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つかずはなれずの「ゆるい共同体」

柑橘(@hoppingnaranca)です。
いきなりTweetで読ませる気ゼロな出だしですが、言いたいことはこのTweetに凝縮されています。

灯台もと暮らし元編集長で旅するエッセイストの伊佐知美さん(@tomomi-isa)が主宰するSlackコミュニティ「#旅と写真と文章と」で、フォトウォークをしてきました。その感想が、このTweet。
それをもう少し書こうと思ったのが今回です。

ふだん私は一人で写真を撮ります。
理由はいろいろあるんですが、人から受ける刺激が強すぎるからかな。

私は自分が写真うまい!とか思うことはまず無くて、あくまで撮ってる人どまりに過ぎない。実際はどうあれ。
人に何かを教えられるほどじゃないし、カメラあるあるや写真あるあるで人とわたり合えるだけの人間ですらない、と思うことがあります。

写真に限ったことじゃないですけど、こういうものって自分よりはるかに上手だったり、すばらしい表現ができる人がいっぱいいるじゃないですか。芸術写真家ではないんだから「自分らしく」でいいとはわかっているけど、それでも「上には上が」という考えを抜き切れない。
その失望は、上を見たときだけ感じるものじゃない。自分とおなじくらいの人や、初心者を相手にしたときこそ強く感じるものです。自分の実力不足を一番強く感じるのは、通用しない時よりも「ああ、うまく伝えられないな」ってときですからね。

だから、あんまり人と写真撮りに出るってことがないんです。全くないってことはないけど、進んでわいわいに入った経験があまりない。上手い人に打ちのめされ、同じくらいの人の会話が弾まず、初心者の人に教えられない。そんなことになったら引きこもってしまうかも。
……自分が歩くペースが爆速だったりするのでマイペースにやりたいっていうのが一番の理由だけど。

でも本当は、こういう自信のないハンパモノこそが同じ方を向いた人と触れ合うほうがよかったりする。
これも散々言い尽くされた「んなことわかってんだよ!」なものだけど、やってみて実感するものですよね。

フォトウォークしてみて思ったのは、「ゆるい共同体」っていうのは私にとってかなり居心地の良い空間だな、ということでした。
「写真」という同じ方を向いた人たちと一緒に歩くことで、時に自分の未熟さを思い知らされて凹むけど、それは学ぶ機会なわけで。それに実は自分でも撮れるもの、伝えられるものがあることを発見できる。あと話すのたのしい。

そして常に帯同していないといけないというわけではないゆるさが大事だな。
思い思いに撮って、時に見せ合って、困ったら教え合って、また離れてそれぞれの活動にいそしむ。それはフォトウォークのような実際の場だけじゃなくて、オンライン上のコミュニティでもそう。先生と生徒じゃないし、上司と部下でもない。同級生や同僚ですらない。同じ方へ歩く仲間、そんな関係。

チームの一員であり個人である。その塩梅を私は常に探している。
ひとつの解として、この「ゆるいコミュニティ」はアリなのかもしれない。フォトウォークの最中とあと、そんな風なことを考えていました。

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