待つということ
最近、出汁を取るのを楽しんでいる。
何より美味しいからそうするのだけど、
最近気付いたこと。
昆布や鰹節のいい香りが漂うと、
何故か…我が子たちがやってくる。
そして、それぞれが何か美味しいのをつくり始める笑
そんな日は賑やかな食卓😋
この現象は、
出汁パックでは起こらないことらしい。
思春期の我が子たちが食卓に集まるのは、
YouTubeか、TikTokか…。
ときどきカードゲームとか。
こちらが思うような展開には、
(ご飯つくってほしいとか、洗濯物畳んでほしいとか、勉強してほしいとか…)
ならないことがほとんど。
そんなことからふと。
子どもたちの環境をつくるときに出てくる、
"主体性を育くむための環境づくり"の話。
主体的な経験をしてほしいと思うあまり、
待つことができていないことがあるのかもしれない。
子どもたちが自ら動き出すことを、
大人はコントロールしようとしてしまいがちなのかもしれない。
〇〇したらいいんじゃない?
〇〇してほしいな。
どうして〇〇やらないの?
そんな声掛けになっていないだろうか。
出汁のいい香りがしてきたら、
何かつくりたい!という気持ちになる。
そんな環境とはどんなものなのだろうか。
どのタイミングで動き出すかも、
待つことも環境のひとつ。
心から動き出してしまうような場づくり。
次はその作戦会議をやりたいな。