成長するための出来事はいつまで経っても追いかけてくるらしい
毎日投稿している自分がなんだか珍しい、3日坊主が常日頃なみげです。
風呂に入ってご飯を食べて
今日は月礼拝(チャンドラ・ナマスカーラ)をやってみました。
月礼拝、って知ってますか?
ヨガのシークエンスで”太陽礼拝”というものがあります。
なんとなく『ヨガと言えばこれ!』って感じがします。(わたし調べ
朝とか元気になりたいとき、日の当たるところで行うとこれがまた心地が良いのです。
月礼拝はどちらかというと太陽礼拝よりも落ち着いているような感じがします。
ゆったりと体をほぐしその日1日力んで縮んでいた筋肉たちをゆっくり伸ばすような、そんな時間でした。
サンスクリット語での誘導はやっぱり新鮮で頭を働かせるけど
これもまた楽しい。
自分のためだけの時間だぁ〜と噛み締めたほんの10分の出来事でした。
今日このように過ごしたことで感じたこと、そして思い出したことがありました。それは
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自分の成長すべき事象は逃げても必ず様々な形で目の前に現れる
でも向き合うにもタイミングがある
ということ
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意外とこれって誰にでもありそうな気がします。
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私の社会人1社目はヨガの先生でした。
先生になろうとしたきっかけ?それは短大で学んだ
”人の前に立っていられることができる(学んだことが活かせる)仕事”と思っていたから。
今思えばそれもまた始めるきっかけとしてはいいんじゃないかなって
思っています。
でもヨガの先生として前に立つのであれば
解剖学や生理学やヨーガの本質
これを学び、知っていくことで、やっと目の前のお客様と
やりとりができるものです。
だけど、何度やってもどうしても理解できない研修があったのです。
初めは何をしたいのかわからない、知識も頭に入らない、ポーズへの誘導が自分の口から出てこない
そんな状態で1年目に研修へ挑むも不合格。
テスト日には先生から「あなたは何しにきたの?」と言い放たれる始末。
研修自体も怖く逃げていました。
2年目、異動もあって
「お客さんもみげちゃんのレッスンデビュー楽しみにしてるよ?」
と先輩に言われそんな言葉も信じられないまま
「店舗でできるスタッフが少ないことから」といった理由で再チャレンジ。
結果は不合格。
先輩にも「いつかその日が来るから。大丈夫。今は他のレッスンにチャレンジしよう」そう言われて私はそこから逃げるように仕事をしてました。
そして3年目、やはりまたその壁が立ちはだかるのです。
正直もうやる気がない状況でした。多分これ向いてない、と思って。
当たり前だけど不合格。
でもそこで先輩と腹を割って話した後は
「もう一度向き合ってみよう」と感じたのです。
そこから1ヶ月の自分と向き合いながらの自主練習
感じたこと、そこから考えられる効果、効能
いろんなことを感じて吸収した結果、合格を勝ち取れました。
あの時は約4回目にもなるはずの練習なのに
新鮮でいろんなところに目が止まって
口から何もみていなくても誘導が出てきたのを覚えています。
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日々の生活でも”この嫌な感じ、前もあったよな...みたいな”デジャヴ感あると思います。気づいていないだけで実は起きているかもしれません。
その事象はきっと「自分が成長できるチャンスが表に出てきたこと」なのかな、って私は思います。
それが今向き合うタイミングなのかどうかはその人次第です。
だからこそ今日実践した月礼拝は
「まさに今、自分がこれからの成長や吸収ができるタイミング」と思って
ヨガマットを引いて10分でも実践ができたのかなぁとも思います。
月礼拝のシークエンスやサンスクリット語での誘導が心地いいなと感じられた気付きに出会えたので、きっと今日も成長した!
自分偉い!最高!
今日もお疲れ様でした!
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