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5年連続ミシュラン選出。店主のターニングポイントは「支配からの解放」にあった【HOPPIN’ GARAGE 按田餃子 按田優子さん】

「白菜と生姜」「香菜と胡瓜」「大根と搾菜」「カレー風味と人参」——これらはすべて餃子のラインナップです。

一風変わった餃子を提供するのは「按田餃子(あんだぎょうざ)」。代々木上原と二子玉川にある店舗はいつも多くのお客で賑わっています。

餃子の他にも、キクラゲをメイン食材に使用した「ラゲーライス」などのメニューが人気の按田餃子は、ミシュランガイドに「餃子カテゴリー」ができた2016年以降、5年連続でビブグルマンに選ばれています。

按田餃子の店主・按田優子さんは、菓子・パンの製造や、乾物料理店でのメニュー開発などを経験したのち、2011年に独立。写真家の鈴木陽介さんに誘われ、2012年に「助けたい 包みたい 按田餃子でございます。」をコンセプトとした按田餃子をオープンしました。

今、自分は何をやりたいのか——素直に考えて、のびのびと活動する按田さん。大好きな南米にはなんと8回も訪れるなど、旅行経験も豊富です。しかし昔は、両親の姿を見て育つ中で自然とインプットされた、既成概念や常識にとらわれていたそう。

悩んで悩んで悩み抜いた末に、なぜ今の人生を選ぶようになったのか。ご自身にとってのターニングポイントと、そこに立ち会ったビールの思い出について伺いました。

ターニングポイント1 自分の執着心に気づいた

ユニークなメニューを生み出し続ける按田さんは、以前から独創的な人だったのだろうと思いきや、意外な言葉が返ってきました。

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「幼いころは、『両親のようにいつか結婚して、子どもを産み育てながら生活するだろう』と思い込んでいました。ただ、漠然とした生きづらさは感じていましたね。そして20代前半のころ、さまざまな人と関わる中で、自分の中の常識はあくまで『按田家の常識』で、世間の常識とはかけ離れている感覚を自覚し始めたんです」(按田さん、以下同)

そう自覚しながらも、20代で就職、結婚。しかし、按田さんにその生き方はしっくりこず、30代で離婚を経験します。離婚後は、出費を抑えるために風呂なしアパートで生活。その生活を好んでいたものの、ある日自分の「嫌な一面」に気づきます。

「31歳で離婚して、ずっとこのまま独身なんじゃないか、年収もこのまま上がらなかったら、といった将来に対する不安を抱えていました。私は風呂なしアパートでの生活が好きで、お金にそれほど執着せず、貧乏でも都会で楽しく暮らしていきたいと思っていたんですよね。でもどんなに生活を変えても、自分の好きな生活に胸を張れない、毎日がつまらない気持ちでいました。

周囲の人たちから『あんちゃんは自立していてすごいね』『あんちゃんは自由でいいよね』と言われながら、言外に『でも自分はあんちゃんみたいな生活はしないけどね』と思われることにも、陰ですごく気にしていましたね。でも、自分の生き方を変えるのは、自分しかいない。そうやって思考を巡らせたときに、『結局私は周りの人と比べた生き方をしている』『お金に執着していたんだ』と自分がどんな考えで生きてきたのかに気づいたんです」(按田さん、以下同)

風呂なしアパートに住んでいる自分は好き。でもこの先も年収200万円でひとりで生活していけるのか? 20代に入ってから10年ほど悩み続けていた原因に気づいたとき、按田さんは「とても自由になった」と語ります。

「もし年収200万円でこの先も独身だったとしても、悠々自適に暮らせる術を身につけれられれば、好きなことに時間が使える。だからもう頑張らなくていいやと思ったんですよね。

そして私の悩みは、今の時代に東京でこの年齢で暮らしているからこそのものだった。他の国で生活していたら、こんなに悩む必要はなかったかもしれません。ということは、似たような気持ちを抱いている人は意外と多いんじゃないかなと思って。

だから、とにかく頑張らないで、都会で地味に暮らす女性のロールモデルになろうと思ったんですよね。『“多くの人が選んでいる生活”以外の選択肢』がもう少し市民権を得てもいいんじゃないかな? と思って」

普段の明るくて活発な姿の陰で、生き方に悩み続けていた按田さんは、30代前半で大切にしたい価値観に気づきました。そして30代後半に、またひとつ大きな体験が待ち受けていました。

ターニングポイント2 「居たいときに、居たい場所にいてもいい」と教えてくれた築100年の古民家で暮らす野良猫

「あるとき、同い年の女性と出会いました。彼女は世界の僻地までひとりで行くような、筋金入りのバックパッカー。彼女は、世界各国の多くの安宿にお世話になった経験から、東京でボロボロの物件をいくつも借りて、自分でDIYをしながらゲストハウスを経営していました。

彼女が持っている築100年の庭付き古民家が中野にあって、風呂なしアパートから引っ越して住まわせてもらったことがあるんです。そこは、トトロの家みたいな物件(笑)。本当にボロボロだったので、廃材のベニヤ板を丸鋸で切ってフローリングにしたり、自分で配管をしたりと、DIYの域を超えるような家づくりをしていました」

写真3当時按田さんが住んでいた古民家

自分の価値観が明確にならなかったら、その家に住む話はなかっただろうと話す按田さん。そして、古民家暮らしで出会ったのは、その女性だけではありませんでした。

「古民家には野良猫が6匹ほど棲みついていました。私が住むようになってからも、私のことは完全に無視。庭で猫たちで集まって“会議”をしたり、『日が当たるからこの時間はここにいたいんです』という感じで日当たりのいい場所にダラーンと寝転がっていて、とにかく自由。どれだけ家が綺麗になって私が長く住むようになっても、何も変わらないし私にも懐かない。

