見出し画像

『忘談~きおくをたどりて~』台本

忘談(ぼうだん)~きおくをたどりて~

作:安島崇

 とある山奥。
 陽(ひ)は落ちはじめ、周囲は薄昏(うすぐら)くなっている。
 白髪だが、それ以外は若く見える男が登場。男は襤褸(ぼろ)布を体に纏っている。右腕には掌から肘にかけて、包帯が巻かれている。
 ガサガサッ、と木々の揺れる音。
 男、ビクリとして音のした方を見る。
 沈黙。
 少し迷った末、音のした方に、そろりそろりと歩き出す男。
 ガサガサッと、今度は背後の木々が揺れる。
 男、慌てて振り返る。

  誰か——誰か、いるのか?

 途端、あちこちの木々が、一斉に揺れ始める。

  ヒャハッ!ヒャハハハハッ!
  おい、悪戯のつもりだったら――

 木々のざわめきが、ピタリと止む。
 静寂。
 男が立ち尽くしていると、獣の咆哮と共に、木々の間から一つの影が躍り出る。
 驚き、尻餅をつく男。
 全身を体毛に包まれた二足歩行の獣、男を見下ろし、楽しそうに笑う。

  ヒャハハッ!吃驚(びっくり)したか?なあ、吃驚したか?ええ、おい?
  お、お前——
  ああ、そうだ。今、お前が思っている通りさ。俺はなあ——化け物だ。

男、辺りを必死に見回す。

  お前、今、〝石か木を投げよう〟と思っただろ?
  い、いや、そんなことは——
  お前、今、〝隙をついて、走って逃げよう〟と思っただろ?——お前、今、〝こいつ、心が読めるのか?〟と思っただろ?——お前、今、〝もしかして、お前——
  ——お前、サトリの妖怪か?
  おおん?お前、俺のことを知ってるか?どれ、言ってみな。  ……山深くに棲み、相手の心を読む妖怪……
獣(以下、サトリ)  ヒャハハッ!俺も有名になったもんだ。それで?  ……次々と考えを言い当てて、相手を惑わすが……
サトリ  〝焚き木が偶然弾けてぶつかったりすると、思わぬことが起こったことに驚いて逃げ去っていく〟か。ヒャハハッ!残念だが、ここに焚き木はねえあ!
  私を、どうするつもりだ?
サトリ  まあ、そう怖がるなって。別に、取って食いはしねえよ。俺はこうやって、この山に迷い込んできた人間を驚かすのが好きでな。悪かったって。怪我はねえか?
  あ、ああ……大丈夫だ……
サトリ  そりゃあ良かった。にしても、だ。

 サトリ、男をじろじろと観察する。

サトリ  ふうん——てっきり年寄りかと思ったが、案外若えんだな。その髪はどうした?幾つだ、お前?
  年……私は……私の、年齢は……
サトリ  なんだあ?お前、自分の年もわかんねえのか?丸腰だし、猟師ってわけでもなさそうだなあ。お前、いったいどこの誰なんだ?
  ……思い出せない。
サトリ  ああ?お前、俺の事は知ってるのに、自分が誰かは知らねえってのか?そんな訳が——
  思い出せないんだ……自分が一体誰なのか……どうして、こんな場所にいるのか……
サトリ  ……どうやら、嘘じゃなさそうだな。頭を打ったか、気がふれたか——まあ何にせよ、麓(ふもと)の病院からでも逃げてきた、ってところか?ええ?
  ……わからない。
サトリ  ハッ!難儀なこった。それじゃあ、死んじまったも同然じゃあねえか。
  え?
サトリ  だってそうだろ?昨日の自分と、今日の自分が同じだとわかるのは何でだ?記憶があるからさ。お前という人間は、そこには居るけど、どこにも居ない——どうだ?幽霊みたいなもんだろ?
  幽霊……
サトリ  ま、そう心配すんなって!なんなら、俺が記憶を戻してやろうか?
  お前が、私を?
サトリ  おうよ。俺がわかるのはな、別に相手の考えだけじゃねえのさ。ちょいと深く潜れば、そいつが心の奥底に押し込めてるもんだとか、これまでの記憶だとかも見つけることができるのよ。
  本当か!?
サトリ  ただし——何が出てくるかはわかんねえぞ?髪がそんなになっちまうような、忘れちまいたい過去を思い出すかもしれない。それでも、やるか?
  ……ああ、頼む。やってくれ。
サトリ  ヒャハハッ!よしきた!化け物が幽霊を蘇らせる——暇つぶしにはちょうどいいやあ。それじゃあ、ちょいとごめんよぉ。

 サトリ、男の顔を、両手で挟むようにして固定する。

サトリ  俺の目をよおく見な。いくぜえ——
  ——ううっ!?

