こども
19:00
東横線
イヤホンの向こうから、子供の泣く声がする。
母親に連れられ、ドアの前にきたときにはもうぐずっていた。
暗い窓の外を覗き「見えない!電車が見たいのに!」
彼のぐずりはイヤホンの向こうからも聞こえてくる。
言い分はこうだ。
座席に座り、窓の外を見ていたが、暗くて見えない。ドアのほうにきたら、彼の背格好では窓ガラスが高くうまく見えないのでドアを開けろ。
窓に貼られた広告のシールが邪魔で見えないからどけろ。
そしてなんで暗いんだ、もっと明るくして!の3点に要約された。
母親は困っているが、怒るわけでもなく、ほんとうにただ困った顔で、我が子の帽子を直し、メガネを外して涙と鼻水を拭ってやるのみだ。
母親がすみませんと頭を下げてくる。
私は、黙っているといわく「冷たい人の目をしている」らしく、きっと、その子を見下ろす目は、殺意か何かを湛えていたかもしれない。そんな気はさらさらないのだが。
駅が近づく。
「降りたらもっとちゃんと見えるから…」と母親が言っても、こどもは「走ってるときに見たかったの!降りたくない!」
そうぐずりながらホームに降ろされた彼の慟哭は、うんざりした顔が漂う波に消えていった。
19:05
東横線。静寂と、録音された車内アナウンス。残響はこどもの慟哭。
あまりにも自己中心的。
こどものいない身として、甘やかされすぎだとまでは言えない。あのこどもの親は、彼を大切に育てているのだろう。おしゃれな帽子とメガネだった。
だがドアを開けろ、広告を剥がせにとどまらず、日没に文句を言う横暴ぶりはまさに暴君。
こどもらしいで済ませていいのか判断に困るくらい、久々に見た清々しいまでのガキのガキによるガキっぽさ。
既視感があったのは、きっとこういうガキっぽさを持った大人が増えたから、なんだろうか。
こどもらしくて結構!とも思わなかった-うるせえガキだなとは思ったので-だが、勘弁してくれとも思わなかった-こどもとはこうやって自分が神に守られし何かだと思うものだから。
19:10
電車で男が文句を言っている。
前の乗客の荷物が当たって痛いか何か言っている。
ちょっとした口論になっている。
どうでもいい。続きは是非、自由が丘のホームでどうぞ。
音量を上げ、うんざりした顔の波間から、すっと音の海に沈む。
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