写真4庭で気持ちよく寝る野良猫たち

そんな姿を見ていたときに、ふと『自分が居たいときに、居たい場所にいればいいんだ』と思ったんです。私は、家は人間が住むものだと思っているし、借りる契約をしたのは私なのに、野良猫たちにはそんな常識が完全に通用しないわけです。野良猫たちが『自由にしていいんだよ』と私に気づきを与えてくれました」

この体験以降、DIYできる物件にしか住めなくなったという按田さん。古民家での野良猫との出会いは、人生にとても大きな影響を及ぼしたことが伝わります。

「一般的な賃貸物件では、家の方に自分がなじんでいく必要があります。私にとってそれは『支配されている』感覚をおぼえることなんですよね。でもDIYできる物件なら、自分の居心地を良くするために何をやったっていいじゃないですか。また料理に関しても、離婚するまでは大好きな人に料理を作るのが愛情表現で、相手にどれだけ尽くすかが大切だと思っていました。

でも次第に、自分のために空間を変えたり、自分のために料理を作ることができるようになりましたね。空間も時間も自分の好きなように組み立てて使える。『やりたかったのはこれだ!』って気づけたんです。野良猫たちに感謝(笑)」

廃材などで古民家をDIYすることは、按田餃子で大事にしている「ひとつの素材を資本にする」という考え方ともリンクしているという按田さん。

東日本大震災が起きた直後には、冷蔵庫を持たない暮らしをスタート。「これがないと生きていけない」という状態は不自由だと、計画停電でコンビニに殺到する人々を見ながら感じ、冷蔵庫なしで夏を越してみようと思ったそうです。

「私の生活は大多数の人に当てはまるものではありませんが、発想は真っ当だと思っています。冷蔵庫を置かない代わりに、スーパーで買った食材で、漬物や乾物などを作る生活を半年ほど続けました。その間、以前の暮らしでは食材を買い込みすぎていたことや、何か食べたいときには皆で食べれば料理を余らせずに済むことを体感しました。

この“冷蔵庫なし生活”を知った編集者から『レシピ本を出しましょうよ』と声をかけられて、2011年8月にはレシピ本『冷蔵庫いらずのレシピ』(ワニブックス)を書きました。按田餃子を共同でオープンした写真家の鈴木陽介とはレシピ本制作で出会い、それがきっかけで、2012年に按田餃子をオープンしました。

按田餃子は、冷蔵庫なし生活で発見した『いつの時代であっても普遍的な料理』を現役稼働させるお店にしたいという思いを込めて立ち上げたんですよ」

イビサ島での「乾杯」が人生を支えている

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そんな按田さんに「人生最高の一杯」は何か聞いてみたら、少し不思議なエピソードを教えてくれました。

「5年前、スペインのイビサ島で泊まったゲストハウスで、不思議な体験をしたんですよね。そこには各国からの旅行者が集まっていて、ある日たまたま皆で食事をすることになりました。料理を作ったり持ち寄ったりしながら話していたときに、ゲストハウスの主人が突然『皆が今日ここにいるのは、私が呼んだからだ』と話し始めたんです(笑)。

その主人は元々バルセロナで会社員をしていたのですが、瞑想に目覚めてチベットで修行し、世界平和のために各地を周りたいと考えたそうです。しかし自分が世界を回るには経済的にも難しいので、ゲストハウスを開いて人を呼び寄せることにしたとのこと。

他にも『人生は木のように実りあるものだ』『人間関係がもっとも調和された関係は虹と同じ。すべて自然の造形のようにデザインされている』などのわかるようでわからない話が展開されて。そこで「今日はストロベリームーン(※)だね」という話になり、なぜか皆で手をつないで瞑想して、ビールで乾杯したんです。

(※)6月の満月のこと

とても不思議な体験でしたが、たまたま行った土地でそこで出会った人々と、心がひとつになったことに強く感動しました。その町のスーパーで売られているような、何の変哲もない缶ビールでの乾杯でしたが、ビールを見ると今でもあの出来事を思い出すし、あの体験が『世界中に仲間がいるから大丈夫』と私を鼓舞させるんですよね。これが私の人生最高の一杯です」

写真5イビサ島、ゲストハウスで出会った友人との1枚

紆余曲折を経て、自由に生きるようになった按田さん。最後にその人生をビールに例えていただきました。

「『支配からの解放』がテーマになるのかなあ(笑)。味は、『すごくおいしい!』『まずい! 何だこれ?』と、反応が両極端に分かれるようなビールですね。ニーズがはっきりしていて、1回飲めば好き嫌いが分かるようなニッチなビール。

皆に好かれようとか、周りに合わせようとか、何かの枠にはまろうとか、もうまったく思わないんですよ。最近は按田餃子でも、他の方に試食してもらうのをやめて、自分がおいしいと思うものを提供しています。だって人の味覚はそれぞれ違うし、9人がおいしいと言っても、最後のひとりがおいしくないと言うかもしれないですから。

私がおいしいと思えばそれでいい。もしそんなビールができたら私が半分買い取ります(笑)。残りの半分は『どうだ、私の人生は! 私のような生き方もあるんだぞ』を示すためにも、世の中に広めたいですね!」

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2018年10月に始まった『HOPPIN’ GARAGE』。

HOPPIN' GARAGE(ホッピンガレージ)は、「できたらいいな。を、つくろう」を合言葉に、人生ストーリーを材料としたビールづくりをはじめ、絵本やゲームやラジオなど、これまでの発想に捉われない「新しいビールの楽しみ方」を続々とお届けします。

※按田優子さんより一部写真提供