 男とサトリ、記憶の中に潜っていく。
 暗転。
 ラヂオの玉音放送、空襲警報、獣の咆哮、悲鳴、怒号、様々な人々の声——様々な音が響き渡る。

若い女の声  蘇芳(すおう)……蘇芳……
幼い男の声  兄(あに)様(さま)……兄様……

 明転。先ほどまでとは違う照明。

  そうだ……私はとある大地主の、妾(めかけ)の子としてこの世に生を受けた。母が亡くなった後、私は地主の屋敷へ引き取られた。しかし、ほどなくして地主も病で他界。それを機に、私に対する周りの対応も一変した。
地主の妻の声  何だいこの汚れは!?夜までに終わらせておけって言っただろうが!罰として、あんたは今晩飯抜きだよ!

 一家の笑い声が響き渡る。

サトリ  成程、こりゃあひでえな。
  まるで只働きの使用人のような扱いに加え、毎日のように続く異母兄弟からの虐待。耐えかねた私は、ある晩屋敷から逃げ出した。三日三晩あてもなく彷徨(さまよ)い歩き、とうとうとある橋の下で私は倒れた。もうこのまま眠ってしまおうと思った、その時だった。
 
 赤ん坊の泣き声が響く。

  捨てられていたのは、まだ年端も行かない赤子だった。「ああ、こいつも独りぼっちなんだな」と思った。抱きしめた赤子のぬくもりを感じながら、私は「この子を助けなくては」と決意した。

 赤ん坊を抱いた少年の影、登場。手には、硝子(ガラス)の破片を握りしめている。

  私は、同じく橋の下で拾った硝子片を握りしめた。皮膚は裂け、赤い血が滴ったが、構わなかった。この流れる血と痛みこそが、生きている証だと自分に言い聞かせた。私はその場を通りかかった女に、硝子片の切っ先を突き付け、言った。

 着物を着た、若い女(ゑい)の影、登場。

少年の影  おい!死にたくなければ、金か、食いものをよこせ!ゑいの影  おやおや。これはまた可愛らしい追剥ぎさんだこと。

少年の影  畜生、馬鹿にしやがって!僕は本気だぞ!ゑいの影  わかった、わかった。そんな危ないものを向けるんじゃあないよ。

 少年、途端に、誰かに手を捻じられたような体制になる。

少年の影  な、何だ!?誰かが、腕を——
ゑいの影  こらこら。相手は子供だ。やり過ぎるんじゃないよ。

 解放される少年。その場に膝をつく。

少年の影  い、今のは、一体……?
ゑいの影  話は後だ。ついてきな。
少年の影  え?
ゑいの影  腹が減ってるんだろう?それに、手当てもしなきゃあね。そんなに血ぃ流して、まったく無茶するよ。
少年の影  あ……ありが、とう……ございま……
ゑいの影  礼なんか後でいいから、さっさとついてきな。その子も泣いてるじゃあないか。
少年の影  は、はいっ!

 影、消える。

サトリ  あの女は、一体何者だ?
  怪談師さ。
サトリ  怪談師?
  幽霊話や妖怪話といった、所謂(いわゆる)怪談というやつを話して聞かせる商売だ。それとは別に、あやかし共を使役する、不思議な術も身につけていたがな。噂では、当時既に齢(よわい)四十(しじゅう)は越えていたらしいが——傍目には、二十代にしか見えなかった。
サトリ  はあん。昔で言う陰陽師みたいなもんか。いつの時代にもいるもんだなあ、そういう奴らは。
  私と赤子は、彼女——鶴(つる)泉(み)ゑいに引き取られることとなった。彼女は、私達二人にいろいろな話を聞かせてくれた。相撲が好きな河童の話、行燈の油を舐める化け猫の話、人の心を読むサトリの話——
サトリ  成程ね。それで、俺のことは覚えてたって訳かい。
  私は彼女に師事して、怪談師としての修行を続けた。師匠は私には蘇芳という名をくれた。
サトリ  スオウ?
男(以下、蘇芳)  黒みを帯びた、紅(あか)色のことさ。

