『未知を放つ』重版によせて
『未知を放つ』を刊行して、たくさんの感想をいただいた。手紙やメッセージをいただいたり、会って話を聞かせてもらうこともあった。どんな感想もうれしかったので、スマホで見かけた感想はスクショしたものをプリントアウトした。きもちわるかったらごめんなさい 笑
『未知を放つ』と言いながら、放ちきれず閉ざしそうになることもある。そんなときにはプリントアウトしたものを読み返している。
感想と共に、ご自身のエピソードを伝えてくれた方が多かった。それはとても力になった。そのひとにしか話せない、そのひとの物語を聞くことが好き。
さまざまな人間の物語を聞くと、それぞれにそのひとの道を歩んでいるのだなと思う。
《あのひとはあの人として、この世界に存在しているのだな》
《どうやらわたしはわたしとして、この世界に存在しているようだ》
そんなことを感じるだけで、いつのまにか力がわいてくるような。そのひとにはそのひとを生きてほしいと思うし、わたしも自分を生きることを大切にしたいと思いはじめた。
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パソコンや画面の光が苦手だと書いたら、読んだ方が手伝ってくれたこと。電車や匂いが苦手な方が試行錯誤をして元気になっていった話を聞いたこと。うれしかった。
今まではそんなことを話したらおかしいと思われるのでは?と隠してきたことを、気軽に話せるようになっただけで随分楽になった。という話を聞いたときも、その方に届いてよかったとじんわりした。
一人で作っているときには考えられないくらい、遠くまで届いていること、ほんとうにありがたい。さまざまな個性の本屋さんに並ぶ表紙の写真を見ると、あぁ、こんなにすてきな場所にいるんだね!と思う。全部の本屋さんをめぐってみたい。
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最近あたらしく、未知を放ったことがある。震えるほどの緊張だったり、緊張しすぎて汗が止まらなくなったり、フリーズしたときに慌てなくなったこと。
以前は、あぁどうしよう。またこうなっちゃった。こんなに汗だくで震えている状態、誰にも見られたくない。恥ずかしい。と思っていたのに、最近はただの現象として捉えるようになった。
汗だくで震えていても、緊張したらそりゃあ自律神経のバランスも変化するよね。と落ちついていられる場面が増えた。
書いてしまったので隠す必要がなくなったことと、プリントアウトした感想を何度も読み返すうちに、もし誰かに怪訝な顔をされたとしてもまぁいいやと思うようになっていた。生きる安心感が増している!
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先日、ライブ前のリハーサル時に「鍵盤の音、上げてください」「はるかさんのマイクの音も上げてください」と、PAさんに伝えているメンバーがいた。
(Thiiird Place https://instagram.com/thiiird.place?igshid=YmMyMTA2M2Y=)
わたしはコーラスしかしないのに、大きくしなくてもいいんじゃない?と伝えたら「せっかくコーラスするんだから、色んな声のハーモニー感じられたほうが楽しいじゃん」と言われ、また自分を小さくしようとしていたことに気付いてしまった。
できるだけ存在を消そうとしているときは、自分の音ばかり気になっていた。存在を小さくしているはずなのに、漠然とした不安だけ大きくなってしまう。他の人たちの音も感じきれなくなる。
ふと、いただいた感想を読んでいるときに、そのひとにはそのひとを生きてほしいと感じたことを思い出した。
大きくしようとしたり、小さくしようとしたり、誰かになろうとしたり、自分のエッセンスを薄めようとしたり、、そんなことをしないで、ただ自分の声で歌えばいいのだった!
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本番。ひとりひとりの音を聞いて、自分の声で歌う。ハーモニーを楽しんでみた。重心が上がったら下げた。力が入ったら抜いた。いろんな音がする。それぞれの音がする。わたしの音もある。
いつもなら、手が冷たくなって緊張で震えているライブ。今回は初めて、ぽかぽかの手でこたつみたいなきもちのままライブを終えた。脇汗もない!ライブ中にこんなに落ちついていられるなんて。
このひとが生きたいように生きて、しにたいようにしぬまで、育てていこうと思った。
なんだかすこし、つよくなった気がした。
きっとこの感覚は音楽だけでなく、普段の暮らしや仕事でも大切な感覚。書いておかないと忘れてしまうような、ちいさな。これからもこのちいさな気配を大切にしたい。
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『未知を放つ』を刊行してから、人は一人で生きているわけではない、の言葉が腑に落ちつつある。いろんなひとに、遠くまで連れていってもらった。
手触り、深さ、現れる場所、異なるテーマがかたちを変えながら目の前にあらわれるような日々の暮らし。これからもいろいろあるだろうけど、その都度わたしのまま、できることをしていきたい。
第二刷もひつような方に届きますように。
しいねはるか
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