「ビールの多様性を多くの人に届けたい」【HOPPIN’ GALAGE ブリュワー紹介 東海道BEER川崎宿工場 田上達史さん】
江戸時代、宿場町として栄えた神奈川県川崎市。京急川崎駅から、京急大師線の線路沿いを進み、住宅地に入ったところに、クラフトビールの醸造所、東海道BEER川崎宿工場があります。
東海道BEER川崎宿工場では、さまざまなクラフトビールが作られています。住宅街の中でグッと目を引く外観は、木の温もりが伝わる、おしゃれな雰囲気。内観は江戸切子のランプシェードが吊るされていて、温かみのあるやわらかな照明が落ち着く、非常に居心地の良い空間となっています。
「ビールの民主化」を掲げるHOPPIN’ GALAGEでは、全国でビールづくりに取り組むブリュワー・ブリュワリーをご紹介していきます。
今回、RADIO HOPPIN’ GALAGEの収録場所でもある、東海道BEER川崎宿工場でブリュワーを務める田上達史(たのうえさとし)さんに、ブリュワーとしての思いや「ビールの民主化」について聞きました。
自分が飲みたいビールは、自分でつくってしまおう
田上さんは2016年からブリュワーとして活躍していますが、ブリュワーになるまでは予備校で物理の講師をしていたという、異色の経歴の持ち主です。なぜ予備校講師をやめてブリュワーになったのでしょうか。
「15年ほど前、メディアでベルギービールブームが取り上げられていたんです。すぐに過ぎ去った小さなブームでしたが、僕はそのブームでビールの多様性や奥深さに魅了されたんです。もともとビールが大好きだったこともあり、『自分の人生、やりたいことをやろう』と、そこからは何もかもを捨て、クラフトビールづくりの勉強にゼロから独学で取り組みました」(田上さん、以下同)
同時期にアメリカでは、アメリカンスタイルのIPA(※)が爆発的に流行。そのときにも、田上さんが自分らしいビールをつくりたいと思ったきっかけがありました。
※インディアペールエール(INDIA PALE ALE)の略。イギリスからインドにビールを運ぶ際、日持ちさせるためにホップを大量に使用したことが起源とされ、ホップの香りと強い苦みが特長のビールスタイル。
「日本のビール会社が、『みんな右に倣え』という感じで、主力商品の味を変えてでもアメリカンIPA側に寄せていくようなことが起きていたんです。僕が好きだったビールの魅力は『多様性』『個性』だったのですが、身の回りのビールからそれが失われてしまった、とはっきりと感じました。だから、自分が飲みたいビールは自分でつくろうと思ったんです。『ビールの世界は広いんだ、どんな工夫をしてもいいし、みんなで同じ方向を向く必要はないんだよ』ということを示すためにも、2016年7月に『風上麦酒製造』というビール会社をつくりました」
ビールの魅力は「近さ」「広さ」「深さ」
ベルギービールのブームによりビールづくりに興味を持った田上さん。ビールの魅力は「近さ」「広さ」「深さ」の3つだと田上さんは言います。
「たとえば、ワインはコルクを開けるときにどこか特別なものを感じませんか? ビールは良い意味で特別感はなく、家に帰って冷蔵庫を開けて日常のテンションのまま飲む、といった人も多いかもしれません。そういう意味でビールは『近い』存在だと思っています。
次に、ビールの『広さ』は、自由度が高くていろいろなビールが存在しているということです。ときにはワインや日本酒の製法を使うなど、いろいろなタイプのビールが世の中にありますが、どれも〇〇風の『ビール』なんです。
このようにビールには近さと広さがありながら、『深さ』を感じさせられる要素もあるのです。ビール職人の細やかな気遣いや技術が、クオリティに大きく影響します」
ビールの多様性を、川崎から発信していく
予備校講師から、大きくキャリアチェンジをしてブリュワーになった田上さん。ブリュワーになってからは、予備校講師時代よりも収入は大きく下がっていました。それでも、不安を抱いたり、失敗を恐れたりしたことは一度もなかったそうです。
「何もかもを捨ててビールづくりの業界に入ったので、多少のリスクは理解していました。でも、僕は『ビールの多様性や自由度を世の中に広げたい』という思いが強くあったので、迷いはありませんでした」
ビールの多様性を世の中に伝えるために情熱を持つ田上さん。そんな田上さんがつくるビールにはどのような特徴があるのでしょうか。