 少年(蘇芳)と、成長した幼子の影、登場。

幼子の影  兄様……兄様のお名前は、血のお色なの……?
蘇芳の影  何だい、怖いのかい?
幼子の影  うん……僕、怖いよぅ。
蘇芳の影  ふふ。師匠が巫山戯(ふざけ)て「お前は顔が小綺麗すぎる。怪談の恐ろしさが薄れてしまう。名前ぐらいはおどろおどろしいやつにしてやらんと」なんて言って名づけてしまってね。
幼子の影  やじゃなかった?
蘇芳の影  思うに師匠は——私の真面目過ぎる気質を案じてくれたんじゃないかと思うんだ。そう思えば存外、この名も外連(けれん)があって悪くない。それに——
幼子の影  それに?
蘇芳の影  (掌を見つめ)私にとって血の色というのは、お前と私が出会った日の、思い出深い色でもあってね。私はそれが、堪らなく嬉しいんだ。
幼子の影  そうなんだ!じゃあ、僕も兄様のお名前、好き!
蘇芳の影  おやおや、泣いた鴉(からす)がもう笑った。

 ゑいの影、登場。

ゑいの影  二人とも、今帰ったぞ。
蘇芳の影  おかえりなさ——酒臭いですよ?また一杯引っ掛けてきましたね?
ゑいの影  年寄り連中に勧められたら断れないだろ?酒の付き合いも、怪談師の仕事の内さ。
蘇芳の影  もう師匠だって若くないんですから、無理しないでくださいよ。
ゑいの影  お前は本当に可愛くないねえ。
幼子の影  ししょお!おかえりなさーい!
ゑいの影  おー、ただいまー!アンタはこいつみないになるんじゃないよー?知ってるかい?こいつ、初めてあったときに、私に硝子の破片を突き付けてねえ——
蘇芳の影  酔うたびに昔の話を持ち出さないでください。
ゑいの影  ああ、怖い怖い。その内本当に、寝首をかかれちゃうかもしれないねえ。
蘇芳の影  全く——僕が師匠を殺すわけがないでしょう。
ゑいの影  だといいんだけどねえ。

 笑いあう一同。影、去る。

サトリ  ……平和な光景じゃねえか。ここから一体、何が起こるんだ?
蘇芳  ……殺すんだ。
サトリ  あ?
蘇芳  私が、師匠を殺すんだ。
サトリ  ……いやいや。だからよお、それは、あの女の冗談で——
蘇芳  違う。殺したんだ。私が、実際に師匠を、この手で。

 雷鳴。
 ゑいの影、登場。

ゑいの影  蘇……芳……

 ゑいの影、倒れる。

蘇芳  そうだ——戦争が終わって少しした頃——昏い嵐の夜だった——私は、手に持った小刀で、師匠の体を刺し貫いて——

 弟弟子——鶴泉南雲(なぐも)の影、登場。

南雲の影  師匠!?しっかりしてください!
蘇芳  南雲……
南雲  兄様、どうしてこんな!?
蘇芳  わ、私は……
ゑいの影  な、南雲……南雲……
南雲  師匠!師匠!
ゑいの影  なぐ……も……
南雲  師匠――――っ!

 雷鳴。
 影、去る。

サトリ  おいおい、本当にやっちまったのかよ。ま、見るからに堅気(かたぎ)じゃねえとは思ってたがよお。
蘇芳  私は屋敷から逃げた。雨の中を走り、待ち合わせ場所だった廃墟へとたどり着いた。
サトリ  待ち合わせ?誰とのだ?
女の声  随分と遅かったやないの。

 布を頭被(ターバン)のように頭に巻き、着物を着た女——御手洗(みたらい)抄子(しょうこ)の影、登場。
 祥子、手に持った書に目を通しつつ、胡散臭(うさんくさ)い関西弁で話し始める。

抄子  これやこれや、先代・鶴泉南雲が書き記した秘伝の書——おおきになあ。
蘇芳  ……言われたものは渡した。約束は守ってもらうぞ。
抄子  そう睨まんでもわかっとるって。これにはな、あんたの望みを叶えるための儀式のやり方がぜーんぶ書いてあるわ。ただ、あんた一人でやるんは難しいやろなあ。
蘇芳  どういうことだ?
抄子  うちの組織なら、場所に、あやかしに、生贄に——とにかく儀式に必要なもん、一通り揃えられるで。だからあんたも協力してくれん?毒を食らわば皿まで言うやんか?な?な?
蘇芳  ……いいだろう。せいぜい利用させてもらうさ。
抄子  ハハ、決まりやね。

