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私にとっての女性性
このところ
女性性が大切な鍵となる
と、
信頼している複数のソースから入ってくる
メッセージ。
わたしの
女性性は十分に開いているのか?
いやきっと不十分なところがあったはず。
女性性、たぶんもっとひらかなくては。ひらきたい。
と思ったけれど
そもそも女性性とは、いったい何のことを指すのか。
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これまでに私が、出会ったさまざまな色々な女性性に関する知識を
自分の中で咀嚼してみて、
現時点での私の理解では、女性性とはこれだ。
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すべての人を、
まるで自分の我が子のように
(たとえ失敗をしたり、間違えているように見えたり、冷酷な人間に見えたとしても)★
この人は愛ある、素敵な大切な存在である。ととらえて扱うこと。
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------------------------------------------------------------------------------------↑★のところ
”(たとえ失敗をしたり、間違えているように見えたり、冷酷な人間に見えたとしても)”は、
自分から見て失敗や間違いに見えても
「その人の真の要望」をつきつめていくと、かならずさいごは
自分や誰かや、何かへの愛からはじまっている
ことに気づくことで解けていく。
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ぜんぜん間違っているかもしれないし
明日はまた、考えが違っているかもしれないけれど
現時点での私の解釈はこのとおり。
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さて、
私の場合の、具体例に落としこむと・・
あんまりメジャーな意見でないかもしれないけれど・・
■女性性を開く具体例1
「SNS怖い病の克服」
「SNS怖い病」
SNSとか、大勢の人が参加しているLINEグループなどで発言するとする。
しばらく誰からも反応がないとする。
過去の私の場合、そのとたんに。
その瞬間にみんなに後ろ指をさされているような気持になり、自分の発言は間違っていることを言っていたのではないかと、恐ろしくなった。
別に誰も何も思ってはいないとしても、そう見えてくる。
そして一人、「ひぃー」とか奇声を上げてあばれていた。
でも、女性性をひらけば
【1】そんな発言をした過去の私は、何かを伝えたかったから素敵。問題ない。
【2】発言に誰も反応しなかったとしても、みんな気づいていないとか、すごく忙しいとか、特に何も思っていない。問題ない。あるいは
【3】もし、私の発言を見てスルーしたり、「これは間違っているな・・・」と思った人がいたとしても、その人の判断にも、大切な何かを守りたかった。何か大事なものに対する愛がある。それも素敵。問題ない。
最期の【3】が腑に落ちると、何もこわいものがなくなる。
■女性性を開く具体例2
「私の意見はちがいますと言えるようになる」
仕事などで、他の人の考えと違うなと思う時に、
これまでの私は
自分の意見を言わずに黙ってしまう。
相手の立場を尊重して、相手に合わせることは得意で、
それも素敵だと思うけれど、
もし自分の中で譲れないことがあったら
怒らず、正直にフランクに、暖かく
私はこう思うなーってことを
念のため伝えておくのが一歩踏み込んだ女性性なんじゃないかと
思うようになった。
言わないのは先に「どうせ理解してもらえない」と決めているから。
本当の意味で、他の人を愛ある存在だと思っていないのだ。
これまでに、同じことをすでに伝えていて、
理解してもらえないと感じる場合は
相手の価値観を尊重し、沈黙を守るかもしれないが。
まずは、言ったらわかってもらえる。ということを
相手のことを信じることだ。
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ポエム。
自分とはちがうどんな感じ方も、誰かの怒りも
それぞれの人の背景からみたら、何か大切なものがあり
守りたい真の願いがあって、それは愛から出ているんだな。
みんな愛で動いているんだな。なんて素敵なんだ。
そんな中で、愛から動いている私だって素敵だ。
どんなふうに動いても、どんな判断をしても、全て愛からはじまっているんだ。私って素敵だ。
という思いをベースに生きる。
これが今日のわたしにとっての、「女性性をひらく」ということだ。
頑張りますとか書くと、頑張らないといけなくなってしまうから言い切り型で終わる。がんばらなくても既にもう、そうなっているのだ。
そうやって生きるのだ。