「僕がつくるビールは、教科書的ではない、個性的で実験的なビールです。飲んだとき、思わずニヤリとしてしまうようなビールづくりを心がけています。東海道BEER川崎宿工場のビールは、ハーブやスパイスが入っているようなイメージを持たれることが多いですが、そうではないものもあります。いわゆる麦芽とホップしか使わないシンプルなもの。
とはいえ、僕がつくるビールは個性的なのだろうと感じています。たとえば、『コーヒービール』を最近つくりました。他社もつくっていて、すでに世の中に存在するビールですが、コーヒービールを飲んだことがあるお客さまから、『こんなコーヒービールは初めてだ』だと言われますね。
「第11回全国工場夜景サミット in 川崎」を記念し、田上さんによってつくられた川崎工場夜景イメージビール「黒に浮かぶ」
すでに存在するものであっても、やっぱりその中で自分らしい味わいをつくることができているのだと感じてうれしかったですね。心の中ではみんなと同じものをつくっても仕方がない、ビールの多様性を生み出したいという気持ちが強いので」
自分が飲みたいビールをつくりたいと、ブリュワーになった田上さんですが、現在は広く受け入れられるテイストのビールもつくっていると語ります。
「ブリュワーとして独立したての風上麦酒製造時代は、自分がつくりたいビールをつくり続けていました。多くの人に美味しいと思ってもらうことよりも、8割の人が『まずい』と答えて、2割の人が『すごくいい』と言ってくれるような特徴の強いビールをつくる考えで取り組んでいたんです。
そんな考えでつくっていたものの、実際には多くの人に受け入れられる結果となりました。とにかく自分が飲みたいビールづくりに没頭していた時代だったので、たくさんのお客さまから良い反応をいただいたことは意外でしたね(笑)。
この経験があったので、現在の川崎に来てからは、特徴の強いビールをつくりながらも、川崎の人に好きになってもらえる、川崎を代表するようなビールをつくろうという思いで取り組んでいます。」
ビールづくりの魅力について田上さんに尋ねると、田上さんの顔が一気にほころびました。
「ブリュワーになって5〜6年が経ちますが、ふとしたとき、タンクの上の窓から発酵の泡がブクブク出ている様子を見つめてしまうことがあります。これは何かをチェックしているわけではなく、発酵の神秘性に取り憑かれているんですよ。ただ我が子が眠っている姿を見ているような気持ちで(笑)」
クラフトビール業界を川崎から盛り上げたい!
HOPPIN’ GALAGEがテーマとして掲げる「ビールの民主化」。田上さんに、「ビールの民主化」について思うことや、田上さんが果たす役割を聞きました。
「僕が考えるビールの魅力でもある『近さ』を感じてもらうことですね。わかりやすく言うと、ビールファンだけではなく一般の多くの方が、クラフトビールを飲んでいるような状態を目指すことです。
たとえば音楽だったら、『米津玄師』『ヒゲダン(Official髭男dism)』のように万人が思い浮かぶアーティストがいて、それを聞く人がいるし、憧れてミュージシャンを目指す人がいる。ワインだったら有名なソムリエがいて、予備校講師だったら林修先生がいる。
『民主化』を考える上で、音楽業界で言う『米津玄師』のような存在が、ビール業界から出てきてもいいのではないかと考えています。『ビールと言えばこの人!』という有名人が出てくるぐらいになれば、民主化が進んだ状態と言えるのではないでしょうか」
最後に田上さんの今後のビジョンについて聞きました。
「クラフトビールのシェアはビール業界大手に比べかなり低い状況です。国内ビールシェアの円グラフだと、クラフトビールは現在、髪の毛のように細い『その他』のカテゴリーにあります。僕は『その他』のカテゴリーが『クラフトビール』のカテゴリーとして、ピザ一切れ分ほどの大きさになってほしいですね。そのためにまずは川崎から、クラフトビールを盛り上げていきたいです!」
物静かに、でも垣間見える情熱を見せながら、クラフトビールづくりへの思いを語ってくれた田上さん。田上さんのビールづくりへの思いが、より広く知られるようになると、ビール業界がますます盛り上がりそうだと感じました。
次のブリュワー紹介もお楽しみに!
HOPPIN' GARAGE(ホッピンガレージ)は、「もっと自由にビールづくりができる世界」を目指し、お客様とサッポロビール醸造技術者(ブリュワー)の共創によるビールづくりを中心に、ビールを学べる講座やビールでつながる交流会などの体験づくりを行っています。