 抄子の影、去る。

蘇芳  思い出した……そうだ、もう引き返すことはできない……私は……私は……
サトリ  おいおいおいおい!こっちは何にもわかんねえぞ!どうしてお前はあの女を殺した!?そこまでして叶えたい望みってのは何だ!?一人で納得してんじゃ——
蘇芳  いいだろう——善(よ)っく見たまえ。

 蘇芳とサトリの視線が交差する。
 照明、元に戻る。
 風が吹き、山の木々が揺れる音。

サトリ  あ……あああ……

 サトリ、怯えて後ずさる。

蘇芳  どうした?何を読み取った?思考か?記憶か?それとも——心の奥底に広がっている、漆黒の闇でも垣間見えたか?
サトリ  お、お前……お前……
蘇芳  ふふ——まあ、何でもいいか。
サトリ  く、来るなあああああ!

 サトリ、踵(きびす)を返して逃げようとする。

蘇芳  ——露草(つゆくさ)。

 サトリの行く手に、一人の少年——露草が現れる。
 忍び装束のような服を身に纏っており、手には双剣(そうけん)を持っている。

サトリ  な、何だお前は!?
露草  へへっ、油断しやがって——苦労したぜ?お前に勘づかれずに、この距離まで近づくのはよお。
サトリ  この——餓鬼(がき)がっ!

 露草に飛び掛かろうとするサトリ。
 露草、双剣を振るう。幾重もの斬撃の音。
 サトリ、悲鳴をあげてその場に倒れる。

露草  逃がすかよ、ボケが。
サトリ  な、なんだ、その動き……お前、人間か……?露草  さあて、どうだろうなあ?
サトリ  く、くそう……!
露草  やめとけって。(双剣の片方の切先を突きつけ)コイツの刃はあやかしの力を削ぐ。終わりだよ、お前。
蘇芳  また一段と腕をあげたね、露草。
露草  蘇芳様!ご無事でしたか!?申し訳ありません、もう少し早く助けに入りたかったのですが——
蘇芳  いいさ。大抵の民話において、サトリは臆病で用心深い。爆(は)ぜた焚き木で逃げ去るほどに。これくらい慎重を期さなければね。ところで、抄子は?
露草  ああ、姉御(あねご)だったら——

 草木をかき分け、抄子、登場。

抄子  あー、しんど。もうちょい、動きやすい恰好してくるんやったわー。
露草  遅かったっすね、姉御。
抄子  あんたが異常なんやって。急に走り出したと思(おも)たら木の枝ぴょんぴょん、ぴょんぴょん——猿やないんやから。
蘇芳  やれやれ。その胡散臭い関西弁に安堵する時がくるとはね。偶(たま)には記憶も失ってみるものだな。抄子  なんや。あんた、自力で元に戻ったん?そんなら、急いでここまで来ることなかったやんか。ほんま、ええ加減に——
サトリ  お、おい!
抄子  なんやねん。五月蠅(うるさ)いなあ。
サトリ  お、お前ら、この俺にこんな真似をして、ただで済むと——
抄子  〝黙れ〟。

 サトリ、急に声が出なくなる。苦しそうに口をパクパクさせるサトリ。

蘇芳  彼女の喉は少々特殊でね。普段は似非(エセ)関西弁で力を抑えてるんだ。
露草  ていうか姉御のそれ、人間だけじゃなくてあやかしにもちゃんと効くんすね。
抄子  ん?ああ、会話のできる相手なら大体いけるで。まあ、細かい理屈とかよう知らんけど。
露草  へーえ。でも、便利っすよねえ。蘇芳様のことも、完全に記憶喪失にできちゃったし。
抄子  まあ、今回が本人が望んでたからなあ。普通は、こんな上手くはいかんて。あんた、調子は?
蘇芳  悪くない。いや、むしろ至って好調だ。新たに生まれなおした気分だよ。そいつが先程、私を幽霊同然と言ってたが——なるほど、死からの蘇生というのは、存外(ぞんがい)こういう感覚なのかもしれないね。流石はサトリ、人の内面に一家言(いっかげん)持っているだけある。——さて。

