わず自分の願望を洗い出すことになる。意外と大事なことだ。
私たちは常日頃、頭の中で「これがしたいんだよなあ」と思っている。そうしたことを冷静に抽出することが大事だ。その目標がちょっとしたことならすぐ達成できるし、習慣を身に着けたいのであれば、日ごろから意識すべきものが見えてくる。大きな目標であればこの書き出す作業は絶対に欠かせない。その大きなゴール自体を明確に意識することで、初めてそれを叶えるために段階を立てることができるからだ。
どんなステップを踏めばゴールに到達できるかを考えるやり方は色んな人や本が紹介しているが、書き出すという作業はそのための前提条件ともいえる。
また大小や具体抽象を問わずにまず書き出すことで、100個の目標に優先順位をつけることもできる。これもかなり大切なことだ。エッセンシャルじゃない願いにこだわってしまうことを避けられる。
中には意識の中に箇条書きができてしまう人もいるわけだが、多くの人はそうではないし、少なくとも私は書き出すことでハッキリさせないと見失ってしまう。
年末年始に採点を
さて、100個書き出す作業は目標の明確化だけに使うわけではない。答え合わせをする際にも必要だ。
いまは2018年1月だから、2018年の目標を100個書きだすわけだが、同時に2017年の目標100個を引っ張り出して、いくつ達成できたか答え合わせをする作業も行う。
これは自分が2017年にどれくらい目標を叶えられたかを見ることにもなるし、どんな2017年を過ごしたかを思い出すことにもなる。365日の記憶を何もしないではっきり思い出すことはなかなか難しい。自分がどんな1年を過ごしたかを思い出す助けとなる。どう過ごしてきたかを振り返るのは辛い場合もあるけど、振り返ることで次の1年どう立ち振る舞えばいいかが見えてくることもある。
私たちは本当にいろんな経験をしながら生きているし、色んなことを考えて生きている。節目で振り返り、この1年何を経験してきたか、去年の今頃は何を考えていたかをハッキリさせる。そして次に何を目標にするのがいいか、どういう姿勢で過ごせばいいか考える助けにするんだ。
もちろん、100個書いたら1年間寝かすわけじゃない。時々リストを見返して、「そうだこれがしたいんだった」と思いだす助けにもなる。そのためにも、手帳のノート欄やスマホのメモ帳アプリといった、いつもそばにあってすぐに開いて見ることができるところに書くのがいい。
日々を楽しむための準備作業
これは多分有名なやり方なんだろう。私がこれを、勝手にメンターとしているアメリカ人の友人に教えてもらった。
彼をメンターとしている理由は、とにかく自分の人生を誰でもない自分のものとするためにどう生きればいいのか、彼を見ているとお手本になると思ったからだ。日々楽しんでいるし、常に大切な人を喜ばせようとしている。
日本人らしく馬鹿真面目に生きる私を見かねて、彼が教えてくれたたくさんのことのなかのひとつが、この目標のたて方だ。一見刹那的に見えた、彼の日々を楽しむ生き方は、定期的に自分と対話することで維持されているし、前進につながっていたのだ。
彼をなぞるつもりはないけど、彼みたいに日々を楽しめるようになれたら、そんな感じだ。