 蘇芳、サトリに近づく。

蘇芳  聞いての通り、私の記憶喪失は、抄子の力——〝言霊(ことだま)〟による一時的なものだ。山の中腹で、「記憶を失え」と囁いてもらったのさ。騙して悪かったね。でも、仲間の存在を知られたら、君は逃げてしまうだろうしねえ。それから彼——露草は耳がとても良いんだ。僕が君と接触するまで、離れたところで待機してもらっていた。どうだい?全然気が付かなかっただろう?
サトリ  う、ううう……!
蘇芳  おっと、すまない。喋れないんだったね。それでは君の真似をして、私も心を読んでみよう。ふうん?——「何故こんなことをするんだ?」か。良い質問だ。君も知っての通り、私にはどうしても叶えたい望みがあってね。その為の儀式には、沢山のあやかしの力が要るんだ。しかも、只のあやかしじゃあない。君みたいな強力な力を持った、上級のあやかし達だ。それに、君の心を読む力は、きっと我々の役に立つ。協力してくれるかい?
サトリ  ううううう……!
蘇芳  ありがとう。君なら、きっとそう言ってくれると思ってたんだ。——おや、どうしたんだい、震えてるじゃあないか?山に迷い込んだ者を怯えさせて楽しむのが、サトリの存在意義だろうに。そんな君が、逆に怯えてしまって——ほら、君というあやかしの〝縁(ふちどり)〟が揺らいでしまっているよ。いけないねえ。そうだ!私が君の怪談を語りなおしてあげよう。君の今の性格付けは、可愛げはあるが正直好みではなくてね。弾けた焚き木で逃げるというのも、今時の怪談としては少々レアリテが——ハハッ。
露草  ……蘇芳様?
蘇芳  いやなに、誰かさんみたなことを言ってしまったな、と思ってね。
露草  ……。
蘇芳  そうだな、例えば私が語るなら——こんな話はどうだろう?

 蘇芳、軽く咳払いをして語り始める。

蘇芳  ある山奥に、悪戯(いたずら)好きだが大変気のいい、サトリの妖怪が棲んでいました。サトリは、山に足を踏み入れた者の前に姿を現しては、相手の心を読み、考えを言い当てては怖がらせていました。そんなある日のことです。山に、一人の気のふれた男が迷い込みました。 

 蘇芳、右腕に巻かれた包帯をするすると解き始める。

蘇芳  サトリはいつものように、男の頭の中を覗き込み——すっかり、男の狂気に呑み込まれてしまいました。己と男との境い目がわからなくなってしまったサトリは、連れ戻しにやってきた麓の村の住人たちを、一人残らず惨殺してしまったのです。
サトリ  うううう!うううううううう!

 包帯を解いた蘇芳、人差し指を口にあて、「しーっ」と囁く。その手には、経文さながらにびっしりと書かれた文字が刻まれている。
 押し黙るサトリ。

蘇芳  ……男はその様子を、只々(ただただ)笑って眺めていました。それから一人と一匹は、並んで山を下りていきました。二人がその後どこへ行ったのか、そしてどうなったのか——知る者は、誰もいません。

 ぱちぱちと、拍手をする露草。

露草  素晴らしいです、蘇芳様!
抄子  ええんやないの、あんたらしくて。
蘇芳  ふふ、有難(ありがと)う。——では、そろそろ仕上げといこうか。

 蘇芳の手の甲には、紅で「怪」の一文字。
 掌には、中心に目のついた蓮の花の紋様が描かれている。花びらの色は黒く、瞳だけが紅い。

蘇芳  大丈夫。記憶こそが命だというのなら、私がいくらでも与えてやろう——

 蘇芳の掌が、サトリの顔へと近づいていく。
 それに合わせて、舞台、徐々に暗転。

サトリ  う、うう——ううううう——
蘇芳  ——私好みの、新たな命をね。

 舞台、やがて完全に闇へと包まれる。
 響き渡る、サトリの絞り出すような叫び声。

サトリの声  ——ば——化け物ぉぉぉぉッ!

                                               —幕—


※この戯曲は「怪談~あやかしかたりて~」の続編であり、同作品の1・5次創作アカウントから生まれた人物、設定を元に書かれた作品です。

『怪談~あやかしかたりて~』上演台本|渡辺キョウスケ (note.com)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?